[ 2010-03-29]

現代の風景

石井 克則


《27》 盲導犬のパピーとの別れに涙 島根の刑務所

この夕焼けに誓って
この夕焼けに誓って

島根県西部にある浜田市。その郊外の小高い丘に官民共同運営(PFI方式)の刑務所、島根あさひ社会復帰促進センターがある。センターの受刑者が盲導犬のパピー(子犬)を育てる矯正プログラムの第1期がこの1月に終了、3頭の子犬たちが受刑者と別れ、盲導犬としての本格的訓練に入った。9ヵ月に及ぶ、プログラムに参加した受刑者は、子犬との別れに涙を流したという。

犬には、人間の心を優しくさせる癒し効果があるといわれる。罪を犯して服役した受刑者たちにとって、子犬との時間は貴重なものだったのだろう。

「受刑者が子犬を育てる」ということを耳にしたのは、2008年の秋のことだ。促進センターに隣接して誕生した日本盲導犬協会の島根あさひ盲導犬訓練センターを訪ねた。周辺は紅葉の季節を迎えていた。訓練センターの関係者の案内で促進センターに行き、中を見せてもらった。新しい建物はピカピカでセンター内は広々としている。民間企業などが出資した会社がこのセンターの運営を行うという、刑務所として珍しい民間委託が特徴だ。

このセンターでは、盲導犬候補の子犬の育成と馬の世話という矯正教育を始めるという説明を受けた。もちろん、盲導犬の子犬の育成は訓練センターとの連携プログラムだ。命の大切さ、社会貢献の必要性を受刑者に学んでもらうというのが狙いだという。

実際に子犬の世話が始まったのは、2009年の4月13日からで、その後約9ヵ月間、受刑者と子犬たちの触れ合いが続いた。預けられた子犬は、生後2ヵ月のラブラドール・レトリーバー3頭で、受刑者の中から選ばれた12人が4人1組になって飼育した。受刑者の個室にはケージも置かれ、子犬と寝食をともにしたという。

盲導犬(正しくは候補犬)は満1歳までこうしたパピーウォーカーといわれるボランティアによって育てられ、その後訓練センターで半年から1年かけて訓練を受け、適格と判断された犬のみが視覚障害者のパートーナーである盲導犬になるという。訓練も大事だが、ボランティアとの触れ合いも重要らしい。パピーウォーカーとの生活を通じて、人間を信頼する犬として育つのだ。

1月18日に矯正プログラムの修了式があった。訓練センター総務部管理課リーダーの横田剛さんは「子犬を育てた受刑者は涙を流していた」と話した。担当の刑務官も「初めは心を閉ざしていた訓練生(受刑者)が終了間際には、ありがとうございましたと言ってくれたことが心に残っている」と、報道陣に答えている。子犬の純粋さが、受刑者の心を温かく溶かしたと思いたい。横田さんによると、この4月からはさらに5頭の子犬が社会復帰促進センターにやってくる。受刑者30人が6組に分かれて子犬の育成に当たることになるという。

盲導犬は国内に約1045頭いるが、実際に盲導犬を希望する視覚障害者は約7800人もおり、盲導犬の育成が追い付かないのが実情だ。そのためにも、促進センターでのプログラムがさらに各地に広がることを期待する声もある。

だが、盲導犬になるのは、そう簡単なことではない。1回でも人をかんだ犬や雷など音に弱い犬は失格だといわれる。私の家の犬(ゴールデンレトリーバー)は人をかむことはしないが、雷にはめっぽう弱く、ゴロゴロし出すと尻尾を巻いてガタガタ震える。これではとても盲導犬には無理なのである。パピーウォーカーによって候補犬として育てられても3、4割しか「合格」しないのだそうだ。

無私の心で
無私の心で

いま、日本はペットブームだといわれ、犬を飼う家庭も多い。私もその仲間であり、毎日犬と付き合っている。その習性を見ていると、「無私」という言葉を思い浮かべる。純粋に飼い主を信頼し、疑うことを知らないように見えるのだ。パートーナーに寄り添い、道案内をする盲導犬は、私の犬以上に無私の精神で暮らしているのではないか。子犬を育てた受刑者たちは、3頭全部がそんな盲導犬の仲間入りをすることを願っていることだろう。

日本で盲導犬の第一号が誕生したのは1957年で、その歴史はまだ半世紀に過ぎない。盲導犬育成の歴史が古いドイツでは、盲導犬だけでなく犬全体に対し国民の理解が深く、犬は散歩のときにリード(ひも)をつけなくてもいいし、店よっては犬専用の駐車場もあるという。目抜き通りには、犬の糞を常時拾ってきれいにしてくれる清掃員もいる。半面、犬のしつけは厳しく、犬をしつける「犬の学校」も現にあるそうだ。

日本では2002年に施行された身体障害者補助犬法によって、国や自治体が管理する公共施設や公共交通機関、デパート・飲食店などの不特定かつ多数の者が利用する施設は盲導犬、介助犬、聴導犬の受け入れが義務付けられた。しかし、そうした施設で犬を連れた障害者の姿を見ることはあまりない。現代日本は、まだまだ障害者には住みにくい社会なのだ。




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