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[ 2009-11-12]

米国でもハンセン病への差別が現存 笹川会長が回復者施設カーヴィルを訪問


101歳になるペリーさんと
101歳になるペリーさんと

米国ルイジアナ州には「カーヴィル」というかつての国立ハンセン病病院(1884年設立)の跡地があり、残された一部の施設にハンセン病の回復者が住んでいる。笹川陽平日本財団会長は10月2日、この施設を訪問、101歳になるフィリピン人のペリーさんらと面会した。この訪問で米国でも依然として回復者に対する差別が残っていることが分かり、関係者はハンセン病問題に対する正しい知識の啓もうが必要と訴えた。

カーヴィルに残る施設の一部
カーヴィルに残る施設の一部

カーヴィルは、1999年に閉鎖されるまで多くのハンセン病患者が隔離され、治療を受けた場所だ。最も多かったのは1940年代で、450人の患者が住んでいた。現在は軍の施設として使用されているが、他に行く場所のない人たちのために一部の施設が残され、13人(平均年齢79歳)の回復者が住んでいる。

亡くなった方々のお墓
亡くなった方々のお墓

ジェームズ国立ハンセン病プロジェクト理事の案内で施設を歩いていると、車いすの老人が現れた。笹川会長が年齢を訪ねると「年?101歳だよ」。この老人がペリーさんだった。労働者として18歳の時にカルフォルニアに渡り、りんご園で働いていた時にハンセン病を発症。1936年、28歳でカーヴィルに来たという。笹川会長が「80歳くらいにしか見えませんよ、なぜそんなに元気なのですか」と聞くと「秘訣はね、ギターを弾きながらフランク・シナトラの歌を歌うことかな。タバコもお酒も飲まないよ」と、笑って答えていた。

ピートさん(右)と博物館員のヴィッキーさん
ピートさん(右)と博物館員のヴィッキーさん

施設内のハンセン病博物館で働くピートさん(81)は58年間この施設に住み、1996年に博物館が設立されてからは案内人として働いている。「給料をもらって働けるのはすごく楽しいよ」とピートさん。博物館ではカーヴィルで起きた様々な歴史が分かる。かつては施設の周りを有刺鉄線で囲い、患者たちには名前を変えさせ、自由に外出することを禁じ、施設内にあるプールの使用を1990年まで禁止していたという。ハンセン病患者が子供をつくることを禁じる法律(1960年廃止)や、選挙権を与えない法律(1945年廃止)などもあり、米国でも多くの差別を受けていた。努力がフリーワールドを実現することだ」と強調した。

ジェームズ理事と
ジェームズ理事と

ジェームズ理事によると、現在でも差別が多く残っているという。インターネットで高校生が顔や手足が変形した人の映像を使ってハンセン病の説明をしたら、ハンセン病は恐ろしい病気だと多くの人が思い込んでしまった。ハンセン病患者を診断した医師が「ハンセン病患者が発見され、大変だ!」とメディアに訴えたケースもあり、医師の勉強不足も見逃せない。ジェームズ理事が「ハンセン病に対する正しい知識を国民や医師らに啓蒙する活動が急務だ」と語ると、笹川会長は「米国では1990年以前にハンセン病は制圧されているのに、いまだに差別が残っているなんて」と驚きを隠さなかった。


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