現代の風景

《24》 蘇れ!列島の森 シルバー世代頑張る

《24》 蘇れ!列島の森 シルバー世代頑張る

毎朝の散歩コースに小さな森がある。その近くには大雨などの際、下流の川の水量を調整するための人工池が設置されている。人があまり近づかないこともあって、この池には四季折々渡り鳥が優雅な姿を見せる。しかし、森の方は雑木と下草が生い茂って荒れ放題になっていた。そこにいつしかボランティアたちが入り込んで、増えすぎた木を切り、下草を刈り取り、生気に満ちた森へと変貌させた。この森のように、いま列島各地で荒れ果てた森を蘇らせようと、定年退職した「シルバー世代」を中心としたボランティアたちの地道な取り組みが続いている。
「雪のある冬山の方が意外に間伐などの作業はやりやすいのですよ」。札幌近郊で、繁殖しすぎたニセアカシアの間伐をしているグループ(NPO北海道森林ボランティア協会)の一人は「冬の間、活動は休みですか」という私の質問に、こう答えた。北海道の冬は雪との闘いだ。だが、防寒着に身を固め、かんじきを履いて山に入って作業を続けると体も温まり、そうつらいことはないのだという。女性も混じったこのグループは、伐採した材木を利用して炭焼きにも挑戦し、木を切った際に出るチップで子どもたちのためにカブトムシの幼虫を育てる。木々の幹には、巣箱を取り付け、小鳥のすみかを作っている。年間で平均70回は山に入るというから、森を愛する人たちの集団なのだ。
このグループは「無理をせず、やれることを楽しみながらやる」ことをモットーにしているという。各地で会った森林ボランティアたちから同じような話を聞いた。地域によって事情は異なるが、多くのボランティアはシルバー世代である。だから肉体的にも無理は禁物であり、森を蘇らすという活動を通じて「楽しむ」ことも大きな目標になっているようだ。
材木を利用して楽器のホルンをつくり、その演奏会まで開いているグループ(山形県・南陽市・NPO美しいやまがた森林活動支援センター)の存在には驚いた。完成したホルンは本格的なもので、山の恵みがこんな楽しみを与えてくれていることを知ってうれしくなった。こんな楽しい活動なら、ぐうたらな私でも参加できそうだと思った。
空き家になった農家を拠点に、東京周辺の会員たちが里山づくりに励んでいる(千葉県いすみ市・桑田・里山の会)姿を見た際もそう感じた。里山を所有者から借りて、クヌギやクリなどの落葉樹を植え、大きくなった杉を間伐する。きつい作業も少なくない。しかし、事務所代わりに借りている農家での「総会」は談論風発で面白い。近所の水田や畑も借りており、コメや野菜、果樹も収穫できる。
初夏のある一日、総会をのぞいて新鮮な野菜や山菜を使った天ぷらをごちそうになった。格別な味だった。会員の「私たちの活動は夢を作り出す仕事なのです」という言葉が胸にしみた。そういえば、鹿児島県のグループ(四季の会)も一軒の空き家を借りて活動の拠点にしている。しかも、月一回は「夢を語る会」という懇親会を開き、持ち寄った料理を食べ、酒を飲みながら森づくりのために何ができるかを話し合っている。こちらも魅力があるではないか。
森を第2の人生のパートナーにしているシルバー世代の現役時代の職業は、会社員、公務員、自営業、職人と様々だ。子どもが成長した家庭の主婦もいる。「人生を考える年になり、社会的に何をやってきたのかを振り返って、好きなことをやりたいと思った」と、元小学校の教師だった一人の女性は、鹿児島で森林ボランティア活動に飛び込んだ理由を述懐する。彼女は結婚を機会に4年で教師をやめ、主婦を続けてきたが、子どもたちも大きくなり、社会とのかかわりを求めたいと森林ボランティアを選んだという。子どもたちに地球の温暖化の恐さや木を育てることの大切さを教えたいと話す彼女の表情は明るく、楽しげだ。
かつて山仕事が好きな叔父がいたことを思い出す。東京暮らしの叔父は、定年退職後、一年に何回かは妹(私の叔母)が嫁いだ家に行き、山の間伐と下草刈りなどの作業をするのが恒例になっていた。叔父はチェンソーといった機械は使わず、ナタやのこぎりを使って木を切り、鎌で草を刈った。細身の体で、どこにそうした力があるのかと思うほど、忍耐強く一人で作業を続けた。作業後、家に戻った叔父は、一番風呂に入って夕食には一杯の酒を飲む。そのあとで仏壇にお祈りをささげるのが日課だったという。もう何十年も昔のことだ。彼は森林ボランティアの先駆者のような人だった。
いま私の散歩コースの森は、冬枯れの木立の中に木漏れ日が差し込んでいる。日光が入り込むことがなかった以前に比べその変化は大きい。この森を守るシルバー世代に感謝しつつ私は日々、森の四季を味わいながら散歩する。冬が過ぎれば、新緑に覆われた美しい森が出現する。ああ春が待ち遠しい。