[ 2009-07-29]

現代の風景

石井 克則


《3》 輪禍の果てに 涙の編集長

交通戦争に立ち向かう
交通戦争に立ち向かう

日本はかつて「交通戦争」といわれた時代があった。昨今は、そんな時代に比べると、かなり死者数は減った。しかし、車社会の宿命のように年間で5千人以上が亡くなる。一方、自殺者はその6倍の3万人を超えているのだから、現代は死と隣り合わせの時代なのだろうか。こんな時代に立ち向かった1人の「泣き虫先輩」の話を書く。

ことし1月末のことだ。仕事で沖縄に行く飛行機に搭乗し、指定の座席に座ろうとすると、すぐ近くに珍しい人がいた。懐かしい顔だった。以前、かなり世話になったTさんという先輩だった。この先輩は長い間、交通遺児育英会の機関誌「君とつばさ」の編集長を務め、交通事故で一家の柱を失った家族に対し、励ましの記事を掲載していた。

その中心の記事が、懸命に生きているお母さんを取材した「お母さんただいま奮闘中」だ。先輩は取材記者も兼ねていて、何人ものお母さんに会いに行った。事故からしばらく時間が経過しているとはいえ、事故の話に触れると、ほとんどのお母さんたちは涙を流す。悲しみは容易には癒えないのだ。そんな時、先輩も一緒になって涙を流したという。

「お母さんたちの悲しみの深さが分かるから、落ち着くまでしばらく待って話を聞くようにしたよ。取材が終わってからホテルに戻り、頭を整理するのにいつも時間がかかってしまった。お母さんたちから聞いた話を思い出すとまた泣けてしまってね」

1996年(平成8)12月から連載が始まり、Tさんが話を聞いたお母さんは42人に上った。夫の死を乗り越え、生きるために苦闘する女性たち。それは泣きながらの取材の連続だったようだ。このうち15人のお母さんの近況を取材するため、最近先輩は各地を回っており、沖縄行きも1人のお母さんに会いに行く途中だったのだ。

青森県弘前市で取材中にはこんなことがあった。2001年5月8日のことだ。この日、弘前市の消費者金融武富士で強盗放火事件があり、5人が焼死した。焼死者の中に取材相手の白取ルエ子さんの長女の親友のお母さんがいたという連絡が彼女の携帯電話に入った。直後、彼女は「命の重さって何だろう」とつぶやくと、しばらく押し黙ってしまったそうだ。

その気持ちはTさんにはよく分かった。事故で夫を失い、さらに今度は知人が犯罪の犠牲者となり、生命を奪われてしまった。そんな時、かける言葉は私には思い浮かばない。粘り強い取材を信条としたTさんのことだ。じっくりと時間をかけて、白取さんの方から話ができるようになるまで待ったに違いないと思った。

こうして話を聞いたお母さんたちの姿をまとめた「お母さんただいま奮闘中」が一冊の本になった。そのお母さんたちの顔を表紙にした本からは、Tさんの「交通事故をなくしたい」という、強い思いが伝わってくる。

警察庁の統計によると、2008(平成20)年の交通事故死者数は5155人で、54年ぶりに5千人台となった前年からさらに下回り、負傷者も約94万人と10年ぶりに100万人を下回ったという。しかし、単純にこの数字を評価はできない。一命を取りとめたものの重い脳障害による後遺症に苦しむ人たちが少なくないからだ。NPO交通事故後遺障害家族の会は、こうした被害者の「尊厳と損害の回復」を目指して活動しており、被害者・遺族の人権を訴え、命の重さを伝えようと「生命のメッセージ展」も全国で開催されている。

裁判に詳しい知人の話を聞くと、最近交通事故をめぐって民事訴訟や民事調停が増える傾向にあるという。知人は「交通事故は被害者も加害者も苦しむということを運転者たちは決して忘れてはならない」と強調する。私もそう思う。泣きながら記事を書き続けたTさんやお母さんたちの思いを受け止めれば、無謀な運転などできるはずがない。



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