国立ハンセン病資料館

日本財団は2016年4月1日、「国立ハンセン病資料館」(東京都東村山市)および「重監房資料館」(群馬県草津町)の管理運営を厚生労働省から受託しました。

国立ハンセン病資料館とは

写真
国立ハンセン病資料館の外観
写真
国立ハンセン病資料館の展示室(左)と証言コーナー(右)

ハンセン病患者の救済活動を行っていた藤楓協会(現在の社会福祉法人ふれあい福祉協会)の設立40周年に際して設立が計画され、1993年、全国のハンセン病療養所の入所者が共有する博物館施設「高松宮記念ハンセン病資料館」として開館。ハンセン病の回復者が生き抜いてきた証を残し、社会に同じ過ちが繰り返されないよう訴えかけることを目的に、多磨全生園の入所者が中心となって建設資金の工面・資料の収集・展示プランの作成・外構工事などを行いました。建設用地も多磨全生園の土地の提供を受けました。開館後は、語り部や展示案内などを中心に、入所者による活動を続けています。
国賠訴訟の結審を受け、国が回復者の名誉回復措置の一環として拡充し、2007年に、名称を「国立ハンセン病資料館」に改めて再出発。国立施設になってからは、学芸員の定員を増やして社会啓発、展示、資料の収集保管、調査研究、情報発信を行っています。

重監房資料館とは

写真
重監房の全体再現模型
写真
重監房の第1展示室「再現映像コーナー」(左)と第2展示室「出土遺物展示発掘調査報告」(右)

かつて、日本のハンセン病療養所には「特別病室」と呼ばれる建物がありました。1938年から1947年まで運用されていた特別病室は、群馬県の草津町にある国立ハンセン病療養所「栗生楽泉園」の敷地内にありました。しかし病室とは名ばかりで、その実態はハンセン病患者を対象とした懲罰施設であったといわれています。正式な裁判によらず入室と称して収監されたハンセン病患者たちには1日2回、わずかな麦飯や具の無いみそ汁などが食事として与えられました。また冬はマイナス20℃近くまでなったといわれる環境下で、電燈も暖房もない四畳半ほどの板張りの8つの房に、分かっているだけでも93人が収監され、そのうち、23人が亡くなったといわれています。
1947年に行われた国会の調査などでそのあまりの過酷さが明るみに出て社会に衝撃を与え、この特別病室は通称「重監房」と呼ばれるようになりました。現在、この建物は取り壊されて基礎部分だけがうっそうとした森の中に静かに残されています。
2003年、「栗生楽泉園・重監房の復元を求める会」が国に提出した10万7,101人分の署名が契機となり、ハンセン病問題対策協議会において「重監房復元、重監房跡地の保存については、国の責任で行う」ことになりました。
重監房資料館は、日本において1996年まで続けられたハンセン病隔離政策を象徴する建物であった特別病室(重監房)を負の遺産として後世に伝え、人権尊重の精神を育み、人の命の大切さを学ぶ施設として2014年に厚生労働省が設置した2館目の国立のハンセン病資料館です。

日本財団で資料館の運営を受託した経緯

日本財団とハンセン病との結びつきは40年以上にわたりますが、笹川記念保健協力財団や世界保健機関(WHO)を通じての国際活動を支援していたものの、国内分野については、間接的な支援にとどまっていました。
今般、ハンセン病資料館の運営という重責を担うにあたり、日本財団は、従来の資料館運営の継承と充実化を目指しています。日本財団会長の笹川陽平が、世界保健機関(WHO)のハンセン病制圧大使、また日本政府よりハンセン病人権啓発大使の職責を果たしてきていることもあり、国際的な資料館としての情報発信を少しずつ増やしていくとともに、国内における、各園の社会交流館等とのネットワークの強化も重点的に行っていきます。

関連リンク

お問い合わせ

国立ハンセン病資料館

住所
東京都東山市青葉町4-1-13
電話
042-396-2909
休館日
月曜日

重監房資料館

住所
群馬県吾妻郡草津町草津白根464-1533
電話
0279-88-1550
休館日
月曜日、冬季については団体客向けのみにオープン