風の香り

《11》考えてみれば“妙案” 江戸城天守閣再建

《11》考えてみれば“妙案” 江戸城天守閣再建

産経新聞の「正論」に掲載された日本財団・笹川陽平会長の投稿「政官民の協力で江戸城の再建を」を読んだ。見出しを見て「この不景気な時代に何をいまさら」と一瞬、違和感を覚えたが、一読後、「閉塞感が漂うこの時代だからこそ妙案かもしれない」と納得した。その足で皇居東御苑を訪れると、驚くほど立派な石垣の台座が残り、当時の姿を再現できれば間違いなく江戸文化のメッカ、観光のシンボルになると心弾む思いさえした。

江戸城は幕府を開いた家康から15代将軍・慶喜まで約260年間、徳川氏が居城とした。家康から家光まで3代30年間にわたり全国の諸大名が参加して城普請が行われ、全体の規模は大阪城の2倍。徳川幕府の権力を示す全国一の巨城で、東御苑に残る石垣や大手門は今も圧倒的な存在感を持つ。
一方の天守閣。東御苑には巨石を積み上げた台座が残る。1辺44メートル四方、高さ18メートルというが、見た目にはもう少し低いような気もする。天守閣は2代・秀忠の時代の1607年に完成、その後、3代・家光の時代に大改修され、1638年に最終的に完成した。天守台に設けられた案内文によると、外観5層、内部は6階、地上からの高さは58メートル、NPO法人「江戸城再建を目指す会」のホームページには「大阪城より28メートル高かった」と記されている。
ただし異説もあるようで、宮内庁によると城の高さは44・8メートル、この上に3メートルの金の鯱鉾が載っていた。一方、江戸東京博物館は当方の質問に対し「天守閣があった東御苑の標高が20メートル、この上に高さ13メートルの台座、さらに45メートルの城があった」との説を紹介した上、「ただし諸説があり、確定値はない」と説明した。天守閣の設計図が東京都立中央図書館に残されているといわれ、いずれ詳細な数字が明らかになると思われるが、日本一の巨大な天主であったのは間違いない。
その天守閣は江戸の町の6割が焼失したといわれる明暦3年(1657)の大火で焼け落ち、わずか50年で姿を消した。時は4代家綱の時代。江戸幕府の安定期に当たるが、後見人として幕政を支えた会津藩主・保科正之の「天守を作ることで財を浪費するより焼けた町の再興を優先すべき」との進言で見送られ、現在に至るまで再建されていない。戦乱の世が終わり、戦闘用の天守閣が不要になった時代とはいえ、「国の明日」より「党の明日」を優先させ選挙向けに財源的裏付けのないマニフェストを乱発する最近の政治家に聞かせたいような話である。
それはさておき、江戸城天守閣の再建は、やはり実現してほしいと思う。「正論」にも書かれている通り、暗い世相を打ち破るには国民が参加できる前向きのプロジェクトこそ欠かせない。巨石をピッチリと積み上げた天守台はそのまま利用でき、国民の浄財で城だけでなく各階を昔のままに復元すればそのまま江戸文化の粋を集めた殿堂として日本を代表する観光資源にもなる。

ある意味で廃れゆく伝統技術を集大成し、後世に伝える最後の機会であり、近年、急速に高まる江戸文化の再評価にもつながる。政府は10年後の外国人観光客として2500万人、現在の3倍増を目指す。観光は最も即効性のある財政再建策であり、観光を通じて日本に親近感を持つ外国人が増えれば、そのまま国際外交にもつながる。
明暦の時代と逆に、天守閣の再建は低迷する日本経済の活性化、明るい世相を取り戻すためのカンフル剤となる。当然、賛否両論があり、前向きに取り組む場合も木造か鉄筋か、さらに国民の浄財をどう集め、東京都や国の関与をどうするか、様々な論点がある。
さらに台座の上に再建すれば西側に吹上御所を見下ろす形となる。警備・公安上の問題も含め、その是非について議論が起きることになろう。ただし勝手に推測すれば、再建に向け国民の総意がまとまれば、それが皇室に対する尊敬の念と矛盾するとは思えない。技術的な打開策もあろう。国民の総意を形にするには浄財を集めるのが一番いい。こうした点も含め幅広く活発な議論が起きるよう期待する。(了)
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