現代の風景

《33》 カンボジアの未来を背負って 帰国したある日本留学生

《33》 カンボジアの未来を背負って 帰国したある日本留学生

長い内戦が続いたカンボジアに平和が戻ったのは1991年年10月のことだった。あれから19年。世界遺産のアンコール・ワットを訪ねる日本人観光客も増えている。だが、カンボジアの国内総生産(GDP)は1人当たり2066ドル(08年)と、経済的にも厳しい現実が続いている。そんな祖国を何とかしようと、一人の青年が日本の留学を終えてこのほど帰国した。ポルポト派統治下時代に、両親が強制結婚で生まれたモニラ・ブティさん(32)で、7年半の日本の生活を頑張り通し、カンボジアの未来を背負う人材に成長した。
カンボジアでは、1975年から1979年の間、政権を握ったポルポト派が市民の少子化を非難し、見ず知らずの若者同士を強制結婚させた。新婦が拒んだ場合はクメール・ルージュ(カンボジア共産党)の党員らが押さつけて新郎にレイプさせたケースも少なくないという。クメール・ルージュ戦犯裁判の中で、その実態が少しずつ明らかになっている。モニラさんの両親も強制結婚をさせられ、彼が生まれると、父親は知識階級として虐殺された。モニラさんは、1枚の写真でしか父親の顔は知らない。同じような境遇に置かれた若者は少なくないはずだが、彼の母親は立派だった。

当時20歳だった母親は、必死で農業や縫製の仕事をしてモニラさんを育てたのだ。農村に住んでいた母親とモニラさんは、彼が中学を終えると首都プノンペンに出て、スラム街に住みついた。母親は学業が優秀な息子のために市場で身を粉にして働き、国立大学に進学させる。「ワニの研究」を専攻し、大学を卒業したモニラさんは、2002年10月、日本に留学する。千葉大理学部に入り、大学院にまで進んだ彼は、祖国の井戸がヒ素で汚染されていることを知り、自然科学研究科の水文学を専攻し、地下水に関する論文にまとめる。ことし3月大学院を修了したが、来日して7年半の歳月がたっていた。当然、日本語もうまくなった。
滞日中、モニラさんは通訳のアルバイトなどをしながら、母親に仕送りを続けた。その仕送りで母親はプノンペン市内に家を建て、現在は一族(母親と祖父、いとこ2人、モニラさんの計5人)がこの家に住んでいる。モニラさんは「いとこには父親がいないので、大学を卒業するまで面倒をみたい」と話す。以前、ポルトガルを旅した際、ガイドの女性から、20数年前日本に留学し、アルバイトで貯めた資金でリスボンに高級マンションを購入したという話を聞いたことがある。ガンバリ屋はいつの時代にもいるのである。
モニラさんの母親への思いは強い。05年には日本に呼んで各地を案内した。母の喜ぶ顔を見て、モニラさんは嬉しかった。大学院の修了が決まったことし3月には母親と親類を日本に招待した。親類が先に帰った後、残った母親を桜が満開の京都にも案内した。カンボジアは、戦争の影がまだ消えていない。地雷の被害に遭った女性を集めた「ミス地雷コンテスト」や傷痍軍人会と地元農民との間で土地紛争が起きているというニュースもある。モニラさんの母親もまた、戦争の犠牲者の一人だ。それだけに、女手一つでここまで育ててくれた母親への感謝の気持ちは大きいようだ。
帰国したモニラさんに対し各方面から声がかかり、7月から日本の精米機製造・販売メーカー(本社、富山市)のプノンペン駐在社員になることが決まった。日本で研修後、カンボジア事務所を開設、カンボジア国内で精米機の販売などを担当するが、将来は政治家という夢も持っている。「カンボジアを自分の力でいい方向へ変えていきたい」と思うからだ。
モニラさんのように、外国人から日本に留学する学生数は年々増えている。独立行政法人日本学生支援機構によると、2007年には約11万850人の留学生が日本の大学や大学院、専修学校で学んでおり、その大半がアジアからの学生だ。だがその数は、約60万人といわれる米国に比べれば少ない。かつて、日本に留学し、日本人女性と結婚したスリランカの会社経営者が「3人の子ども全員を米国に留学させた」と話していたことを思い出した。日本語よりも英語の方が将来役に立つからだという説明だった。しかし、言葉の問題だけではないのではないかとその時、思った。アジアの人々に、日本の魅力はなくなったのだろうか。
モニラさんは、日本の長所、短所を知り尽くしている。特にマナーのよさ、仕事への熱意は、祖国の人々にも学んでほしいと思う。4月中旬、母親とともに帰国した彼は、日本の生活に慣れたためトラックの洪水、道に平気でゴミを捨てる人の姿にイライラしたという。日本を懐かしいと思うことが多く、「ホームシックになったみたいだ」と連絡してきた。しかし彼自身、祖国の生活に慣れるのは「時間の問題」と自覚している。しばらくすれば、若いリーダーの一人として、活躍するモニラさんの姿を見ることができるだろう。