風の香り

《9》“島国”から抜け出せ 貪欲な外交を! トルコ建国の父像移設に思う

《9》“島国”から抜け出せ 貪欲な外交を! トルコ建国の父像移設に思う

1月末、本州最南端の町、和歌山県・串本町を訪問した。トルコ政府から新潟県柏崎市のテーマパーク「トルコ文化村」に贈られ、閉村後、人目につかぬ形で保管されていたトルコ建国の父、アタチュルク初代大統領の騎乗像がこの町に移設されることになり、補修・移設を支援する日本財団の担当者と下見を兼ねた訪問。串本町は120年前に同町沖で起きたオスマン帝国の軍艦エルトゥールル号の遭難以来、トルコと親交を持ち、像は最も座りのいい場所に落ち着く形となるが、政府がもっと前面に出て外交上のポイントとする手もあったのではないかー。
トルコは世界でも有数の親日国。アタチュルクは「父なるトルコ人」を意味する。救国の英雄として現在も国民の尊敬を集めるだけに、像の扱いはトルコ国内でも注目され、「建国の父に対し失礼」との報道も出ていた。そんな中、友好120周年に当たる今年は岡田外相が新年早々、首都アンカラで開かれた「トルコにおける日本年」の式典に出席していた。であるならば像の移設問題を政府が取り込み、手土産にするくらいの貪欲さがあっていい。
エ号が遭難したのは120年前の1890年9月16日。明治天皇表敬のためオスマン帝国から派遣され、帰途、台風のため串本町・紀伊大島沖の岩礁で難破、500人を超す乗組員が死亡する大惨事となった。島にはトルコ軍艦遭難慰霊碑、トルコ記念館もあり、アタチュルク像の除幕式は5年ごとの慰霊祭が行われる6月3日に行われる。当日は駐日トルコ大使のほか、トルコ本国からも海軍のトップが参加する予定だ。

遭難事故では島民の活動で69人が救助され、衣服から保存食まで動員した献身的な厚意がトルコでも大きく報道され、その後の日露戦争でトルコと対立関係にあったロシアに日本が勝利したこともあって親日観が形成された。イラン・イラク戦争さ中の1985年、トルコ政府が救援機を出しテヘランに足止めされた邦人265人を日本に送り届け、今度はトルコの厚意が日本で大きく報道された。
直後、駐日トルコ大使は「トルコの人たちはエルトゥールル号事故での日本人の献身的な活動を忘れていない」とコメント。救援機派遣が95年前のエ号遭難で受けた厚意に対する“恩返し”であることを明らかにし、多くの日本人が初めてエ号の美談を知った。
3年前、イスタンブールを訪問した際、日本財団関連の奨学生にエ号遭難について質問したことがある。多くの学生が1世紀以上前のエ号の悲劇を知っており、日本での記憶と大きな差があった。悲惨な記憶は当然、当事者の側に強く残る。記憶の濃淡を問題にするつもりはない。気になるのは、仮に立場が逆だった場合、日本政府に100年も前の事実を利用して外交的演出をする才覚があるか、ということだ。救援機の派遣、大使の発言とも、心憎いばかりのトルコの演出であった。

日本は長い歴史の中で海に守られてきたが故に、民族の存亡をかけ有史以来、激しい領土紛争を続けてきた大陸の国々に比べ国、国境意識が希薄といわれる。友好国、親日国の数はそのままその国の国際社会の地位、国益につながる。アタチュルク像問題もこうした感覚で外交に取り込むセンスこそ必要ではないか。
EEZ(排他的経済水域)の定着で現代は海にも陸と同様、明確な国境線が存在し、世界6番目の広大なEEZを持つ日本も、そのあり様を考える時期に来ている。いつまでも海に守られる“島国”というわけにはいかない。海洋国家として海をどう守っていくかー。アタチュルク像の移設問題を機に改めて考えさせられた。(了)
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