現代の風景

[ 2011-05-02]

現代の風景

石井 克則


《59》2人の女性からの便り 無常の世に生きる

無常の時代の次は・・・
無常の時代の次は・・・

東日本大震災から50日以上が過ぎた。政府の復興構想会議のメンバーになった岩手、宮城、福島3県の知事のうち岩手、宮城両県知事は具体的な復興案を提示した。しかし、東電福島第一原発事故収束の見通しが立たない福島県の知事は、原発問題の解決が最優先だとして復興案を提示することはできなかった。深刻化する原発問題。周辺の住民たちだけでなく多くの県民が依然不安な日々を送っているのだ。苦難に直面した原発の周辺に住む一人の女性から、普通の生活を奪われた現地の日常を理解してほしいという便りをもらった。続いて、岩手にボランティアとして駆け付けた理容師からもメールが届いた。被災者と被災者を見守る人たち、いまその思いは・・・。

▽その1 南相馬でクリーニング会社を営む女性から(原文を一部略)

私の住む南相馬市原町区は、原発事故で30キロ圏内に入って屋内退避が続いています。精魂込めて培ってきた会社、社員、お客様、地域のすべてが根底から崩壊してしまいました。4つのテナント店は閉鎖、本店もやっと、おそるおそる半日営業を始めたところです。いつ避難命令が出るか、はた また屋内退避が解除になるのか、毎日テレビのニュースにくぎ付けになっています。(政府は4月21日、20キロ圏内は警戒区域に指定、22日午前零時から立ち入りを制限した)

津波で家や家族を失った人、小さい子供を抱えて避難所を転々としている人、20キロ圏内に住んでいたため数時間の間に強制的に避難バスに乗せられ連れ出されてしまった人、様々な出来事が30人の従業員の身に降りかかりました。みんなばらばらになり、寄る辺ない不安の中で毎日を過ごしています。会社は休業届けを出して従業員の給料を最低限確保しましたが、矛盾だらけのこの国の法律に、はらわたが煮えくり返るほどの強い怒りを抱えています。

当たり前に思っていた日常生活が本当に数時間で国家によって崩されてしまったのです。これは自然災害ではありません。人為的災害です。みなさんは津波の災害と原発事故の災害を同じ感覚で見ているかもしれませんが、とんでもない違いです。私たちは水道も電気もガスも今では物資もガソリンも普通にあるのに、透明なバリアを張られて、閉じ込められています。

この地域はいまや、日本という国から抹殺されようとしていると感じる出来事が続いています。新聞も郵便も銀行も荷物も、30キロ圏内というだけで届かなくなっています。実際、20キロ圏内の人たちはそうされてしまっています。津波で家族を失った20キロ圏内の人たちは、放射能汚染の恐れがあるとの理由で遺体を捜しに行くこともできません。こんなことが悲しみと共にささやかれています。「このごろ、カラスの姿が少ないよね。みんな浜に行っているみたいだよ。いまどき、鳥葬なんてむごすぎる」

次々と出される復興支援と称する金融や雇用の助成政策も、過去の例に倣った基準がそのままで言葉だけが「震災支援」と付け加えられて実行されるので、 いつも「対象外」または「現実にそぐわない」という壁に突き当たります。会社にとって、従業員は大切な宝です。資金は血液です。それを一番に支えてくれるはずの国家の施策は、残念ながら今のところ末端までは届いていません。

これは人災です。明日あなた方の身にも降りかかるかもしれない人災です。どうぞ、このことに気づいてください。原発事故は人災です。空に海に放たれた 放射能が、私たちの暮らしを縛り付けています。自分の会社の社員に、30キロ圏内に仕事をしに行けと命じることができますか?機械やトラックや資材を出し ますか?避難命令が出るかもしれない地域の会社に、新たな融資をしますか?会社運営、経済原則に則れば答えは「ノー」です。当たり前のことです。

こうして30キロ圏には見えないバリアが張られていくのです。人災は、人間の叡智で防げるもの。今出来ること、それは外側に居る皆さんに、この出来事を 自分の身に置き換えて私たちの声にならない不安、いらだち、怒り、悲しみをリアルに想像して欲しいのです。それを感じたとき、初めて人間の叡智が働き始める、そうであってほしいと願っています。どうぞ、私たちの存在を忘れないで下さい!

