page
12
同協会は医療面でも地域に大きく貢献している。1990年から地域の医療支援を目的に始まった診療活動は、内科・精神科・歯科・眼科・産婦人科などの医療サービスが提供できるまでに拡大し、2005年には養護施設から独立した診療所として建設された。貧しい街に暮らしていても元気でいてほしいとの願いからだ。診療所内には医療機器が並び、加藤神父は「年々利用者が増え、経営も安定している」と話す。加藤神父はさらに、その収益で施設を拡充できると顔をほころばせた。診療所ではこれまで累計13万人を診療し、日々300人前後が訪れているそうだ。

同協会は高齢化した日系人をケアするための施設も運営している。この施設は2000年に日本財団の支援も受け40人を収容できる施設として建設された。しかし運営は苦しい。運営費に回すため施設内にはヤギが放たれ、食用モルモットが販売目的に飼育されていた。私たちを集会場で勧迎してくれた入所者のうち最高齢だという女性(97)に元気の秘訣を聞くと「歳のことを考えないこと」と屈託ない笑顔で答えてくれた。

日本人のペルー移民は1899年から始まった。サトウキビや綿花農園の労働者として送り出された日系人は、契約にはなかった重労働に加え、太平洋戦争時はペルーが日本と敵国関係にあったことから、財産の没収、日本語教育や日本人による集会の禁止という厳しい政策を強いられてきた。
この苦い思い出を口にする日系人は多いが、決して不平をこぼしているのではない。迫害を受けながらもその多くは日系ペルー人としてペルーで生きることを選択し、誠実さと勤勉さで現地の人たちと共生し、日系人社会の地位を勝ち取ってきたのだ。そんな先人たちを誇りに思えるからこそ、今も日系人がペルーのために働けるのだろう。ペルー日系人協会の嵩原ルイス国際部長は、「他の国の人と比べ、ペルーでの日本人に対する信頼度は格段に高い」と胸を張った。加藤神父はこれまでの活動が評価され、社会貢献支援財団から平成20年度の社会貢献者に選ばれ、表彰された。
page
12