風の香り

《12》“際立つ外交感覚の違い“建国の父”像移設に改めて思う

《12》“際立つ外交感覚の違い“建国の父”像移設に改めて思う

新潟県柏崎市から友好の地、和歌山県・串本町に移設されることになったトルコ初代大統領ケマル・アタチュルクの騎乗像が3月18日、修復作業のため東京・お台場の船の科学館に移され、30日にはセリム・アタジャンル駐日大使が像と対面した。「ゆかりの地に“建国の父”像が落ち着くことになったのは、わが国にとって大きな朗報。両国の友好に大きく寄与する」。最大限の評価をする大使の話を聞きながら、しなやかな外交感覚を垣間見る気がした。

像の移転自体は歴史に残るような出来事ではない。しかし大使は120年前(1890年)に串本町沖で起きたオスマン帝国の軍艦エルトゥールル号の沈没事故にさかのぼり、今もトルコでは事故が小中学校の教材や各種出版物で広く取り上げられ、その時の串本の住民の献身と日本政府の厚意が今もトルコ国民の心に深く刻まれている、と強調した。
トルコの小中学校の教科書にエ号事故がどのように記載されているか残念ながら知らない。500人を超す殉難死が出た不幸な事故の記憶は、遭難現場である日本より当事国であるトルコの方が当然大きい。それに日本では1世紀以上前は「遠い昔」である。歴史に対する時間軸もトルコとは違う。大使と話しているうち、外国でしばしば覚える時間軸の違いも感じた。
イラン・イラク戦争さ中のトルコ特別機による邦人救出(1985年)も然り。大半の日本人は救出後「トルコ国民はあの時の恩を忘れていない」と語った当時の駐日トルコ大使の一言で、ようやく特別機が95年前のエ号事故に対する“お礼”であったことを知った。当時の模様に関しても大使は「外務省の航空課に籍を置き、(特別機の派遣決定に)極めて近い場所にいた」とした上で、「背景には国民の熱い親日観、支持があった」「特別機の派遣には多数のパイロットが進んで手を挙げた」とトルコの親日感情を強調した。

以後、日本に「トルコは親日国」の評価が定着し、親トルコの国民感情が定着した事実を見ると、「テヘランに足止めされた邦人救出」という歴史的には小さな出来事を、最大限に活用した見事な外交というしかない。今回の像移転は特別機に比べれば、さらに小さな出来事である。しかし大使はこれに関しても「日本とトルコの友好120年を記念するこの年に、今もトルコで大きな尊敬を集める建国の父の像が、日本とトルコの友好の地に運ばれることになったのは極めて意義深い」と最大限の位置付けをする。
外交とはODAに代表される資金援助がすべてではない。乱暴にその本質を言えば「敵」と「味方」を区別し、味方を増やすことであろう。中東地域は有史以来、民族の興亡が続いてきた。海に守られてきた日本にトルコほどの外交感覚を求めるのは地政学的にも無理があるかもしれない。当の日本の首相は「価値観が違う国と国が認め合う」友愛外交を進めるという。理念として有り得ても、厳しい国際情勢の中でそうした外交が現実味を持つとは、およそ考えにくい。アタチュルク像を前にそんな思いを強くした。(了)
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