現代の風景

[ 2010-08-02]

現代の風景

石井 克則


《37》 ひた向きに生きる 強靭な精神力と優しさと

花に慰められて・・・
花に慰められて・・・

それまで、私はボランティアという人たちに全く関心を持っていなかった。30年近く前のことだ。私の前に一人の女性が現れた。腰は曲がり、顔には深いしわが幾筋も入っている。70歳を過ぎたその女性は、私のこの後の生き方に大きな影響を与えることになる。間もなく8月。65年前の8月を境にこの女性の人生は大きく変わった。彼女が年老いながらもボランティアを続けたのは、どんな思いからだったのだろうか。

「時代の波に翻弄された人生」。Kさんという女医の話を聞きながら、最初はそう思った。だが、それだけでないことに後になって気付いた。1981年(昭和56年)3月、Kさんがかかわるボランティア団体などが国に要請していた中国残留孤児たちの「訪日肉親捜し」が始まった。会場は、かつて東京五輪の選手村として使われた代々木の国立オリンピック記念青少年総合センターだった。この会場で中国残留孤児たちに面会し、激励する女性がいた。それがKさんだった。

その姿に関心を持った私は団体の事務所に行き、Kさんから話を聞いた。さらに日曜になると、車で片道2時間半をかけて埼玉県寄居町まで通い、取材を続けた。彼女の話には私をひきつける不思議な力があったのだと思う。往復で5時間、インタビューで数時間。それで1日は終わった。そんな休日の過ごし方が半年続いた。

明治時代、埼玉県の旧家に生まれた彼女は医師を目指して吉岡弥生が創設した東京女子医学専門学校(現在の東京女子医大)に昭和の初めに入学した。在学中、日本の大学に留学していた中国人と知り合って結婚、医専卒業後、夫とともに旧満州の瀋陽(当時は奉天)に渡り、医師としてのスタートを切る。軍人だった夫とは死別、2人の子どもを育てる。

旧ソ連に近い富錦という街で医者として日本の敗戦を迎えるが、彼女はソ連の一方的な参戦で修羅場と化した旧満州から避難はせず、そのまま富錦に残る選択をする。事情があって、当時子どもを別の町に住む知り合いに預けていたからだ。子どもと再会できたが、ソ連軍に代わって入ってきた中国共産党軍によってチャムス市の病院で働くよう指示され、チャムスでの生活が長い間続くことになる。彼女は、戦前の自分の生活を振り返って「奔放に生きたような気がして、恩返しのためチャムスで医者の仕事を続けたのです」と話した。妻子ある軍人を追って富錦に移ったことも打ち明け「恥ずかしい時代でした」と振り返った。

共産党軍と蒋介石の国民党軍の内戦が終わり、1949年に中華人民共和国が誕生するが、その後も中国は激動の歴史が続く。チャムスという地方都市に住むKさんも例外ではなかった。反右派闘争、大躍進政策の失敗、そして毛沢東の主導による1966年からの文化大革命だ。Kさんは市立病院の中心的存在として働く。文革中は投獄こそ免れたが、不自由な生活を強いられ、家族も辛酸をなめる。1972年に日中の国交が回復、数年後Kさんたち中国残留婦人の日本への一時帰国が許される。埼玉県の親類を頼って一時帰国したKさんは永住帰国の意思を固め、1978年にそれが実現する。

帰国後、埼玉の肢体不自由児施設で医師として働きながら、中国残留孤児問題のボランティアを始めたことが、私と出会うきっかけだ。中国にいたころ多くの残留孤児がKさんのもとにやってきた。彼女は様々な相談を受け、日本の厚生省(現在の厚生労働省)や県庁などに孤児たちの身寄りを探してほしいと手紙を書き続け、孤児たちからは「チャムスのお母さん」と呼ばれ、信頼されていた。帰国後も肉親が見つからない孤児たちのために働くのは当然だと考え、行動に移していた。

長い間の無理がたたって体調はよくない。それでも、中国残留孤児たちがやってくる度に寄居町から東京に通い、日本語のできない孤児たちの力になろうと中国語で相談に乗った。肉親が見つかれば、一緒になって喜び、失意のまま中国へ帰る孤児たちを成田空港まで見送った。

そんなKさんに、私は何でそんなに一生懸命なのか聞いたことがある。すると、「吉岡弥生先生の教えがあったからですよ」という答えが返ってきた。吉岡弥生は静岡県の医者の娘に生まれ、苦労して医者になるが、女性の門戸が狭いことを憂い、東京女子医専を設立、自立した女性の先駆者といわれた。吉岡弥生は女性の自立を訴え、社会や人のために尽くすことを教えた。これがKさんの生きる支えになったというのだ。

Kさんは2人の子どもが家族とともに中国から永住帰国するのを見届け、埼玉県で亡くなった。その生涯から「強い精神力と優しさ」が感じられ、私には忘れることができない存在だ。彼女がこの世を去って長い年月が経つ。しかし、いまでも怠惰な時間を過ごしているときなど、ふと彼女のことを思い出し、身が引き締まる。「ひた向きに生きなさい」という彼女の言葉が聞こえてくるような気がするのだ。





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