ASEANと共同で実施するハンセン病制圧活動
| 著者名 | 笹川 陽平 |
| 記事タイトル | ASEANと共同で実施するハンセン病制圧活動 |
| コラム名 | 菊池恵楓園入所者自治会機関誌【菊池野】 |
| 出版物名 | 菊池野 |
| 出版社名 | 菊池恵楓園入所者自治会 |
| 発行日 | 2009-10 |
※この記事は、著者と菊池恵楓園入所者自治会の許諾を得て転載したものです。
菊池恵楓園入所者自治会に無断で複製、翻案、送信、頒布する等菊池恵楓園入所者自治会の著作権を侵害する一切の行為を禁止します。
| 著者名 | 笹川 陽平 |
| 記事タイトル | ASEANと共同で実施するハンセン病制圧活動 |
| コラム名 | 菊池恵楓園入所者自治会機関誌【菊池野】 |
| 出版物名 | 菊池野 |
| 出版社名 | 菊池恵楓園入所者自治会 |
| 発行日 | 2009-10 |
※この記事は、著者と菊池恵楓園入所者自治会の許諾を得て転載したものです。
菊池恵楓園入所者自治会に無断で複製、翻案、送信、頒布する等菊池恵楓園入所者自治会の著作権を侵害する一切の行為を禁止します。
6月に、ハンセン病患者・回復者の尊厳回復という新事業の立上げ式典に参加するため、インドネシアを訪れた。この事業は東南アジア諸国連合(ASEAN)事務局と、私が会長を務める日本財団との共同事業である。2008年から5年に渡りASEAN事務局と日本財団の間での包括提携協定をもって行われる5つの事業の中のひとつで、地域単位でのハンセン病と人権の問題への取組みとしては世界で初めての試みとなる。
この新事業は、ASEAN域内で年間17,000人(2008年)と最もハンセン病新規患者数が多く、またASEAN事務局の所在地でもあるインドネシアに初年度は重点を置いて取り組んでいく。
インドネシアのハンセン病患者・回復者が置かれている現状を知るため、式典の2日前に東ジャワ州のスラバヤを訪れた。東ジャワ州はインドネシアの33州の中で最も新規患者数が多い。2008年は約5,000人が新たに発症しており、うち12%の約600人が子どもである。子どもの発症率が高いことは、ハンセン病に対する偏見・差別が依然強くあるインドネシアの状況を考えるとき、彼らの教育や、将来の就職や結婚に重大な影響を及ぼす恐れがあるということであり、深刻だ。グレード2以上の障害発生率も約11%と非常に高い。患者のみでなく家族やコミュニティにもハンセン病に起因する負荷が重いことがわかる。調査を行えば行うほど新規患者発見数が増える、特に子どもの新規患者が多いということは、まだまだ病気の深刻な蔓延が現在進行形で進んでいるということであり、草の根レベルでの啓発活動、診断キャンペーンなどの活動が求められる。
保健当局とのミーティングの後、地元のコンベンションセンターを訪れた。ここではインドネシアの回復者組織ペルマタ(PerMaTa)の主催で、ハンセン病啓発のための高校生による作文と幼児による絵画コンクールが行われていた。また引き続いて高校生による啓発のための寸劇も披露された。
午後は、スラバヤから車で2時間ほどかけてロモンガンへ移動。ここには前述の回復者組織ペルマタの代表、アハメッド・ザイヌディン氏が勤める小学校がある。彼自身も数年前にハンセン病を経験している。病状は順調に回復し退院したが、入院中に見舞いに来た教師仲間からハンセン病だということが周囲に伝わり、それまで英語教師として勤務していた5つの学校のうち4つから「もう来なくていい」と解雇されたという。唯一、変わらずに受け入れてくれた学校で、現在はすべての科目を教えながら教師を続けている。
自身の経験も交えながら、ハンセン病がどのような病気か、またどうしたらハンセン病に感染するのかを説明する彼の話は、子どもたちの年齢を考えると少々難しいようにも思われたが、児童たちは真剣に聞いていた。少なくとも「ハンセン病患者も私たちと何も変わらない、差別をしてはいけない」という最も重要なメッセージは、小学生の彼らにも重く伝わったはずだ。
私がザイヌディン氏に初めてお会いしたのは2007年1月、フィリピンのマニラでハンセン病差別撤廃のためのグローバル・アピールの発表式典を行った時に遡る。ザイヌディン氏とアディ・ヨセップ両氏によってペルマタが団体として創設されたのはその翌月のことだ。
