ハンセン病制圧達成後のネパールを訪ねて
| 著者名 | 笹川 陽平 |
| 記事タイトル | ハンセン病制圧達成後のネパールを訪ねて |
| コラム名 | 【駿河413号】 |
| 出版物名 | 駿河 |
| 出版社名 | 駿河会 |
| 発行日 | 2010-05-01 |
※この記事は、著者と駿河会の許諾を得て転載したものです。
駿河会に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど駿河会の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。
| 著者名 | 笹川 陽平 |
| 記事タイトル | ハンセン病制圧達成後のネパールを訪ねて |
| コラム名 | 【駿河413号】 |
| 出版物名 | 駿河 |
| 出版社名 | 駿河会 |
| 発行日 | 2010-05-01 |
※この記事は、著者と駿河会の許諾を得て転載したものです。
駿河会に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど駿河会の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。
ネパールが念願のハンセン病制圧目標を達成しました。制圧目標とは、人口一万人につき患者数一人未満というWHOが定めたハンセン病制圧の基準。公衆衛生上の問題として、病がコントロール可能なレベルにまで制圧できたことを意味します。お祝いのため、1月18日から21日の4日間、ネパールを訪問しました。
ネパールは私にとっては非常に思い入れの深い国のひとつです。この国のハンセン病の制圧には、私の父の代から始まり、親子二代で取り組んでまいりました。37年前、父がネパールのアナンダバンのハンセン病施設を訪れた際、老婆に会い、老婆の変形した手を自らの両手で握り締めて「なぜあなたがこのような辛い目にあわなければならないのか」と、大きな眼からぼろぼろと涙をこぼしたことがあります。家族を亡くした時でも涙を流すことがなかった父が、唯一涙をみせたのがその時でした。
それ以来、37年間で状況は大きく変化しました。有効な治療薬の開発、WHO主導による制圧プログラムの推進という国際的な動きはもちろんですが、ネパール国内での状況も着実に変わりました。ヒマラヤ山麓のこの国で、地理的に移動が困難であるというハンディに加え、政治的な不安定も続く中、どこの地方においても薬が手に入るよう、また患者を早期に発見できるよう、関係者が一丸となって制圧プログラムが続けられてきました。
特にここ数年の保健人口省およびWHOネパール事務所の精力的な活動には、眼を見張るものがあります。保健人口省のハンセン病・疾病対策局G・D・タクール局長、WHOネパール事務所のアレクサンダー・アンジャパリジェ代表の存在がなければ制圧は実現しなかったでしょう。私は過去二年の間は半年に一度の頻度でネパールを訪れましたが、不安定な政治情勢の影響で、訪れる度に保健大臣が交代しているような状況でした。その中で、タクール氏がハンセン病担当を外れてしまうと活動が停滞してしまうので異動させないで欲しいと、保健大臣に直訴する場面もありました。その甲斐もあってか、お二人の強いリーダーシップのもと、地方の末端のヘルスワーカー、ボランティアの方々に至るまで、病気にまつわる正確な知識を把握するよう、モニタリングを徹底して行い、医療サービスの質の向上に努められてきました。
保健省とWHOに加えて特筆すべきは、ネパール・ジャーナリスト協会のダルメンドラ・ジャー会長をはじめとしたメディアの協力です。ジャー氏は、昨年4月にネパール東部のテライ地方へ訪問した際には多忙なスケジュールの合間を縫って自ら同行してくれ、現地のジャーナリストを集めて「制圧のためには、早期診断を阻む間違った知識を消し、正しい知識を広めていかなければいけない。メディアにも果たすべき責任がある」と訴えてくれました。もちろん、長年この地で活動を続けられてきた、オランダ救らい協会、ネパールハンセン病協会などNGOの活動の貢献も見過ごすことはできません。今回の制圧達成は、政治的混乱が続く困難な中でそれぞれの立場の機関が連携し、団結して取り組んだ成果といえるでしょう。