電気を使う時、思い起こしてください。この電気は、30キロ圏の人々の犠牲の上に成り立っているかもしれないということを。この絶望から私たちが抜け出せるとしたら、それは外側にいる人たちがこの苦しみに共感して「おかしい、何とかしなくちゃ」という声を国家や社会に向けて発信してくれること、そして その声が我々の場所にまで届いてくるような大きさになることです。

どうぞ、あなたの周りの人に、「かわいそうな南相馬」ではなく「自分の身に起こりうる理不尽な出来事」としてこの現実を知って伝えてください。政治批判に費やす時間を、真の復興プロジェクトを構築する叡智の結集の時間に変えてください。そのことこそ、私たちに希望と生きる力をもたらす原動力となるのです。「知ってください」これが今の私にできる精一杯のことです。

▽その2 岩手に駆け付けつけたカット・ボランティアから

私は震災で大きな被害を受けた岩手県陸前高田市にボランティアとして行ってきました。札幌から自分の車で現地に向かい、女性を中心にカットのサービスをしてきたのです。報道で被災地の惨状を見て、いても立ってもいられず、ボランティア活動をする決心をしたのですが、個人で勝手に行けば、被災地の人たちに迷惑になることはわかっていましたので、常連の人に行き先を紹介してもらいました。

私は札幌市内で理髪店を一人で営んでいますが、休みにはオートバイや乗用車で遠出をすることがあります。乗用車のときには車中泊をするのも平気です。今回は店の常連たちがフェリー代などをカンパしてくれたので、車で現地に行くことにしました。被災した人たちには迷惑をかけないことを前提に1週間分の食料や下着類を車に積み込んで札幌を出発しました。

苫小牧から秋田までフェリーに乗り、秋田に到着後、秋田道、東北道を経由して知り合いがいる宮城 県多賀城市を経由して車中泊をして、目的地の陸前高田市に入りました。ここはご存じの通り、岩手県でも特に津波の被害が大きかった市です。被災地は社会科で習った原爆や空襲に遭った跡のようでした。ショックでしたよ。

私が行ったのは、避難所にもなっている特別養護老人ホームでした。ここで2日間ひたすら被災者の髪をカットしました。1日40人ずつだから、2日で80人になりました。気を張ってやりましたが、仕事でこんなに大勢のカットをしたことはありません。

私は、仕事のとき、お客さんと話をするのが楽しみです。本当にいろいろなことを教えてもらっています。でも、今度は私から話しかけるのはやめました。もちろん、身内が助かった人たちは比較的話をしてくれました。でも、家族を失った人は顔を見るだけですぐに分かりました。そんな人にかける言葉は思い浮かびませんでした。それはつらい経験でした。

私は避難所には泊まらず、車中泊を続け食料も自分で持って行きましたが、避難所ではいろいろな話を聞きました。

「震災当日、陸前高田から大船渡の美容院に行って、陸前高田に戻ってみたら家族全員が津波で流されていて、1人だけ残された」
「奥さんと子供を失った37歳の男性は、前途にもう希望がないと自殺してしまった」
「たまたまいた体育館で、天井の10センチまで水につかりながら、何人かが助かった」
「ふだんから避難訓練をしているホテルでは地震直後、バス2台で客や従業員らを運び、全員無事だったそうだ」「津波に追われ、家族とともに避難する途中、もう歩けない、わしはいいと言って、おじいちゃんが津波にのまれた」

こんな話が被災地には数限りなくあるのだと思います。それは被災者にとって、生涯で一番つらい思い出になることでしょう。私も被災地を見ていて、感覚がおかしくなりました。いままで見たことがない光景でした。ある人は、これが地獄の世界かもしれないと言いました。そうなのかもしれません。こんな惨状に、どう向き合えばいいのでしょうか。よく分かりません。私など何の役にも立たない、無力だと感じました。人生がこんなにつらいと思ったことはありません。

▽災害が相次いだ鴨長明の時代、現代もまた

2人の便りを読んで、鴨長明を思い浮かべた。約800年前の平安時代末期から鎌倉時代初期に生きた鴨長明は「方丈記」というすぐれた作品を残している。当時も大地震、大火災、飢饉、竜巻といった災害が相次いだ。「方丈記」の中で長明は、そうした災害に関して記述したあと、以下のようにこの世がいかに生きにくいかを嘆いている。現代に生きる私たちも、無常の世が繰り返しやってくることを東日本震災によって思い知らされた。

すべて、世の中のありにくく、我が身と栖(すみか)との、はかなく、あだなるさま、またかくのごとし。いはんや、所により、身のほどにしたがひつつ、心を悩ますことは、あげてかぞふべからず。(方丈記24「無常の世に生きる人々」)

現代訳 この世を生きていくこと自体、大変なことなのだ。人間である自分自身と住みかとが命短くて頼りない様もまた、これまで述べてきた災害の例から見ても分かる通りだ。自分1人でさえもそうなのだから、人それぞれに住んでいる環境や身分・立場に応じて生まれてくる苦労の種は、いちいち数え上げたらきりがないほどに多い。(武田友宏編 方丈記全より)



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