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[ 2010-04-01]

コロニー代表者が集まったナショナル・フォーラム(インド・チェンナイ)


著者名笹川 陽平
記事タイトルコロニー代表者が集まったナショナル・フォーラム(インド・チェンナイ)
コラム名【高原714号】
出版物名高原
出版社名(財)栗生楽泉園慰安会
発行日2010-04-01

※この記事は著者と(財)栗生楽泉園慰安会の許諾を得て転載したものです。(財)栗生楽泉園慰安会に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど(財)栗生楽泉園慰安会の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。

2010年1月22日から1月24日までの3日間、インドのチェンナイを訪れました。この訪問の目的は、ハンセン病回復者の社会的・経済的地位向上を目指す全インド・ハンセン病回復者ネットワークである、ナショナル・フォーラムが開催する南部地域会議に参加するためです。

インドを訪れるのは、今回で37回目となります。私にとって第二の故郷とも言えるこの国は、WHOが公衆衛生上の制圧基準として定めた、患者数が1万人に1人未満という目標を、2005年末に達成しております。しかし、インドでハンセン病を新たに発症する人の数は1年に約14万人と世界の半数以上を占め、依然多くのハンセン病患者がいるのが現実です。また、そして、カースト制度の問題もあるため、回復者への偏見や差別は今なお大変根深いものがあります。また、インドには、我々の調査の結果、ハンセン病患者・回復者が集まって暮らす、コロニーと呼ばれる村が700か所以上あることがわかりました。政府やNGOの組織するコロニーを加えると1000ヶ所以上にもなります。そのようなコロニーに暮らす住民の生活向上を支援し、物乞いを失くし、ハンセン病を病んだということが、一人の人間の人生を決定づけてしまうことのない、共に生きる社会をインドに実現することが、私の最終的な目標です。

そこで、私は回復者との差別との闘いは回復者自身が主役であると、回復者の全インド組織であるこのナショナル・フォーラムを2005年に設置しました。インドでのこの活動が成功すれば、世界のハンセン病回復者の尊厳回復への希望の光になると、確信しています。

さて、前置きが長くなりましたが、各地域のコロニー代表者が一堂に会したナショナル・フォーラム南部地域大会は、チェンナイ市内にあるホテルで行われました。会議の内容は、当然のことながら、どのようにしてハンセン病回復者が社会的・経済的地位を向上させることができるか、でした。

今までに全国大会を2度、地域会議を3度開催してきましたが、インド南部での大会は今回が初めてです。会議には、タミルナドゥ州、ケーララ州、アーンドラ・プラデーシュ州などインド南部の州から、約350名のコロニー代表者が参加しました。

タミルナドゥ州のゲーサ・ジーバン保健家族福祉大臣も参加され、「ハンセン病は他のどの病気と同じように誰でもかかる可能性がある」と強調され、「州政府として、今後も変わらず、回復者のリハビリや障害者、女性、弱者への支援を続けていく」との心強いメッセージを参加者に届けられました。

また、各コロニーから参加した回復者たちが順番に壇上にあがり、コロニーの状況を報告し、今後州や国に期待することなどを訴えました。印象的だったのは「昔は薬がなくて苦しんだし、今でも問題はたくさんある。でも、ここに来てみんなが幸せそうな顔をしているのが嬉しい。私たちで何かできることがあるはすだ」と話した回復者の方の話です。この方のおっしゃる通り問題は山積みです。しかし当事者である彼らの中に変化が起き始めているということは、ハンセン病という病気がもたらした様々な問題を解決する大きな力となります。その場にいた私は胸が熱くなりました。

つい5年ほど前まで、ハンセン病のコロニーがどれだけインドに存在するのか、他のコロニーがどのような活動をしているか、全くわからない状況でしたが、このナショナル・フォーラムが結成され、活動を強化させていく中で、今では行政までも動かす力を持つまでとなったナショナル・フォーラムの発展の速さは目を見張るものがあります。これは、長年の私の友人でもあり、ナショナル・フォーラム会長のゴパール博士をはじめとする関係者の努力、そして何より、自ら壇上に上がって、世の中に声を届けようと立ち上がった回復者ひとりひとりの強い意志なくしては、実現できませんでした。今後も、彼らが連帯を強め、組織を強化して、ナショナル・フォーラムが、インド社会の中で発言力を持ち、中央政府は勿論のこと、各州レベルにおいても存在感のある団体に成長していくよう、おしみない協力をしていきたいと考えています。
 
私はインドに来ると必ず、回復者たちの生活の場であるコロニーを訪れることにしています。今回訪問したコロニーは2か所。まず、市内のはずれに位置するヴィリヴァカム・コロニーへ向かいました。このコロニーへの訪問は3回目になりますが、訪れるたびに新しい建物が建ち、住民たちの生活向上の様子がうかがえるのは嬉しい限りです。 100世帯、約300人が暮らす比較的大きなコロニーで、1980年頃に形成されて以来NGOや政府の支援により徐々に発展し、現在は回復者ではない人々も多く住居を構えるようになりました。ハンセン病回復者も、そうでない人も、分け隔てなく暮らす統合されたコミュニティと言えます。また、このコロニーの長であるプラカッサン氏は、タミルナドゥ州全体のコロニーをまとめる、非常にリーダーシップのある人物です。自身も回復者であり、かつては病気による差別や物乞いなど、辛い経験もしたそうですが、現在は子ども、そして孫にも恵まれて暮らしています。20年来、タミルナドゥのハンセン病患者リハビリテーション協会のリーダーを務めており、回復者の尊厳回復のために日々奔走しています。

