現代の風景

《2》 最期の時の迎え方 新しい家族とともに

《2》 最期の時の迎え方 新しい家族とともに

人はどのような最期を迎えるのが理想なのだろうか。最近ホスピス関係者の間では、家で最期の時を迎えさせる「在宅ケア」という考え方が議論されている。しかし、身寄りがなかったり、事情があって懐かしい自宅に戻ることができない人が大多数かもしれない。そんな人たちを世話しているホームホスピス宮崎・かあさんの家を訪問し、印象に残る人に出会った。Aさんという76歳の元銀行員だった。
がんで胃を摘出したAさんは、横浜で一人暮らしをしていた。ある夜、寝付かれないまま夜中の2時半にラジオのスイッチを入れると、かあさんの家の市原美穂さんがNHKのラジオ深夜便という番組に出演し、ホームホスピスについて話をしていた。一軒家を借りて、高齢の末期がん患者や認知症の患者を預かる。ヘルパーが常時付き添い、24時間介護体制だ。Aさんの決断は早かった。1カ月の試験的生活を経て、正式に横浜から宮崎に移り住んだ。
Aさんは、神戸出身の銀行員だった。阪神大震災の直前、東京の勤務先から用事で神戸の実家に戻っていたが、震災当日、緊急会議開催という連絡で早朝の新幹線で東京に向かった。その途中、神戸が大きな地震に見舞われたことを知った。自身の被災は免れたものの、実家は全壊し、Aさんは、横浜で一人暮らしを続けることになる。銀行の関連会社の社長を最後に仕事をやめてからがんで胃を摘出、体力に自信をなくしたときに聞いたのが市原さんの話だった。
Aさんは、かあさんの家霧島に移り住んだ。ふだんは個室で本を読んだり、テレビを見たりしてのんびりとした時間を送った。窓から見る宮崎の自然にも心が和んだ。市原さんが宮崎の先人たちの話を聞いて冊子にまとめる「宮崎聞き書き隊」の語り部にもなった。「父の雑記帖」という題名がついた冊子は、父親の日記の話、Aさんの人生をたんたんと記している。
結びの言葉は次のように記されている。無着成恭さん(教育者・僧侶)。あー、この間聞いた人ね。「人は3つの欲がある。1つは食欲。食べなければ生きていけない。2つは性欲。子孫を残すことは生物の本能。それと3つは群れる欲。群れから離れたら生きていけない」そういうこと言ったの?それで言うと、ここかあさんの家は群れる欲だよ。ここにいる人は本物の家族ではないけど、擬似家族だね。お互いに心配したり、スタッフも家族の一員だと思っている。根本は家族だね。夜中に起きて、覗くとスタッフがお茶に誘ってくれる。ほっとするよね。私にとって、みんな家族ですね。まったくね。
Aさんは、妻を早くに亡くして男手一つで2人の男の子を育てた。同時に経済の高度成長を支える「企業戦士」として、がむしゃらに働いた。退職後は高校の国語の教師になった子どもたちの世話になることを拒み、一人暮らしを選んだ。だが、がんを患い体が弱くなると、一人暮らしが寂しくなった。そんな時に、市原さんの語りかけが心に響いたのだ。Aさんは少しずつ体が衰弱しているが、食欲も旺盛で、涼しい時間帯の散歩も楽しみにしているという。
かつて、日本では多くの人が自宅の畳の上で死ぬのが普通だった。統計によると、1950年当時は約89%が自宅で最期のときを迎えた。しかし、その後自宅で亡くなる割合は経済成長とともに少なくなり、2003年には13・4%まで減る、がんの場合は6%しかいない。現代は病院で死ぬのが当たり前の時代になっているのだ。こうした傾向にストップをかけようというのが「在宅ケア」なのだ。
Aさんはかあさんの家に入ったことについて「これでいいと思う。最期は自分だけの世界なのだから」と話している。いま、日本は未曽有の高齢化社会が進行中だ。多くの人が老後に不安を抱いている時代なのである。「これでよかった」と思える老後を送ることができる人はそう多くはない。