私はアメリカ人とよく論争する機会がありますが、彼等は「我が民主国家アメリカが世界を民主主義で覆い尽くさねば世界平和は来ない」とよく言います。そこで、私はいつも言います。1つは「世界の人々が人を差別する原点は、ハンセン病です。ハンセン病の人たちは、差別されるというより社会に存在しない者として扱われてきたのです。そのことを父の時代から私たちは訴え、父はハンセン病の人たちのところへ出向き、私の人生もあなたの人生も同じだと言いながら手を握り続けました。
ところがアメリカにおいては、1940年代まで、ハンセン病患者には選挙権を与えていなかったのですよ」と。もう1つは「法と正義の国アメリカが、笹川良一を逮捕状も持たずに収監し、裁判も行いませんでした。そして、収監先では執拗なリンチを加えたのです」と。
リンチを受けたことを父はあまり私たちに話しませんでしたが、亡きあとに出てきた日記には、凄惨なリンチを受けたことが記されていました。
「そうやって私の父を3年半も拘束し続け、ハンセン病患者には選挙権も与えなかったアメリカが偉そうなことを言うな。それぞれの国で歴史的な背景が違うのだから、どの国にも欠陥はあるものなのだ。これからどうするという議論なら良いが、一方的にアメリカのみが正義を言うのはおかしいじゃないか」と加えると、たいていは黙ってしまいます。勿論、私は反米主義ではありませんが、皆さんがアメリカ人と議論することがありましたら、今述べた2つのことを、ぜひお伝えください。
また父は、22、23歳の兵隊からいい歳の大将までがいる収監先で、位階勲等をつけた偉い人たちが、風呂に入れば石鹸を取り合う、食事のときに皿を手に並ぶともっとたくさん盛ってくれとせがむ光景をさんざん見てきました。「俺たちは、もう死ぬのだから、若い人たちに食わせてやれ」と言ったのは、笹川良一だけだったといいます。さすが気丈の彼も、偉い老人たちが物を取り合っている姿を見て、これで日本がダメになった理由が分かったと嘆いたそうです。
人間、裸になって命を懸けた時に、初めて本心が現れます。後年、服装やビルのオフィスが立派になっても人間の多くは大したものではないと彼は達観していました。収監先で、新聞も自由に読めずリンチも受けるといったなかでも、「これからの日本国は日米協力なくして発展はあり得ない。ソ連との関係をいくら強化しても日本は良くならない」と日記に切々と書き記しています。
ところがGHQが共産党を全員釈放したため、全国で組合運動が沸き起こってしまいました。アメリカは判断を誤った訳ですが、少数の立派な知日派の人たちが、天皇制を残さないと、この国の統一と発展はあり得ないと主張し、その少数意見を大統領も認めたのでした。これは正しい判断でした。
ようやく釈放された後も、父はパージを受けて公職から追放されていましたが、とにかく廃墟となった日本をどうしたらいいのだろうかと考え、日本は海の国なのだから、競馬や競輪と同じようにモーターボート競走をやってみようと動きました。お金は、どんなお金であっても、それは崇高な目的を実現するための手段であると、彼は割り切って考えていました。いいですか、お金は、ある目的を達成するための手段であって、お金儲けそのものが目的ではないのです。私たちの周りには、お金を儲けることが人生の目的であると勘違いしている人が多いのです。
かつて、この会館(笹川記念会館)の上に父がいたときのことです。何かの時、彼に世話になったのでしょう、ある事で大成功した人が来て、「笹川先生、おかげさまで私も何百億円もの財産を築くことができました」と、涙を流さんばかりに話をしました。笹川良一は、相手の目をグッと見ながら話をする人なのですが、そのときばかりはつまらなそうに下を向いて聞いていました。そして、最後に「君が何百億円儲けたかは知らん。それは大変立派なことだけども、あの世に持って行く方法を考えたのかね」と言いました。私も同席していたので覚えていますが、そのひと言で、この人は恥ずかしそうに帰りました。
常々、笹川良一は「世界は一家、人類は兄弟。私は、政治、思想、宗教、人種、国境、あらゆるものを越えて、地球のために、世界の人のために仕事をしたいのだ」と語っていました。15年ほど前のあるとき、私は当時の社会党の土井たか子さんと食事をしたことがありましたが、その席で「笹川さん、世界は1つですよ」とおっしゃいました。
私は、「土井先生、私の親父は昭和14年から、それを言っていましたよ」と返しました。
父と土井さんとは、二世代ぐらい違うはずです。今でこそ、いろいろなところで「世界は1つ」などと言いますが、戦前から父は口にしていたのです。環境問題にしても、30年前に指摘していました。彼の先見性は本当に驚くものでした。テレビを見ていますと、学校の先生や専門家と称する人たちが、いろいろな問題に対して様々な意見を述べていますが、それは、すべて後付けの理屈に過ぎません。経済学者なんて最たるものです。経済予測が当たったことがありますか。すべて、過去のデータを見るだけなのです。それだけ、5年、10年先を読むことは難しいのです。
彼は30年先を見ていました。従いまして、言うこと、やることが、我々凡人からすれば奇想天外に見えてしまうのです。和の精神を尊ぶ日本において、そういう人は少々面倒くさいと思われがちになります。しかし世の中の革新のためには強いリーダーが必要なのです。小泉政権を批判する人が多いですが、戦後最大のリーダーシップを持った首相の一人が小泉純一郎なのです。
現政権の話は本筋ではないので話を戻しますが、父、良一は「儲けさせてください。そして、そのお金を日本の造船、海運、地域振興などに使います」と言ってモーターボート競走法案をつくりましたが、この法案は衆議院を通ったものの参議院は通らず、衆議院に差し戻されてしまいました。こうなると、衆議院で再審議をして3分の2以上の賛成を得ないと法案は成立しません。そこで、先ほどお話しました鈴木茂三郎や西尾末広などの交流が生きてきました。
ここに座られている競艇関係者の多くも、法案成立のために奔走されましたが、なんと当時の社会党でバリバリの左派の人たちも賛成に回ってくれ、可決されてしまいました。こうした法案成立の例は、このモーターボート競走法をのぞいて戦後は1つもありません。そして、儲けさせていただいたお金を世のために使おうということで、この競艇事業というものが生きてきたわけであります。
笹川良一は、たいへん商才のある人だったと評価されており、競艇事業が発展したのも彼の力によるものなのですが、生涯一度たりとも給料はもらいませんでした。かつて政治家は“井戸塀”いわれ、井戸と塀しか残らないくらい全財産使い果したものでした。最近は政治家になると不思議なことに財産ができるようで、お金や女性の問題で失脚されます。笹川良一は、型破りゆえに誤解されることもありましたが、報酬を受けずに自らの収入による身銭を切って暮らしていたのです。
また、国家の根本に関わることを議論することを日本人は得意とはしていません。憲法問題しかり、人口問題しかり、自衛隊の問題しかり。教育基本法にしても、ようやく動き出したところです。日本の役人の優れた知恵と言えるのかも知れませんが、これまで物事を曖昧にしたままで、グチャグチャと問題が先送りされてきた戦後の50年なのであります。