現代の風景

《26》 教室に響く子どもたちの歌声 ラオス・小学校の校歌誕生物語

《26》 教室に響く子どもたちの歌声 ラオス・小学校の校歌誕生物語

3月は卒業式シーズンだ。日本各地で校歌が合唱され、多くの児童、生徒、学生が巣立っていく。自分が学んだ学校の校歌には愛着があり、ふとした折にメロディーが浮かんだりする経験を持つ人は多いはずだ。しかしアジアの途上国、ラオスの学校には校歌はない。そんな子どもたちのために、福島県の小学校が校歌をプレゼントしたのは昨年9月のことだった。それから約5ヵ月。子どもたちは贈られた歌を自分たちの「校歌」「村歌」として歌うまでになった。今回は、日本の小学校からラオスの小学校へと受け継がれた「校歌誕生の物語」を書く。

ラオス南部の辺境、サラワン県のナトゥール村は幹線道路から未舗装の細い道を入った電気のない地区で、高床式の家が散在する農村地帯だ。この地区にアジア教育友好協会(AEFA)が2008年に建設したナトゥール小学校(1—2年生計62人)がある。先生は若い校長のペッラッコーンさん(22)ともう一人の2人だけだ。AEFAはラオスやベトナム、タイなどの山岳部で建設した学校と日本の学校との交流を仲立ちしており、ナトゥール小とは福島県の矢祭町立東舘小学校(宍戸仙助校長)が08年4月から姉妹校になった。
宍戸さんは、自分でギターを弾く音楽を愛する先生だ。AEFAの谷川洋理事長が東舘小で出前授業をした際に、2人の間で校歌が話題になった。アイデアマンの2人は、そこで東舘小の校歌をナ小にプレゼントしようと思い立つ。宍戸さんは早速、ラオス語を専攻した日本貿易振興機構(JETRO)職員に東舘小の校歌をラオス語に翻訳することを依頼した。「恵もひろき久慈川の・・・」(山本正夫作詩・作曲)と、やや難しい表現がある歌詞は現代風に直し、矢祭町の地名はラオスの現地の地名に入れて替えてもらった。
昨年9月、宍戸さんは谷川理事長やスタッフの金子恵美さんらとともにナ小を訪問した。教壇に立った宍戸さんは、東舘小がどんな小学校かを子どもたちに語りかけ、ギターを使って日本語の校歌を歌い、そのあとでラオス語に直した歌を大きな声でプレゼントした。子どもたちは目を輝かせて宍戸さんの歌に聴き入り、ペッラッコーン校長は子どもたちにこの歌を覚えてもらうと約束した。
年が明け、2月にAEFAの谷川理事長と金子さんはサラワン県に建設したワンコイン(500円)の寄付を基にしたポンタン小学校の開校式に出席した際、ナ小にも立ち寄った。すると—。谷川さんや現地NGOのスタッフを前に子どもたちがあのメロディーを歌い出したのだ。5ヵ月前に宍戸さんがギターで歌った東舘小の校歌だった。ナ小のペッラッコーン校長は「CDラジカセを何度も聴いて、1週間くらいで覚えた。でも、子どもたちに教えることは大変でした。一生懸命に教えたんです」と、谷川さんらに打ち明けた。子どもたちは「日本の人が作ってくれ自分の村の歌(校歌)ができたので、うれしいよ」と元気に答える。ペッラッコーン校長は、谷川さんらに「日本の子どもたちと文化を共有し、いろんな交流をしたいですね」と、夢を語った。この後、現地NGOのスタッフのクムカムさんが、東舘小学校の「ひがしだて」の発音を教えると、子どもたちはすぐに覚えて「ひがしだて、ひがしだて」の大合唱が教室内に響き渡った。
うれしい現場に立ち会った谷川理事長は、その感想を「学校が育つ」という表現で話してくれた。「先生によって学校が建物だけでなく本当の学びの場として育っていることを実感した。子どもたちの新しい挑戦に対するひた向きさ可能性が伝わってきた。こういう学校を増やしたい」と。金子さんも「すてきな笑顔で応えてくれた先生と子どもたちに感謝します。行く前には、子どもたちはまだ校歌を歌うことはできないと聞いていた。せめて、ララララ・・・とメロディーで一緒に歌えたらいいなあと思っていたので感動しました」と、驚きを隠さない。

子どもたちが歌を好きなのは万国共通だ。歌は感性を豊かにさせてくれる。そうは言っても、宍戸さんには「日本から校歌を持っていって、歌ってくださいというのは、押しつけがましいのではないか」という思いもあった。それだけにAEFAからこの話を聞いた宍戸さんは感激した。早速、4年生と相談してナ小の子どもたちに楽器を贈ろうと、町の人々に呼び掛け、楽器を集める運動を始めている。それが新聞に載り、リコーダーやハーモニカなどを提供したいという申し出が県内から相次いでいるという。
新聞でこの運動を知ったという女性からは、鍵盤ハーモニカと笛が届き、手紙が添えてあった。
「東舘小学校 4年生の皆様 このメロディオンと笛は、私の息子2人がかつて小学校で使ったものです。二男は、昨年8月、35歳で亡くなりました。息子が使っていたものが一つずつなくなっていく中で、名前がきざまれた笛がラオスの子供さんの手に渡って、メロディーが奏でられると思うと喜びもひとしおです。4年生の皆様のご活動に感謝します」
宍戸さんは、これまでの交流を振り返りこう述べている。「紺碧の海と青い空をはさみ、5400キロも離れた日本の矢祭町とラオス南部、サラワン県ナトゥール村の小学校の子どもたちが『こころ』で結ばれて、同じ旋律の歌を口ずさみ、互いに励まし合う。このラオス版東舘小学校校歌は、ナトゥールの『村歌』になるという。これほどまでに、私たちの『夢と希望』に満ちた『つながり』が育っていることに感謝したい」
校歌が日本の学校でいつから歌い出されたのかよく分からない。明治時代から一部の大学で歌われ始め、それが次第に広まったらしい。有名な詩人や作曲家が作った校歌も少なくない。そんな校歌と比べても遜色ないほどナ小の校歌は価値があり、輝いている。東舘小学校の校歌を作曲した山本さんは、長い時を経て、自分のメロディーが海を渡り別の言葉で歌われるとは思ってもいなかっただろう。だが、そのメロディーはラオスの山岳地帯の輝く瞳を持った子どもたちによって、長く歌い継がれることになるはずだ。