インド(ウッタル・プラデーシュ州)におけるハンセン病制圧活動
| 著者名 | 笹川 陽平 |
| 記事タイトル | インド(ウッタル・プラデーシュ州)におけるハンセン病制圧活動 |
| コラム名 | 【楓528号】 |
| 出版物名 | 楓 |
| 出版社名 | 邑久光明園慰安会 |
| 発行日 | 2009-07-08 |
※この記事は、著者と邑久光明園慰安会の許諾を得て転載したものです。
邑久光明園慰安会に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど邑久光明園慰安会の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。
| 著者名 | 笹川 陽平 |
| 記事タイトル | インド(ウッタル・プラデーシュ州)におけるハンセン病制圧活動 |
| コラム名 | 【楓528号】 |
| 出版物名 | 楓 |
| 出版社名 | 邑久光明園慰安会 |
| 発行日 | 2009-07-08 |
※この記事は、著者と邑久光明園慰安会の許諾を得て転載したものです。
邑久光明園慰安会に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど邑久光明園慰安会の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。
2月28日から3月2日までの3日間、インド北部ウッタル・プラデーシュ州の首都ラクノウを訪問しました。ラクノウは、18~19世紀にイスラム教の支配者が統治した当時の遺跡が多く、歴史を感じさせる街です。
インドの訪問は、今回で33回目を数えます。なぜこれほど多く足を運ぶかと不思議に思われるかもしれませんが、世界中のあらゆる国に共通するハンセン病との闘いの中でも、インドが非常に重要な国だと私は考えています。それは患者および回復者の数が世界の約7割を占めるということも理由のひとつですが、それだけではありません。貧富の格差が激しいインド社会において、厳しいカースト制度の更に下に置かれているハンセン病患者・回復者がどうすれば社会復帰できるか。この難しい課題の解決に挑戦したいからです。
今回の訪問の主な目的は、インドのハンセン病回復者組織ナショナル・フォーラムが主催する北部地域会議に参加することです。ナショナル・フォーラムは私の発案で2005年に設立され、2005年、2006年とニューデリーで全国大会を開催し、2007年からは地域を巡回し、2007年11月にはインド西部のムンバイ、2008年9月には東部のコルカタでの開催と、回を重ねて発展してきました。インド国内各地域において、これまで村から外に出る機会が少なかった回復者の方々が集まり、情報を交換しながら連帯を確かめ、社会的・経済的な向上に向けて取り組んでいくことが目的です。
北部地域における会議の開催は、今回が初めて。ラクノウが所在するウッタル・プラデーシュを始め、デリー、マディア・プラデーシュ、ビハールなど北部10州から約330名のハンセン病コロニー(定着村)代表者が参加しました。こうした会議においては、代表として年配の男性が出席することが多いのですが、今回は女性や若い方たちが全体の3割ほど見られたことは嬉しい変化です。
ウッタル・プラデーシュ州のアナント・クマール・ミシュラ保健大臣も開会式に参加され、ハンセン病回復者の尊厳回復に向け最大限の協力を約束するという心強い言葉をいただきました。会議では各コロニー代表者から現状の課題や将来の展望についての発表がありました。かつては自分たちの意見を発表する機会が少なかったハンセン病回復者の方たちが、こうして自ら壇上に上がり声をあげられるようになったことは大きな進歩であると、彼らの発表に耳を傾けながら確信しました。
また今回もうひとつ特筆すべきことは、ハンセン病回復者の社会復帰・経済的自立促進を目的として設立されたササカワ・インド・ハンセン病財団から、記念すべき初めての小口融資の決定証が授与されたことです。マディア・プラデーシュ、ウッタルカンド、タミールナドゥの3州における10のハンセン病回復者コロニーやNGOに対し、酪農業、蝋燭づくり、土木業といったプロジェクトに対する融資が贈られました。金額は1団体につき23,500~309,000ルピー(約4万5千~60万円)と、1日20~50ルピー(約40~100円)ほどで生活する人々にとっては大金です。この資金が有効に活かされ、コロニーの生活向上につながるビジネスが育まれるよう期待しています。
会議の翌日、ラクノウ市内から車で約40分ほどの空港近くにあるアダーシュ・ハンセン病コロニーを訪問しました。1974年に設立されたこのコロニーには、52家族、約250人の方々が暮らしています。そのうちハンセン病回復者は90人で、あとはその家族の方々です。人々が生活する家屋はコンクリート造りの長屋になっており、中心部は集まれるように広場があります。地下水をモーターで組み上げた水道用タンクもあり、非常に小奇麗で清潔感がある印象を受けました。
しかし、住人の生活状況は楽観できるものではありません。家屋はあっても、一家族全員が眠れるような広さはありません。また、住人の9割が寺院やレストラン、商店などで物乞いをして生計を立てているといいます。1日中歩き廻って受けられる施しは、50ルピー(約100円)ほどだそうです。大変興味深いことに、このコロニーの住人は物乞いをする際にコロニー出身であることを証明する紙を持っていくというのです。インドを訪れたことがある方はご存知かと思いますが、インドの路上にはハンセン病患者・回復者に限らず、多くの物乞いが見られます。ラクノウのこのコロニーの周辺においては、それらのほか多くの物乞いとは区別し、「ハンセン病回復者であるから」金銭をもらえるそうで、物乞いというよりもむしろ喜捨と呼ぶ方がふさわしいかもしれません。とはいえ、他者に依存した生活であることには違いなく、尊厳のある普通の仕事に就きたいという願いを持つ住人も少なくありません。そのような生活環境の中で、大学や専門学校で高等教育を受け、外に就職口を求める若者が数人出てきていることは希望の光です。
ナショナル・フォーラムやササカワ・インド・ハンセン病財団を始めとしたNGO、各コロニーの代表者、そして理解ある政治家の働きにより、インドのハンセン病コロニーをめぐる状況は少しずつではありますが変化が見えはじめています。社会から疎外されコロニーに住み着いた第一世代の方たちは、自分が辛酸を舐めたからこそ、たとえ収入源が物乞いであったとしても、子どもには良い教育を受けさせようと努力しています。教育が将来への一番の投資であると自分の経験から理解しているからです。この変化の兆しから、親がハンセン病回復者であっても立派な職業に就けるという成功例が数多く生まれるように、そしてその事例がまだ変化から取り残されている地方のコロニーにも広まっていくように願っています。インドから差別がなくなる日まで、引き続き、インド国内各地の回復者の方々とともに手を携えて活動してまいりたいと思います。