今回の訪問で出会った人々の中には、ハンセン病患者および回復者の経済的支援を目的として2006年に設立された、ササカワ・インド・ハンセン病財団から小口の融資を受けている住人もいました。この小口融資は、住人たちが専門家の指導を受けながら、自助努力で生活していくために自分たちの力で事業計画書を作成し財団に申請するシステムで、このコロニーでは、洋服やプラスチック製品、自動車部品等を作ったり売ったりする事業が始まっていました。

事業に取り組んでいる住人たちが誇らしげに見せてくれた商品の服やおもちゃ、鍋や靴などは、どれも大変品質の良いものでした。サンダル1足が100ルピー(約200円)、プラスチックのお鍋が400ルピー(約800円)といった値段で売られていました。小売店を営んでいる男性に話を聞くと、店賃などを引いた1か月の純益3,000ルピー(約6,000円)で、子供2人をなんとか学校に通わせることができるとのことでした。

また、サリーやスカーフなどを売り歩いているという、サララという名の女性は、どんな服が今流行っていてよく売れるのか研究を重ね、お客様に喜んでもらえる商品作りに力を入れていると話してくれました。住人たちがプロ意識を持って商売に取り組んでいる姿に、確かな活動の成果を感じました。

次に、ヴィリヴァカム・コロニーから車で30分ほどのところに位置するバルパート・コロニーを訪れました。こちらは、35世帯、約110人が暮らし、キリスト教系の慈善団体の支援で発展してきたコロニーです。このコロニー内の住居は、慈善団体の支援により建築の技術を身につけた、若い住人たちの手により建てられたそうです。

しかし、現在、コロニー全体の財政状況は厳しく、今でも毎日10人が、電車に乗って、人の集まる寺院などに物乞いに出かけていると聞きました。物乞いで得られる収入は1日約50ルピー(約100円)ほどです。他に山羊を育ててミルクを売っている家庭もありましたが、生活は決して豊かそうには見えませんでした。

このコロニーは、ササカワ・インド・ハンセン病財団の実施する小口融資を受けて畜産業を始めたいと意欲的で、申請書も出したと話してくれました。先に訪れたヴィリヴァカム・コロニーが人口の多い都会に位置しているのに対し、こちらのコロニーは農村部に位置しており、自立への意識はまだ低く、専門家の派遣による意識改革の必要性を感じました。

コロニーの現状に活動へのさらなる課題を認識した一方で、ハンセン病回復者やその家族が病気に対する差別に正面から向き合った喜ばしい出来事にも2つ、出会うことができました。そのうちの1つは、タミルナドゥ州に住むハンセン病回復者の女性、ムスメナル氏による自伝『ムル(現地語でとげ、針の意味)』の英語版の出版記念会に招待を受けたことです。本書は、現地の言葉であるタミル語で2009年1月に出版され、半年で2度増刷されるベストセラーになりました。彼女は幼くしてハンセン病を発症し、差別やスティグマに苦しみながらも作家として素晴らしい才能を開花させました。その彼女の自伝をより多くの人に知って貰うため、笹川記念保健協力財団の支援で、今回の出版が実現しました。

出版記念会には、インドのみならず世界的にも有名な俳優、映画監督、劇作家であり、医療関係など幅広い社会貢献活動に高い関心を持っておられるカマル・ハッサン氏も参加されました。彼のように、強い影響力のある人が、ハンセン病を取り巻く医療的・社会的問題の解決に力を貸してくれるというのは、非常に有り難いことです。これをきっかけに、ハンセン病の問題に関心を持つインドの人が、一人でも増えることを願っています。

もうひとつ、「世界ハンセン病の日」(毎年1月の最終日曜日)に合わせて開かれた、回復者の子供たちや孫たちが主役を演じた文化イベントに参加できたことも、大変嬉しい経験でした。 ナショナル・フォーラムが主催したこのイベントは、マハトマ・ガンジーを記念して建てられた屋外のホールで行われ、ハンセン病回復者が製作したサリー用の生地や、ビンドゥ・アート・スクールが主催する絵画の即売、食料品などが売られる出店が並ぶ中、大変賑やかに始まりました。舞台では、子どもたちによる歌や踊り、手品をはじめ、若者たちがインド国内の多様な言語と文化を舞台上で音楽に合わせて紹介する出し物もありました。

舞台に上がった子どもや若者たちのほとんどはハンセン病回復者を家族にもち、異なるコロニーの出身者たちでした。昨日訪れたヴィリヴァカム・コロニーの子供たちもいました。そしてその中には、ハンセン病の回復者の祖父を持つという少女もいました。彼女はかつての祖父のように病気に苦しむ方々の役に立つため、大きくなったら医者になりたいと、自分の夢を熱く語りました。彼女たちのような子どもたちは、将来の希望です。しっかり勉強して、両親のために、社会のために尽くす人になって欲しいと、私は彼らにメッセージを伝えました。そして、子どもたちが回復者と自然と触れ合えるこのようなイベントが、今後も継続することを関係者に要請しました。

インドにおけるハンセン病の社会的差別の完全な撤廃へは、まだまだ遠い道のりです。しかしながら、回復者とその家族は、経済的自立やネットワーク強化、文化面での取り組みなど、様々な目標を持って一歩ずつ前進しています。そして、それを支える人たちが増え続けていることも確かです。今後も、回復者と共に希望を持って、活動に取り組んでいきたいと考えています。
(了)