ザンビアにおけるハンセン病制圧活動
| 著者名 | 笹川 陽平 |
| 記事タイトル | ザンビアにおけるハンセン病制圧活動 |
| コラム名 | 【姶良野314号】 |
| 出版物名 | 姶良野 |
| 出版社名 | 星塚敬愛園入所者自治会 |
| 発行日 | 2009-10-01 |
※この記事は、著者と星塚敬愛園入所者自治会の許諾を得て転載したものです。無断で複製、翻案、送信、頒布するなど星塚敬愛園入所者自治会の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。
| 著者名 | 笹川 陽平 |
| 記事タイトル | ザンビアにおけるハンセン病制圧活動 |
| コラム名 | 【姶良野314号】 |
| 出版物名 | 姶良野 |
| 出版社名 | 星塚敬愛園入所者自治会 |
| 発行日 | 2009-10-01 |
※この記事は、著者と星塚敬愛園入所者自治会の許諾を得て転載したものです。無断で複製、翻案、送信、頒布するなど星塚敬愛園入所者自治会の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。
6月30日から7月3日の4日間、ザンビアを訪問した。
ザンビアは、アフリカ大陸の中央部に位置する共和国。人口は国全体で1,190万人、国土は日本の約2倍の面積がある。15の国立公園と南部ジンバブエとの国境には世界三大の滝の一つに数えられる壮大なビクトリア滝があり、銅の生産地として知られている。
ハンセン病の問題を語るとき、ハンセン病が多くみられる地域としてアジアとアフリカがよく挙げられる。しかし、実際のところ患者数のみをみると、アフリカ大陸では2年前2007年のコンゴ民主共和国とモザンビークの制圧をもって、人口1万人につき患者数1人未満というWHOが定める制圧基準を全ての国において達成した。
しかし、世界中どの地域でもそうであるように、WHOの制圧基準を達成するレベルまで患者数が減少したからといって、ハンセン病に起因する問題がすべて解決したとはいえない。
制圧を達成しハンセン病患者数が減ったことにより、より多くの患者を生み出すHIVエイズやマラリアなどの病気の対策に、人材と予算がまわされてしまう。そうすると、末端の病院に適切なハンセン病の診断をできる医師がいない、また保健省でハンセン病患者数や障害発生率の割合などに関する正確なデータが把握されていないといった事態が生じてくる。特に人材や資金不足が慢性的に続く発展途上国においては、この傾向が顕著に現れる。
また、もう一つ重要な問題が、社会におけるハンセン病患者・回復者に対する差別の問題である。患者数が減っても、かつて患者であった回復者の数は減ることはない。それらの方々が病気が治った後に社会復帰ができているかというと、残念ながらそうとはいえないのが現状だ。
今回ザンビアを訪問したのは、こうした実情の確認が主な目的。WHOアフリカ地域事務所のハンセン病担当官であるビデ・ランドリー氏も同行した。
飛行機を乗り継ぎ到着したルサカの小さな空港には、WHOザンビア事務所のババニイ・オルセグン代表と保健省担当官、メディア数社が出迎えてくださった。
翌日は保健省でカペンブワ・シンバオ保健大臣とお会いした。訪問して初めて知ったことであったが、保健省では海外からの支援資金約5億円を保健省幹部が着服していたことが発覚、事務局長を含む約20名が罷免されるという大混乱のさなかにあった。私が到着した6月30日にようやく終結したが、6月は1か月に渡り看護師がストライキを断行し、病院機能に支障をきたしていると聞いた。そのような中での訪問だったため、どことなく浮足立った印象はあったものの、保健大臣からは「阻止できる病気であるから阻止しないといけない。私が現在の職にある限り、この問題に取り組む」という力強いコミットメントの言葉をいただいた。
引き続き保健省からハンセン病の現状について説明を受けたが、過去10年間の蔓延率や患者数データのうち、数年のデータが抜け落ちていたり、また経年の増減変化が著しかったりなど、残念ながら正確な数字が把握されているとは言い難い。患者数が多い地域に重点的に対策を講じること、また正確なデータ収集と関係者による分析が必要であることが指摘され、会合は終了。この国においてまだ課題が多く残されていることを実感した。
昼にはルピア・ブウェザニ・バンダ大統領とお会いする機会を得た。大統領は最近足の手術をしたばかりで公邸で静養中とのことであったが時間を割いてくださり、ハンセン病対策と差別撤廃の必要性を訴える私の話に真摯に耳を傾けてくれた。
「ハンセン病には迷信が伴い、多くの人が握手をすることなどを恐れている。私自身、これまで、ハンセン病病院の前を車で通るときは窓を閉めてスピードを上げて通り過ぎた。しかし笹川さんが病院に行き患者と握手をするというのなら、私も次回訪れる際は同じことをしましょう」と非常に率直な、前向きな反応をされた。大統領がハンセン病患者と握手をする写真がザンビアの路上で売られる新聞の紙面に登場するのが楽しみである。また同日には、初代大統領として26年間元首の座を務められたケネス・カウンダ大統領とお会いし、旧交を温めた。
3日目午前中には、首都ルサカから車で小一時間移動し、リテタ病院を訪問した。この病院は1959年に国立結核センターとして設立、1963年にハンセン病センターとして指定を受けており、ハンセン病治療においては有名で、モザンビーク国境近くからも患者が来るという。とはいえ現在ではハンセン病患者数は少なく、治療を受けている患者は7名、全員通院患者である。病院に隣接する回復者定着村には、13人の回復者とその家族あわせて60人が静かに暮らしていた。食べものは政府から支給されるが、ひとつしかない井戸を皆共同で使用しており、電気は通っていない。それぞれ家族ごとに与えられた家の玄関に椅子を持ち出し、調理をしている人もいれば、ぼうっと外を眺めている人もいる。村人の人間味あふれる笑顔には魅かれたが、いくつかのこうした村と同じように、一般の社会とは時間の流れを異にする空間だと感じた。
最終日はハンセン病制圧大使としての任務を離れ、三田村大使のご案内のもと、日本政府が支援する村落開発プロジェクトの現場を見学する機会をいただいた。2002年からザンビアの農業省と連携して進めている援助事業で、井戸やコミュニティーホールの建設、太陽光を利用した農産物加工などが展開されている。村人の自助努力を引き出すという日本の国際協力の姿勢が現地で受け入れられており、その手法に学ぶところが大きかった。
アフリカの発展は、一民間団体の力で簡単に成し遂げられる課題はない。広い大陸で変革を起こそうとするNGO、独自路線を追求する高い志を持つ政治リーダー、そして熱心に働く現地の方たちの努力が合わさって初めて、状況を打破することができるのである。
経済的な発展、ハンセン病の根絶、何を成し遂げるにしても、政治的な安定は不可欠だ。アフリカ大陸において、政治的安定は何事にも代えがたい財産である。北と東の国境をそれぞれ共有するコンゴ民主共和国とアンゴラでは紛争が、南の国境を共有するジンバブエでは独裁政権と急速なインフレが問題となっている中、ザンビアではイギリスの支配から1964年に独立して以来、長年共和党政権のもとで平和が保たれている。
前述した保健省の横領事件といった問題点はありつつも、一時的な混乱が過ぎれば体制を立て直すことは難しくはないだろう。今回の訪問が、ハンセン病根絶という一度手放された課題の達成に向け、もう一度エンジンをかける役目を果たしたと願いたい。