スラバヤ訪問にはペルマタのメンバーが数名同行してくれたが、その中には今年1月ロンドンの式典でグローバル・アピールを読み上げたファリダ氏の顔もあった。ロンドンへの旅が生まれて初めての海外旅行だったという彼女は、それがきっかけで英語の勉強にもペルマタの活動にも、より積極的に取り組むようになったという。ひとりの若い回復者の将来に変化をもたらすきっかけを創れたことは、私の小さな喜びでもある。
スラバヤ訪問の最終日は、スラバヤから車で1時間ほど離れた場所にあるスンバルグラガー病院を訪れた。インドネシア国内のメディア5社も同行した。ここは1955年にオランダ人医師によって開設された病院で、ハンセン病用と一般の病床がそれぞれ50床ある。ハンセン病と診断された患者は、治療が終わった後も、ハンセン病以外のあらゆる病気や怪我の診断と治療を無料で受けられる。病気が治癒したら、患者はすぐに退院できる。手足の指などの形状復帰のための手術や、義足、特殊な補助器具をつくる部門も併設しており、これまで見てきた何百というハンセン病病院の中でも一流のサービスを提供しているといって良い。
病院から徒歩5分ほどの距離に、ハンセン病回復者が180人ほど暮らすスンバルグラガー村がある。小さな商店や農業を営む人もいるが、最も多くみられる「職業」は、残念ながら物乞いである。物乞いをするためにバイクにまたがり、近隣の町まで出かけていく。村人と話をしている時に、彼らの中のひとりが突然立ち上がり、「何も結果に結び付かない来訪者はもうたくさんだ。我々に仕事をくれ!」と怒鳴った。彼の抗議はもっともだ。まさしくこのような回復者の生の叫びを、ジャカルタで国の指導者に、そしてメディアを通して一般の人々に伝えることこそが、私の役目である。
病気が治っても雇用のない現状を打破したいという彼の叫びに応えるもうひとつの解決策になることを願っているのが、ジャカルタで立ち上げ式典が挙行されたASEAN事務局との共同事業だ。「ハンセン病と尊厳」というタイトルのもとで、メディア、企業、NGOと政府を巻き込んで、ハンセン病回復者の経済的・社会的自立を促進していくことが狙いである。6月15日にジャカルタのASEAN事務局で開催されたこの式典には、政府関係者や国内メディアなど約160名が出席した。
マネージャーとしてこの新事業の中核を担うのが、自身も回復者であり、ペルマタ設立メンバーのひとりでもある前述のアディ・ヨセップ氏である。彼は18歳の時に、肌に表れた斑点と手の指のむくみが、数年前に母親がかかった病気と同じことに気づく。母親が病院へ行った時はすぐには正しい診断がされず、高い薬を買わされたという。一方でアディ自身は、幸いにも適切な診断と治療を受けることができ、完全に治癒した。「自分は周囲から情報や支援をもらって、立ち直ることができた。今度は他の人を助けることに力を注ぎたい」と、治療に関する情報の普及や差別をなくすための啓発活動を行う団体、ペルマタの設立を決意した。
ハンセン病の回復者が、ASEAN事務局長や各国政府高官と肩を並べて壇上に立つ。このこと自体が、ハンセン病回復者が社会の主流へ参画していくことを目指す本事業の象徴的な図である。
式典に引き続いて午後に行われた啓発ワークショップでは、インドから、ハンセン病回復者の就労支援に取り組む自動車会社TATAの企業倫理カウンセラーであるヴィレンドラ・グプテ氏、メディア研究を行う大学教授のウジワール・クマール・チョウドリー氏、中国から大学生によるハンセン病定着村の生活環境改善ワークキャンプをコーディネートしている原田僚太郎氏、インドネシア地元のジャーナリストのアチョ・マナフェ氏を招き、ハンセン病の差別をなくすために多様なセクターを巻き込む取組みについての話をそれぞれしていただいた。
ASEAN事務局と民間団体との連携という新しい枠組みの中で、ハンセン病の差別をなくしていくための取組みはまだ始まったばかりだ。ヨセップ氏のような若い回復者たちのチャレンジ精神と、長年活動に携わってきた経験豊富な諸組織の関係者たちの知恵を融合させて、インドネシアのみでなく東南アジア地域全体のハンセン病回復者の生活向上に向けて、これから新しい試みが始まる。