風の香り

《7》原田は「いい奴」「すごい」 国境越え中国で差別に取り組む

《7》原田は「いい奴」「すごい」 国境越え中国で差別に取り組む

中国のハンセン病村の村民やワークキャンプに参加する学生から「タイヌン(太郎)」の愛称で慕われる日本人の若者がいる。原田燎太郎。30歳。2003年、早大卒業後、ボランティアとして中国のハンセン病村に住み込み、現在はNGO「家—JIA」の代表を務める。年間60~70のキャンプを開催、アジア各国の団体との連帯を目指す姿にはスポーツ界や芸能界とは別の強い存在感がある。
原田さんは大学3年の02年、友人に誘われ広東省のハンセン病村のキャンプに初参加。翌年、嶺后村に移り住み約1年半、共同生活し言葉をマスター、翌年、NGO「JIA」(Joy in Action)を設立した。JIA(ジア)は中国語の発音で家。現在は広州市を拠点に広東、広西、湖南、湖北、海南で開催するワークキャンプの支援に奔走する。
4月、ハンセン病回復者の取材で広東省仏山市の高明譚山康復村を訪れた際、事務所に立ち寄り話を聞いた。まず、この世界に飛び込んだ理由。小中学校時代にいじめを受けた経験もあり、差別をなくしたい、というのが原点。マスコミを希望したが、「自分の心の中に差別意識があったら新聞記者にはなれない」とのこだわりもあり、就職試験の結果も新聞社をすべて落ちた。次いでハンセン病村の体験。感染しないと頭で分かっていても、最初は村人が差し出してくれる食事がうまくノドを通らなかった。しかし今は全く気にもならない。
話を聞いているうち、この若者が自分とは違う世界にいると感じたことを記憶する。筆者には「差別はいけない」という考えはあっても、だから新聞記者になれないという発想はなく、現実に30年を超す記者生活を送った。康復村では、回復者の老人が欠損した指で手渡してくれたジャガイモの湯煮を礼を言って食べたが、村人の視線がなければ恐らく食べなかったし、今後も同様のためらいを克服できる自信はない。

原田さんについてハンセン病村の村民は「タイヌンはいい奴だ」と笑顔を見せ、ワークキャンプで村人と交流する中国人学生も「彼はすごい」「信頼できる」と口をそろえた。12月5日には中国共産主義青年団広州委員会が「広州志願服務十大傑出志願者」の賞を贈りJIAに対する資金提供の可能性も示唆した。当の本人は妻の蔡潔珊さん、長女の嶺后ちゃんと帰国し、21日にはハンセン病制圧に取り組む日本財団、笹川記念保健協力財団メンバーとの勉強会に出席「自分たちの社会の問題を自分たちで解決する核をいろんなところにつくり、これがアジアを繋いでいくような形を作りたい」と語った。
自らのブログ「猪突盲進」にも「日本、中国をはじめ世界中の人々をワークキャンプによって繋げるため、日々奔走する」と記し支援を呼び掛けている。ハンセン病活動を通じて世界を結ぶ、というわけだ。夢は大きく、回復者を社会から隔離したハンセン病村の存在すら知らなかった中国人学生もワークキャンプに参加、治癒した後も差別を受ける回復者と交流することで確実にたくましく成長している。原田さんに続きインドネシアなどで活躍する日本人学生も増えており、JIAの活動が確実に輪を広げるのは間違いないと思う。
ただし活動の拠点となっている中国では、一党独裁の共産党が民主化の動きに神経をとがらせている。若者や市民の自発的行動であるNPOやNGO活動が活発になるのを手放しで喜ぶ土壌はない。十大傑出志願者選出にも「今の枠内で活動する限り認める」とのメッセージが込められているような気がする。あるいは、うがった見方かもしれない。勉強会では是非そのあたりを原田さんに聞きたかったが、残念なことに途中で呼び出しを受け機会を逃した。あらためて再会の機会を待ちながらJIAの今後を見守りたい。(了)
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