訪問中、マダブ・クマル・ネパール首相と、ラム・バラン・ヤダブ大統領にそれぞれお会いする機会がありました。お二方ともハンセン病の問題について深い理解を示してくださいました。ヤダブ大統領からは、「さらに患者数をへらすべく努力の継続が必要だ」とさらなる活動の強化に向けて力強い言葉をいただきました。またネパール首相は、昨年12月に標高5262メートルのカラパタール峰で行われた気候変動の問題についての閣僚会議の際、何度も飛行機を乗り換えながら上へと移動していったことを例に挙げられ、「高いところに行く(目標を達成する)ためには、段階を踏まないといけない。制圧は第一ステップに過ぎず、患者数をゼロにする撲滅を目指したい」と語られました。
1月19日に保健人口省の主催で行われた制圧記念式典では、保健人口省からウマ・カント・チャウダリー保健人口大臣をはじめプラヴィーン・ミシュラ高官、スダ・シャルマ高官、前述のネパール・ジャーナリスト協会のダルメンドラ・ジャー会長、ネパール・ハンセン病ネットワークのK・P・ダカル代表が壇上に上がりました。最後にチャウダリー大臣がハンセン病の制圧を宣言し、ステージの背景に「祝ネパール、ハンセン病制圧達成」という文字が現れると、会場は大きな拍手に包まれました。
翌20日は、カトマンドゥから車で一時間半ほど移動したカブレ郡にあるパナウティ地区を訪問。ちょうどバラ・バース・マク・ミラという12年に一度のお祭りの期間に当たり、悪魔を模した恐ろしい木の面をつけた踊り手たちが、両手で打楽器をならしながら先頭に立って道を練り歩き、我々を出迎えてくれました。後で聞いた話では、この踊り手も回復者だといいます。「彼らは自信をなくし、自分では何もできないと思い込んでしまっている。踊り手として式典に参加してもらうことで、回復者自身の意識を変えていくことが大切なんです」と、WHOネパール事務所の担当官は話してくれました。
また当地のサブ・ヘルスポストで活動するボランティアの女性たちは、ハンセン病啓発のための歌を披露してくださいました。その歌詞の一部をここで紹介したいと思います。
治療しないとハンセン病は苦しみをもたらす
触っても刺しても痛くない、乾いた肌の傷は最も重要なハンセン病の症状
もしハンセン病にかかったら、ちゃんと医者にもらった薬を飲みなさい
天罰だなんて思ってはだめ
テレビや新聞が届かない地方では、このような歌や芝居も有効な情報伝達手段です。地域に根差したこのような啓発の取り組みをぜひネパール以外でも広めていただきたいものです。
もうひとつネパールにおいて有効なメディアといえば、ラジオ。ネパールを出発する日の朝は、回復者の当事者組織であるリード・ネパールのラージ・クマール・シャー代表とともに、ラジオ番組に出演しました。シャー氏はまだ30代ですが、身体障害者団体とも連携してハンセン病回復者の生活向上を訴えていくなど、広い視野と熱意をもって活動を展開しており、頼もしい限りです。社会における差別をなくしていく上で、当事者の言葉は最も説得力を持ちます。彼らの言葉を通して、病に関する正しい知識と患者・回復者に対する差別をなくすためのメッセージを発信し、ハンセン病についての理解がさらに進むよう期待したいと思います。
ハンセン病が公衆衛生上の問題として制圧されたからといって、問題がすべて解決したわけではありません。制圧はあくまで一里塚にすぎず、患者数をゼロにするための闘いは継続されなければいけません。
そして、医療面よりもさらに大きな問題も残されています。患者・回復者に対する社会的差別の問題です。首都カトマンドゥの有名な観光地でもあるスワヤンブナート寺院へ向かう参道には、未だに何十年前と変わらず、喜捨を乞うハンセン病回復者が座っています。ハンセン病回復者であっても働ける人は職を得て、社会の一員として尊厳のある生活を送れるように、回復者と社会側双方の意識を変えていかなければなりません。
制圧達成後も手綱をゆるめることなく、医療面と社会面両面の活動がさらに強化されるよう、ネパールの友人たちの活躍に期待するとともに、私もまた現場に足を運び、見守り続けたいと思います。(了)