現代の風景

[ 2011-10-24]

現代の風景

石井 克則


《70》宝の海を奪われても  被災地・三陸の海女たち

三陸には宝の海が・・・
三陸には宝の海が・・・

東日本大震災は、三陸の漁場を荒涼たる海に変えた。宮城県石巻市の牡鹿半島西南に位置する網地島(あじしま)沖合にも多くの遺体が流れてきたという。この島に住み、宮城県内で歌謡教室の先生をやりながら海女を続けている小野寺たつえさん(68)は、震災以来これまで海にもぐることができなかった。「島周辺の海は宝の海。この海で生かされている」と話す小野寺さんが、海に戻る日は来るのだろうか。

手元に「日本列島海女存在確認調査報告書」という冊子がある。海女というのは、海にもぐってアワビやウニ、コンブなどの海産物を採っている女性のことで、この報告書は国内にいる海女の実態を調査した貴重な資料だ。冊子をめくっていて、東日本大震災の被災地、三陸沿岸の岩手県久慈市に85人、宮城県石巻市の網地島に17人、計102人の海女がいることを知った。かつて国内には1万人を超える海女がいた時代もあったが、高齢化現象や後継者不足で減少の一途をたどっているという。三陸もその例外ではなかった。大震災も重なり海に生きる女性たちにとって、つらい日々が続いている。

この調査は三重県鳥羽市の海の博物館(財団法人 東海水産科学協会)が昨年実施し、ことし3月にその結果をまとめたものだ。全国の海女数は、1956年(昭和31)の1万7611人をピークに減り始め、水産庁の1978年(昭和53)の調査では9134人と1万人台を割った。32年ぶりの調査になった今回は2074人まで激減している。鳥羽・志摩という好漁場を持ち全国一の三重県でさえ、1956年の7213人から973人まで減ってしまった。こんな数字が並ぶ報告書を読んで、海女という存在が日本の海から次第に姿を消しつつある現実を知った。

報告書には三陸の海女のことも紹介され、網地島には小野寺さんを含む17人の海女がいることが記録されている。小野寺さんは島で生まれ育ち、結婚した。海女の仕事は中学生時代から50年以上も続けている。この島は、かつては遠洋漁業の基地として活気があり、昭和30年代は人口も3000人を超えていた。しかし現在は493人まで減少、一方で近くにある田代島とともにネコが多い島ともいわれている。

小野寺さんは島の南端の長渡という地区に暮らし、プロの歌手として石巻市内や東松島などで歌謡教室を開き、さらに消防団活動をしながら年間15—20日間海にもぐる。他の海女に比べると12メートルという深いところまでもぐることができる特技を持ち、アワビのほかウニやフノリ、ツノマタ、コンブも採る。ある年のアワビの開口日には16.8キロ(約10万円)も採り、仲間から男女合わせても横綱級だと尊敬されている。

しかし、東日本大震災はこの島も容赦はしなかった。死者、行方不明者こそいなかったが、海に近い民家20数軒が津波で流され、地震のために多くの住宅が壊れた。小野寺さんの家も外壁が崩れ落ちてしまった。港は津波で破壊され、漁に使う船もほとんど流され、残った船も船外機が水に浸かって使用不能になった。岸壁は1.2メートルも沈下し、満潮時には桟橋は海水にもぐってしまうため、かさ上げ工事が実施されている状態だ。6月のアワビ漁の時期に漁に出る人はなく、全部で7つ持っていた小野寺さんの歌謡教室には63人の生徒がいたが、津波で6人が亡くなり、歌謡教室も開けなくなった。

だが、小野寺さんには持ち前の明るさがある。倒壊を免れた島の公民館に震災以来6カ月通い詰めて救援物資を島民に配り、途中から島の女性たちを組織して婦人会青空復興市をスタートさせ、100種類以上の日用品の販売をしているのだ。島に1軒だけあった日用品を扱う店が震災後にやめてしまったため、いまでは島民の日用品の確保はこの復興市が頼りなのだという。

小野寺さんは「震災から立ち上がるために、島全体が一体になった。高齢化が激しいが、島にある病院は石巻の日赤病院と連携しているので、みんな安心して暮らしている」と現状を話す。さらに「やってきたことを再開しないと前に進まない」と思い、最近、石巻市内と地元の長渡地区で歌謡教室も始めた。

11月にはアワビ漁の開口(解禁)となる。「身についたものだから、開口になればいつでももぐることはできる。肺活量と目がいいのか、まだやれると思う」と小野寺さん。しかし、島にいる17人の海女の平均年齢は70歳と高齢化が進んでおり、この震災が引き金になってやめる人も出てきて、漁の再開時には12、3人に減ってしまうかもしれないと心配する。

海女については、韓国・済州道(島)が国際的に保護される無形文化遺産登録を目指して、日本に共同行動を呼び掛けている。未曽有の大津波に襲われながらも海に生きようとする小野寺さんたちこそ、その価値があるのではないか。


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