現代の風景

《36》 ある柔道少女の物語 札幌・東京・米国へ

《36》 ある柔道少女の物語 札幌・東京・米国へ

かつて札幌に住んだことがある。そこで、一人の柔道少女に出会った。不思議な雰囲気を持った少女だった。天才柔道少女から世界的柔道選手になり、参院議員へと転身した谷亮子さんの姿を見ていたら、この少女のことを思い出した。
この少女は、私の部屋の向かいに住んでいた。後で知ったことだが、父親が東京の新聞社から札幌のテレビ局に出向となり、両親とともに東京からやってきたようだ。ある土曜日のことだ。私は通っていたスポーツジムに行くためエレベーターに乗った。ちょうど、同じ階で柔道着姿の「男の子」のような子どもが私の後から乗ってきた。それが、少女との出会いだった。
髪を短く刈っていて、顔つきも少年のようだ。体もまだ小さい。「こんにちわ。柔道に行くのかい?何年生」と聞くと、「こんにちわ」とあいさつを返した子どもは「小学3年生です。この近くに柔道の練習場があるんです」といって、笑顔を見せる。「そうか。頑張れよ」といって、私はエレベーターを降り、柔道着姿の子どもを見送った。この時、柔道の好きな少年が前の部屋に住んでいるのだと思い込んだ。
その子どもとは、毎週のように顔を合わせた。四季折々、短い言葉で話をした。多くは柔道着姿で、冬にはスキーウェア姿をしていることもあった。私もスキーをやるので「いつか一緒にスキーをやろうな」などと、話したこともある。
1年近くが過ぎて、初めて父親と顔を合わせた。「東京に戻ることになりましたので」と、奥さんとともにあいさつに来たのだ。後ろには、隠れるようにして「柔道少年」が立っている。私は「それじゃあ、息子さんが残念に思っているでしょうね」と私が言うと、父親は不思議なことを言い出した。
「あなたも娘を男と間違えていたんですか」と言って、奥さんと二人で笑っている。「よく間違えられるんですよ」とも語り、「いつも娘と話をしてくれていたそうですね。ありがとうございました。娘は隣のおじさんとこんなことを話したよと、うれしそうにいつも話してくれていました」と付け加えた。娘さんも、私の顔を見ながらおかしそうに笑っている。寂しい別れのはずなのに、笑いながら私たちは別れた。
一家が去った後、行きつけの床屋さんにこの話をすると、あの少女も床屋さんの常連で、いつも髪を短く切っていたという。もちろん床屋さんは、女の子と知っていたが、男の子のような雰囲気があったので、私が間違えてもおかしくないと言うのだ。床屋さんは「○○ちゃんが大好きでした。素直で本当にいい子でした。だから、あの子が東京に行ってしまって寂しくて・・・」としんみりと話してくれた。東京に戻った少女は、その後数年して両親とともに米国に渡ったと聞いた。彼女が柔道でどの程度の力量の持ち主だったか知らないが、柔道着姿で楽しそうな顔をしていたのだから、柔道を愛していたに違いない。
この後、私はもう一人の柔道少年と出会った。こちらは間違いなく少年である。光田太一君(15)だ。中学の柔道部員だった光田君は、08年8月の夜、香川県さぬき市の海岸をランニング中に海でおぼれている男子中学生(14)と男性(31)の2人を見つけ、近くにいた子ども会の保護者からペットボトルでつくったいかだを借り、潮の流れが速い海に飛び込んだ。約5分で50メートル離れた現場にたどり着き、2人をいかだにつかまらせて、30分かけて岸まで戻り、救助に成功した。
光田君は、09年11月、社会貢献者として表彰されるため上京した。坊主頭、つめ入りの学生服姿の光田君は「あの時は夢中でしたが、いま考えると怖いです」と、はにかみながら話してくれた。柔道の名門高校に進学して柔道選手として成長したいと語るその姿は頼もしく、私はうれしくて心があたたかくなった。
私が少年のころ、友人の一人が父親の事業の失敗で、急に私たちの前から姿を消した。その友人と連絡がつき最近再会した。彼は「故郷を離れるのがつらかったが、中学から始めた柔道が新しい町で生きる支えになった」と、当時の心境を話してくれた。そうなのかと思った。札幌や東京の友人たちと別れて米国に行った少女も、初めての外国で柔道をやっていたことを支えに、頑張ったのかもしれない。田村さんのようにスポットライトを浴びなくても、彼女なりに柔道を通じて何かをつかんのだと思うのだ。
柔道少女一家と別れてから10年近い歳月が流れた。彼女は18歳になっているはずだ。体も心も成長し、美しい女性に変身しているかもしれない。