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[ 2009-10-07]

ハンセン病差別のない世界をめざして


著者名笹川 陽平
記事タイトルハンセン病差別のない世界をめざして
コラム名【多磨1053号】
出版物名多磨
出版社名多磨全生園自治会企画編集委員会
発行日2009-10-01

※この記事は、著者と多磨全生園自治会の許諾を得て転載したものです。
多磨全生園自治会に無断で複製、翻案、送信、頒布する等多磨全生園自治会の著作権を侵害する一切の行為を禁止します。

多摩全生園開園百周年にあたり、ハンセン病の問題を風化させまいと長年にわたり世の中へ向けて発信し続けてこられた関係者の皆様の並々ならぬ熱意とご尽力に、心より敬意を表します。

私は父とともに訪れた韓国で初めてハンセン病患者の方とお会いして以来四十年余、この問題に半生をかけて取り組んでまいりました。その間、ハンセン病の世界での動きを振り返ると、劇的に変化した部分と、変わらずに残された問題とが浮かびあがってきます。
 
何世紀もの間、不治の病として人々を苦しめてきたこの病は、1940年代後半のプロミンとジアミノジフェニルスルフォン(DDS)の出現によって初めて治る可能性が見え、1980年代に開発されたMDT(多剤併用療法)によって治療法が確立されました。各国保健省やWHO、NGOをはじめとした関係者の努力の結果、公衆衛生上の問題としてはようやく解決の見通しがついてきました。WHOでは1万人の人口に一人以下の患者数をもって、公衆衛生上の問題としてのこの病気を制圧したと定義していますが、1985年に122カ国あった未制圧国は、2009年現在ではブラジル、ネパール、東ティモールの3カ国を残すのみとなっています。1985年に全世界で530万人を数えていた患者数は、2007年末には25万人まで劇的に減少しました。


しかし、一方で現在も変わらず残されている問題があります。それは社会におけるハンセン病患者・回復者に対する偏見と差別の問題です。

古い時代から現代まで、この病は人々の心の奥深くにある恐怖感の標的となってきました。ハンセン病患者は古くから、社会的嫌悪と排除の対象となり、多くの国々においては国の政策として患者は隔離されてきました。

ハワイのモロカイ島、フィリピンのクリオン島、南アフリカのロベン島はそのほんの一例にすぎません。あえていうまでもなく、日本もまた同様の非人道的な隔離政策を行ってきた国として例外ではありません。

そして差別の対象は、患者自身のみに留まりませんでした。ハンセン病は遺伝性がないにもかかわらず、間違った認識から家族までもが社会から偏見の目でみられ、差別の対象とされてきました。このため、ハンセン病と診断されると患者が親族の名誉のために自らの名前さえ消し去り、社会に存在しない者となろうとした例は、日本のみでなくアメリカでも多くありました。ハンセン病の歴史は、ひとつの病気が一人の人間の、そして家族の全人生を決定してしまうということを如実に物語る歴史でした 。

社会を構成する一人ひとりの心にある、ハンセン病患者・回復者に対する偏見の意識は、残念ながら今日もなお根強く残っています 。何千万人もの人々が今もなお、偏見からくるいわれのない差別と権利の侵害によって結婚、職業、移動の自由さえなく苦しんでいます。

インド北部にあるオリッサ州では、ハンセン病患者・回復者が公職に就くことを禁じる法令がいまだに存在しています。昨年2008年8月のインド最高裁判決では、地方議員に選出された人を、ハンセン病の病歴があるということを理由に不適格とした州の判断を合法とする判決が下されました。

インドネシアでは南スラウェシ州のあるホテルで、2007年にハンセン病患者・回復者が集まりワークショップを開催した際に、ホテルから「他の客の迷惑になるから」と利用を断わられるという事件がありました。その場にいた人たちは全員病気が完治しており、感染の危険性など全くないのにも関わらず、一般の客は彼らが同じロビーを使うこと、彼らと同じ部屋で朝食を取ることを拒んだのです。

この一件には後日談があり、患者・回復者による抗議と働きかけの結果、地域のホテルマネージャーを集め、ハンセン病に関する正しい知識を学ぶための啓発ワークショップが開催されました。

こうした根強い差別の問題を解決するためには、粘り強くかつ戦略的な取り組みが必要です。国際機関、各国政府、NGO、医療関係者、マスメディアなどを巻き込み、社会を変える大きな波を創り出していくことが必要です。

