現代の風景

[ 2010-09-27]

現代の風景

石井 克則


《41》戦争の実相を探りたい 占守島そして戦没商船

鎮魂のハス
鎮魂のハス

浅田次郎の近著「終わらざる夏」は、太平洋戦争末期から終戦後にかけての千島列島最北端のカムチャッカ半島に近い占守島(シュムシュ島)の攻防をめぐる物語だ。日本が連合国に無条件降伏したあと攻め込んできたソ連軍と日本軍との間で戦闘があったことはあまり知られていない。この戦闘の中で島の缶詰工場に働いていた女性たち400—500人が独航船に乗って緊迫した状況下で島を脱出したという実話も残されている。太平洋戦争では漁船を含む多くの商船が徴用されて海の藻屑になっており、島では独航船だけが頼りだったのだ。

独航船は母船に付属して実際に漁獲をする船のことで、当時脱出に使われたものは30トン級だったといわれる。神戸にある「戦没した船と海員の資料館」によると、太平洋戦争で沈んだ日本の商船は7240隻で、1595隻の漁船も犠牲になった。占守島は戦前、日本軍の守備隊(陸海軍計2万4500人)が配置され、日魯漁業の缶詰工場もあった。動員された女子高校生らの女子工員400—500人を含む2000人を超える民間人がいたという。しかし、これらの人たちが一緒になって避難する大型の船はなかった。軍自体も輸送船が底をついてしまったため、守備隊をほかへ移動させることができかなったというのだ。

8月15日の昭和天皇の玉音放送の後、日魯漁業は北海道に民間人を送還する方針を決めた。しかし軍の許可が出ない。この後、18日にソ連軍が攻め込んできて戦闘が起きる。このまま戦闘が続けば、女性ら民間人の運命も変わっていたかもしれない。戦闘は8月19日になって小康状態になった。しかも島は濃霧に見舞われた。

そのすきを突いて、女子工員たちを乗せた26隻の独航船が島を離れた。ソ連軍機の爆撃をかいくぐりながらの必死の脱出作戦だった。その結果、難破して中部千島でソ連軍に拘束された1隻を除き無事北海道に帰還することができた。北海道の根室から占守島までは約1200キロもあり、東京と博多間に相当する遠い距離だ。30トン余りの船に揺られて避難する少女たちはどんな思いで乗っていたのだろう。太平洋戦争当時は民間の船といえども安全ではなかったから、死の恐怖と闘いながら一刻も早く北海道に到着することを祈り続けたに違いない。

この4カ月前の1945年4月1日、民間船が米潜水艦に攻撃され、沈没するという「阿波丸事件」が起きている。シンガポールを出港した日本の貨客船・阿波丸が台湾海峡で米潜水艦の魚雷攻撃を受けて沈没、乗組員1人(司厨員)を除く2129人(2045人という説もある)が死亡したのだ。阿波丸は連合国側の要請で南方に抑留されていた捕虜や民間人に対する救援品の輸送に当たっており、国際法でその安全が保障されている緑十字船だったが、米側は駆逐艦と誤って攻撃したようだ。犠牲者の中には浦和市出身の外交官もいた。彼は4人兄弟の長男で、3人の弟たちも相前後して全員が戦死し、母親だけが一人残されたという悲劇があったことを作家の神崎次郎は「今日われ生きてあり」という本の中で記している。

太平洋戦争で戦没した商船については、戦没した船と海員の資料館が日本財団の支援で2年前にデーターベース化している。沈没した場所、乗船していた部隊名・船団名などを防衛省戦史室や米国立公文書館、日本の船舶会社などの資料を調べ、全容をまとめたものだ。商船の軍事用への徴用は1942年のガダルカナルの戦闘で多くの輸送船を失ったため急激に増えたといわれ、戦争に巻き込まれた多くの商船が沈没した。同資料館によると、このうち1944年2月にインドネシア・バリ島付近で米潜水艦の魚雷攻撃で撃沈された丹後丸(6200トン)と隆西丸(4805トン)は合わせて1万700人以上が犠牲になった。両船は日本兵のほかインド兵2865人やインドネシアの労働者2559人を乗せてスラバヤからアンボンに向け航行中だったという。

浅田という著名な作家によって占守島という小さな島の存在を知った人は少なくないだろう。浅田はかつて阿波丸をモデルにした「シェエラザード」という本も書いている。最近出たテレビの番組で「私の世代は戦争を全く知らない、そして一番苦労を知らないで生きてきた。戦争で亡くなった人たちを数字でとらえてはならない。普通の人たちが戦争にどのようにひきずられて行ったのか、その実相を小説家として書きたかった」と語っている。ことしは戦後65年になるが、その実相を探る個人やチームの作業はまだ続いているのだ。

島での戦いはどうなったのだろうか。日本軍の停戦申し入れに対しソ連側は降伏と武装解除を要求、日本側は23日ソ連の要求に応じた。日本の兵士は捕虜となり、理不尽にもシベリアで強制労働に従事させられる。いま、占守島はソ連崩壊後に成立したロシアが実効支配を続けているが、夏は濃霧に覆われる日が多く、冬は氷点下15度まで下がるなど厳しい自然環境から定住者はほとんどいないとみられている。





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