現代の風景

《76》不安の時代をどう生きる ムンクとピカソとトインビーと…

《76》不安の時代をどう生きる ムンクとピカソとトインビーと…

国連開発計画(UNDP)は毎年、世界各国の生活の豊かさを示す「人間開発指数」を発表している。2009年から3年連続してトップだったのは、北欧の海洋国ノルウェーだ。この国出身のエドヴァルド・ムンク(1863—1944)の油絵「叫び」は、人間の苦悩を示した作品として知られている。あと1カ月余で東日本大震災から1年を迎える。しかし、原発事故を抱えた福島をはじめ被災地には曙光が見えず、「叫び」の中の人物と被災地の人たちの顔が重なってしまう。
ムンクの「叫び」は4点制作され、うち1点はノルウェーの首都・オスロ中心部にある国立美術館の「ムンクの部屋」に展示されている。昨年9月。赤く染まったフィヨルドを背景に両耳を手で覆い、恐怖に顔を引きつらせた人物を描いたムンクの絵の前で、私は大震災に襲われた人たちを思い出して呆然と立ち尽くした。
ムンクは子どものころに母親を、少年のときに姉を同じ結核で亡くした。自身も幼いころは虚弱体質で長生きできないといわれており、死を常に意識していたという。画家になったムンクはそうした家庭環境から「愛」と「死」がもたらす「不安」をテーマにした「生命のフリーズ」という作品群を残した。1893年に制作された「叫び」はこの作品群に入る傑作で、ムンクの代表作だ。
≪夕暮れの時、私は2人の友人とともに歩いていた。すると、突然空が血のような赤に染まり、私は立ちすくみ、疲れ果ててフェンスに寄りかかった。それは血と炎が青黒いフィヨルドと街に覆いかぶさるようだった。友人は歩き続けたが、私はそこに立ち尽くしたまま不安に震え、戦っていた。そして自然を貫く果てしなく、終わることのない叫びを聞いた≫(ムンクの日記より)
ムンクは、この絵を通じて人間の心の中にある不安を表現したのである。100年以上の時を経て、彼の母国のノルウェーはいま、UNDPによる人間開発指数で世界のトップに上り詰めた。これは平均寿命や教育水準(成人識字率と就学率)、国民所得を総合評価し、生活の豊かさを示す指標である。ノルウェーは幸福度という点でも上位にランクされている。
人間開発指数は1990年に「人間開発報告書」の中で初めて公表された。報告書冒頭には「人々はまさに国家の宝である」と記された。しかし、世界を見てみると国家の宝であるはずの人間の命は軽いと言わざるを得ない状況が続いている。2006年、この指数で世界7位になった日本は東日本大震災が発生した2011年には11位まで下がった。この震災では15845人が亡くなり、3367人が行方不明(警察庁・1月30日発表)になっている。さらに33万5000人が家を離れて避難生活(復興対策本部2011年12月21日発表。うち31万7000人が公営住宅や仮設住宅などに入居)を余儀なくされている。原発事故が尾を引く福島から離れる人たちも後を絶たない。ムンクの絵のような光景がノルウェーから遠く離れた日本でも再現され、不安な時代を嘆く人は少なくない。
ムンクの「叫び」と同じくらい強い衝撃を受けた絵がある。スペインの画家、パブロ・ピカソ(1881—1973)の「ゲルニカ」だ。スペイン内戦当時の1937年4月26日、フランコ将軍側を支援したナチスドイツが小都市ゲルニカを無差別に空爆し、多くの市民が犠牲になった。滞在中のパリでその報を聞いたピカソは怒りの思いを込めて縦3.5メートル、横7.8メートルという巨大な作品を描いた。天を仰ぐ人や倒れた人、子どもを抱えた母親、いななく馬と人の目をした牛などが白と黒とグレーのモノトーンで描かれた作品だ。数年前、マドリードのソフィア王妃芸術センターを訪れ、2階のピカソ展示室でこの絵を見た。多くの人が、私と同様この絵の前から立ち去ろうとしない。
ムンクとピカソが生きた19世紀—20世紀は、帝国主義の興隆と2次にわたる世界大戦という激動の歴史を刻んだ。特に20世紀は戦争の世紀といわれ、おびただしい命が奪われた。イギリスの歴史学者、アーノルド・J・トインビー(1889—1975)は「歴史の研究」という本で各文明の誕生から解体までを論考した。その結論として「どんな高度な文明でもいつかは内部から壊れる。それは内部の慢心によるもので、この歴史は繰り返される」と指摘している。人類は興隆と没落の歴史を繰り返しているというのである。19世紀—20世紀は、こうした歴史を象徴したような時代だった。
第2次大戦の敗戦から経済の高度成長で不死鳥のように立ち直った日本は、バブル経済の崩壊以降、舵取り役が不在のまま迷走を続けている。閉塞感に覆われている社会といわれる中、私たちを試すように東日本大震災が発生した。容赦ない自然の脅威に怯み、力尽き、心が折れそうになった人も少なくないだろう。
だが、次代を担う子どもたちは、潜在力を発揮して被災地でたくましく成長している。そんな子どもたちの話題に接することが少なくない。どのような時代でも子どもたちの瞳は輝いている。それを濁らせないようにするのは、社会の責任なのだ。