国際社会もようやくこの問題に関心を寄せ、動き始めています。私はこの問題を国際社会で取り上げてもらおうと、2003年に初めて国連人権高等弁務官事務所の扉を叩いて以来、国連人権小委員会(当時)や国連人権理事会に対して働きかけを行ってきました。

その結果、ようやく昨年2008年6月に国連人権理事会でハンセン病患者・回復者・家族に対する差別撤廃のための決議が日本政府によって提出され、全会一致で採択されたのです。政府代表が集まる公式の場で、ハンセン病患者および回復者、家族の人権の問題が議論され、差別の撤廃が謳われたのは歴史上初めてのことであり、大変画期的なことです。

この決議には、中国、キューバを含む58カ国の政府が共同提案国として賛同しています。この決議を受け、今年の9月までに国連人権諮問委員会において、差別撤廃のためのガイドラインが作成される予定です。

この兆しを受けて、実際に社会のこの病気に対する誤った認識を変えていくためには私は3つのアプローチが特に重要であると考え活動しております。

ひとつめに、国家元首をはじめ国の指導的立場にいる人たちに対し、差別をなくすよう働きかけをすることです。現行の政策や制度の中に見過ごしている差別的な要素がないかどうかを検証し、あれば改善すること、そして同時に社会に根深く残るハンセン病にまつわる偏見を取り除くために、啓発活動に取り組んでいただくことを求めています。

二つめに、教育や啓発活動、マスメディアによる発信等を通して、社会の隅々まで正しいハンセン病の知識を行き渡らせ、社会全体の認識を変えていくことが必要です。私は一年の約三分の一を海外の現場を歩いて回りますが、ハンセン病の施設やコミュニティーを訪れる際は必ず、訪問国のメディアに同行してもらっています。それは私が患者の患部である手や足に触れても、握手をしても病気はうつらないということを、広く一般社会に向けて伝えるためです。映像や画像を見てもらうことは、百の言葉を並べるよりも説得力があるからです。

そして三つめに、人々の心に最も訴えかける力をもつ回復者自身の声を発信していくことです。世界各国でハンセン病回復者の方々が自ら尊厳を回復するための行動に立ち上がり始めています。日本のハンセン病回復者の皆様は、60余年の実践をとおして、当事者が組織をつくり発信していくことの重要性を十分に理解されて活動してこられました。この積極的な活動は、世界的に見ても先駆的なものでした。

現在も世界最多の年間約14万人の新患者数を抱えるインドでは、約1,100万人を超える人々が病気から解放されました。そのインドで、2005年に全国組織であるナショナル・フォーラムが日本財団の支援をもとに設立され、それまで地域単位のつながりしかなかったハンセン病患者・回復者のグループの全国的なネットワークが醸成されつつあります。

また東南アジアでは、ASEAN東南アジア諸国連合の事務局と日本財団との共同事業で、ASEAN加盟国におけるハンセン病回復者の社会復帰を促進するための新しい枠組みが今年から立ち上がりつつあります。

病気に対する社会の認識が変わっても、これまで声なき存在として長い間扱われてきたハンセン病回復者とその家族が社会に復帰することは、容易いことではありません。そのためには、彼らが普通の人々と同じ生活が送れるように、経済的な基盤を確立できるようにすることが重要です。

そのため、インドでは二年前にササカワ・インド・ハンセン病財団を立ち上げました。インド全土で700か所以上もあるハンセン病患者・回復者の定着村では働く機会も少なく、ほんの僅かな年金や手当で暮らしており、未だに多くの人々が物乞いに頼らざるを得ないのが現実です。この人々が貧しくても自らの力で生活を支えていくことができるように、患者・回復者の収入向上のための小口融資を開始しました。

私はハンセン病の問題をよくバイクの両輪に譬えてお話します。前輪が医療面における病気との闘い、後輪が社会面における差別との闘いとすると、両輪が同じ大きさでないとバイクは真っ直ぐには進みません。両輪の大きさのバランスがとれ、医療面と社会面両方の問題が解決されてこそ初めて、真のハンセン病のない世界が実現できるのです。

政治的指導者、メディア、企業と民間NGO、そして世界中の回復者の方々が問題を共有し、力を合わせれば、この有史以来社会が持ち続けてきた偏見と差別を取り除き、回復者やその家族がほかの人と同じ権利を享受する社会を作り出すことは必ずできると私は確信しています。世界中から真にハンセン病がなくなったといえる日が一日も早く来るよう、微力ながら皆様方とともに今後も努力してまいります。(了)