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日本の技術でカンボジアの“幻の陶器”復活へ


アンコールワットを残したクメール王朝には『クメール焼』と呼ばれた優れた陶芸技術があった。悲劇の歴史の中で失われた技術をよみがえらせることで、経済的自立と生活レベルの向上とともに、カンボジアの人々の自信を取り戻そうというプロジェクトが進んでいる。

2014.01.06

内戦で傷ついたカンボジアの自信を取り戻す

ポル・ポト独裁や長い内戦の影響で、世界の最貧国の一つに数えられるようになったカンボジア。しかし、かつてこの地に栄えたクメール王朝は、世界遺産のアンコールワットに代表される高度な文化を残している。また、遺跡と似た文様や、ゾウなどの動物をモチーフにした美しい陶芸作品もわずかながら伝えられ「クメール焼」として知られるが、王朝の滅亡後、植民地時代とその後の長い内戦の間に高度な製陶技術は完全に失われてしまった。

この幻の「クメール焼」を、日本の益子焼の技術を使って復活させようというプロジェクトがカンボジア中央部に広がる同国最大の湖トンレサップ湖の南岸の町、コンポンチュナンで進んでいる。日本財団の協力で2009年10月に開始された「カンボジア伝統陶器復興プロジェクト」は、内戦で深く傷ついて立ち直ることが遅れているカンボジアの人々の自信を取戻すだけでなく、産地の村おこしにもつなげて、農村の生活レベル向上をも目指す意欲的な取り組みだ。

写真プロジェクトマネージャーの山崎幸恵さんが説明する。
「『クメール焼』の欠片はアンコールワット周辺から出土することはありますが、完全な状態のものは博物館に展示されているものなどごくわずかしかありません。製法などの資料も失われており、完全に再現するのは不可能なため、『クメール焼』は“幻の陶器”と呼ばれているのです。プロジェクトでは、日本の益子焼の技術者を招いて現代の“クメール焼”を目指します。過去のものとは違うので『コンポンチュナン焼』と名付けて、カンボジアの名産品に育てたいです」

山崎さんは1994年、内戦の爪痕の残るカンボジアに青年海外協力隊の隊員として派遣されたことをきっかけに、この国の人々の温かさに魅了されたという。体調を崩して派遣期間の途中で帰国したものの、カンボジアへの想いはさらに募り、病気を治した後でクメール語の取得のために首都のプノンペン大学に留学した。その後、十数年にわたりカンボジアで通訳として働いてきた。
「初めてカンボジアを訪れたのはポル・ポトの大虐殺もあった激しい内戦の後で政情不安も続いていた時代です。留学中に出会った大学の同級生たちも希望を失って、将来にも不安を感じているようでした。私が『クメール文化はすごい!』などと話しても、彼らは『自分たちの祖先がつくった文明とは信じられない』などと悲観的でした。この国の人々が自信を取り戻して、外国の援助に頼らず自立していくためには、若者たちが愛国心を感じるような、誇りが持てる自国の文化を育てる必要があるとずっと考えてきました」

目標は自立できるビジネスプランの確立

写真山崎さんは、通訳として日本とカンボジアの懸け橋として活動する中で2005年、栃木県がコンポンチュナンで実施した窯業支援事業に出会う。この町で作られる大小さまざまなサイズの素焼きの壺は、現地の人々の生活に欠かせないものだが、ろくろも使わず手作業で形を整えているため厚みにムラがあり割れやすい。手間の割には価格が安く抑えられてしまうため、村人の生活を豊かにするには、釉薬を使った耐久性の高い付加価値の高い製品を作ることが必要だと始められた事業だった。

山崎さんは「単純に新しい技術を習得するだけではなく、現代のカンボジアの人々の手で、クメール文化をよみがえらせることができるのではないか」と学生時代の目標を思い出して興奮したという。しかし、このときは小規模な窯を作り、最初の作品が完成したところで、援助期間が終了となってしまった。

カンボジアでは、外国からの援助でさまざまな事業が行われても、地元への技術移転が上手く行かず、援助期間が終わると後には何も残らないという“失敗例”が積み重ねられてきた。山崎さんは「地元の陶工が独自に商品を完成して販売し、ビジネスとして成立できるまではなんとか続けたい」とプロジェクト続行に協力してくれるパートナーを探し始めたという。
「そんな時にアジア各国で日本財団がさまざまな支援事業を展開していることを知りました。そして、売れる商品、しかも付加価値のある商品をカンボジアの人々の手で作って自立するビジネスモデルを確立したいという構想に共感してもらい、協力を得られることになりました」

写真プロジェクトの続行が決定すると、村はずれに工房が建てられ、本格的な登り窯も建設された。
「栃木県の事業が終わった後で、当時のメンバーは解散していました。新たに募集をかけたところ希望者が約30人集まりました。しかし、この国で外国が援助する事業に参加というと、参加するだけで日当をもらえると思い込んでいる人が多いのです。私が『商品を作って売れるまで無給』と説明すると、残ったのは7人だけでした。でも、本気で事業に取り組むメンバーがそろったことで、結束が固まりました」

写真

陶工たちの創意工夫で付加価値の高い製品を

コンポンチュナンでは陶器作りは女性の仕事と考えられており、7人の陶工は全員女性。その後、1人が家庭の事情で都市の工場へ働きに出るため離脱したものの、残った6人が連日工房に通い、ろくろを回し、乾燥させて、火入れをし、釉薬を使って柄を描き、焼き上げる、という作業を続けている。また、陶器づくりには薪の準備や土の運搬など力仕事も多いためメンバーの夫や息子などが加入して現在に至っている。

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中心メンバーのパウさんは「素焼きの器を作っているときはいつも同じものばかりでしたが、この工房に来てからは、デザインも多彩で、釉薬を使っていろいろな色も出せるようになりました。作るときに自分で工夫することを常に考えています。毎日、もっといいものを作りたいという気持ちが強くなっていきます」と笑顔で語ってくれた。
「みんなが欲しいと思うものを作ってみたい」
「アンコールワットの模様を取り入れてみたい」
「釉薬を使うのは難しいけど、思った通りの色が出せたときがうれしい」
「作品が売れるようになったら、子どもを上の学校に通わせたい」
などと、他の陶工も全員が前向きに取り組んでいる様子だ。

写真プロジェクト再開から3年。プノンペン市内の高級ホテルの灰皿や、日本から出店した有名ラーメン店の食器など業務用の製品を受注したほか、山崎さんがプノンペンで経営する土産物店「ニョニュムショップ」で販売する小物類のラインナップも充実してきた。またアンコールワットとプノンペンの途中に位置しているコンポンチュナンの工房には観光の合間に訪れる外国人客も増えてきたため、2013年末には直営店をオープンした。

山崎さんは「支援期間が終わった後、自立したビジネスとしてやっていけるまでは後一歩というところ」と話す。
「お客様が手に取った時の感想で一番多いのが『本当にカンボジアで作ったの?』というものです。カンボジアで売られている土産物は、実はタイ産やベトナム産というものも多いのです。早くコンポンチュナン焼をカンボジア名物として定着させていきたいですね。販路の拡大や、営業スタッフの拡充など課題は多いですが、やりがいがあります。幻のクメール焼に少しでも近づいて、カンボジアの人々が自信を取り戻すお手伝いができたらうれしいです」

撮影:大沢尚芳