笹川陽平からのメッセージ

日本財団はWHOハンセン病制圧大使、日本政府ハンセン病人権啓発大使でもある会長・笹川陽平の下、医療面での制圧活動とともに、社会的差別の問題を人権問題として重要視し、患者・回復者とその家族の尊厳の回復と、平等な機会を享受できる社会の構築のための活動に取り組んでいます。

ハンセン病との闘い 〜 日本財団会長 笹川陽平からのメッセージ

私がハンセン病の現実を知ったのは、1965(昭和40)年、父・笹川良一に同行し、韓国のハンセン病療養所を訪れた時でした。そこで初めて、ハンセン病が進行し、手足が変形し、顔の形状が崩れてしまった人々が隔離され、肩を寄せ合い暮らしている様子を目の当たりにしました。

帰国した私は、韓国で受けた強い衝撃を忘れられず、ハンセン病に関する知識と情報の収集に没頭しました。そして、有史以来続いてきたハンセン病患者たちの歩いた悲しい歴史を知りました。以来、40年以上にわたって、私はハンセン病対策に取組んでいます。

写真:ブラジルのハンセン病患者と交流する笹川会長

1980年代に入ると、ハンセン病はMDTという治療方法が開発され治る病気となりました。そこで私はWHOを通じての治療薬の無料配布を実施するなどした結果、過去20年間で、約1,600万人のハンセン病患者が治癒しています。現在、ハンセン病が公衆衛生上の問題として残っている国(罹患率が人口1万人あたり1人未満)は、ブラジル(2011年1月現在)のみとなり、ハンセン病の制圧は目前まで来ています。

私は病気の治癒法を普及することに専念してきました。ハンセン病に永く携わった経験により、2001年に、WHOハンセン病制圧大使を拝命いたしました。そして、ハンセン病制圧活動の中で、多くのハンセン病患者、回復者と接し、多くの回復者が、病気が治って隔離された療養所を出ても社会に復帰することができないという現実を目の当たりにしました。家族から引き離され、名前すら失ったハンセン病回復者たちは、外見の変形から受ける差別と偏見により、社会に復帰することは難しいものでした。ハンセン病の療養所の中から見た社会の壁は、あまりにも高いものであることを知りました。

私がハンセン病制圧活動を通して気付いたことは、ハンセン病は、医学的な問題だけでは対応できないさまざまな差別を複合した社会問題であるということです。

いかに良い薬が開発され病気を克服しても、未だ彼らに明るい陽の光は降り注いでいません。多くの人々は、ハンセン病から目を背け、積極的に回復者を社会に迎え入れようとはしないのです。真にハンセン病を制圧するためには、これらの社会問題に取組まなければなりません。

人々はハンセン病患者や回復者を隔離し、ハンセン病の存在を社会から抹殺してきました。現在でも、ハンセン病から目を逸らす風潮は消えておりません。また、この問題は、医療的側面と差別による社会的側面の両面をあわせ持つ複雑さから、対処方法が難しく、支援する組織や人々は、極めて限られているのが現状です。そのため、私は2003年に国連への働きかけを始め、2010年には国連総会において、「ハンセン病患者・回復者及びその家族に対する差別撤廃決議」および付随する原則とガイドラインが192の全国連加盟国の全会一致によって採択されました。

写真:ブラジルで回復者の方を訪問した時の笹川会長

ハンセン病の社会問題を解決するためには、医療関係者、政治指導者、NGOなど多くの方々の協力が必要です。患者や回復者に励ましの声をかけ、回復者自らが社会に出ようとする勇気を培うとともに、世界中の人々に、ハンセン病が治る病気であり、偏見や差別はいわれが無いものであることを伝えなければなりません。 私は、多くの賛同者とともに、諦めることなく、人類の負の遺産ともいえるハンセン病に対峙して行く所存です。 差別などの社会問題が解決され、ハンセン病に苦しんだ人々が、健康を回復し、職に就き、家族と共に暮らすことのできる社会を実現するまで、この人生を奉げ活動して行きます。

日本財団 会長
笹川 陽平

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