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パラリンピックを通して共生社会の浸透を目指す


日本は2020年に東京で開催されるパラリンピックとどう向き合い、どのような大会とすべきか? 長野冬季パラリンピックなどで障害者スポーツを支援してきた日本財団では、民間の立場でパラリンピックのあり方を検討するため「日本財団パラリンピック研究会」を2014年6月に立ち上げた。2015年1月には日韓パラリンピック・セミナーを主催し、その研究成果の一部を発表した。

2015.03.12

共生社会を視野に入れたパラリンピック研究

写真 日本財団パラリンピック研究会はどのようにして生まれたのか。東京2020オリンピック・パラリンピック招致委員会評議会の事務総長を務め、現在、研究会の代表を務める小倉和夫氏はその動機について次のように語る。
「2020年の日本を考えると、老人と若者、外国人と日本人、障害者と健常者が互いを支え合う共生社会という考え方がさらに重要になっているはずです。こうした共生の概念を東京パラリンピックを通じて日本社会に浸透させ、日本モデルとして海外に発信していくことはできないか。招致活動を進めるうちに、そうした思いが強まりました。そこで招致活動中に学者やNPOの人たちに集まっていただき、パラリンピック懇談会を作りました。そして議論を1年半ほど重ね、報告書にまとめました。しかし、それが活かされることはありませんでした。招致活動においては、オリンピックに比べパラリンピックのあり方が議題にされる機会が少なかったことと、パラリンピックのあり方について統一的な見解を出すことが難しかったためです」

その際に大きな問題が浮上した。パラリンピックに関する調査研究が日本ではほとんど行われていなかったのだ。例えば、1964年の東京パラリンピックに誰が出場したのか、日本選手の数や男女比率、障害のカテゴリーなどが判然としなかった。統計はあるにはあったが、組織によって数字が異なったりしており、正確なデータとは呼べない状態だった。

「専門の研究者もおらず、これまでのパラリンピックにどんな問題があり、どんなレガシー(遺産)を残し、大会ごとにどんな理念を掲げてきたのかも日本では十分に研究されていませんでした。社会的、経済的な意義について考察した論文などもほとんどなかったのです。 東京開催が決まった時、まず思ったのは、パラリンピックに関する調査研究を始めなくてはならないということ。基礎的なデータや資料、研究がないところでいくら理念を話し合っても、それは思い付きにしか過ぎません。そんな曖昧な理念で2020年に向かっても大会の成功は難しい。インクルーシブな社会を目指してさまざまな活動を続けてきた日本財団にこの話を持ちかけると、二つ返事で一緒にやろうということになったのです」

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レガシーを継承し、未来のビジョンを考える

これまで研究会では、研究者、パラリンピック出場経験者、企業関係者、障害者スポーツの競技団体、ジャーナリストなどからもアドバイスを受けながらさまざまな研究やセミナー、意識調査などを行ってきた。

1964年の東京パラリンピックは、脊髄損傷による下半身まひ「パラプレジア」と「オリンピック」を合わせた造語として初めて「パラリンピック」と命名された記念すべき大会だが、顧みられることもなく、残された記録もごくわずかだった。研究会では新聞資料や関係者の自伝、報告書などを丹念に当たり、東京大会が日本の障害者スポーツや一般社会、その後のパラリンピックにどのような影響を与えたかを検証した。その結果、東京大会が日本における障害者のイメージを転換するきっかけになったことや、ボランティア活動が活発になる契機となったことなどが判明した。

写真2015年1月30日に早稲田大学で開催した「日韓パラリンピック・セミナー 2018平昌(ピョンチャン)・2020東京大会に向けて」(主催:日本財団パラリンピック研究会・早稲田大学スポーツ科学学術院)も大きな成果の一つだ。基調講演では、韓国パラリンピック委員会の金成一(キムソンイル)会長と日本パラリンピック委員会の鳥原光憲会長がパラリンピック開催の意義を述べ、日韓が手を携え成功のために協力していこうと呼びかけた。
続く第1セッション「過去の大会の遺産と教訓」、第2セッション「パラリンピック大会に期待するもの」では、日韓両国の障害者スポーツ研究者やパラリンピック出場経験者らが一堂に会し、障害者スポーツを取り巻く環境の変化や両大会を成功に導くために必要なことなどを話し合った。パラリンピックを開催したことのある両国にとって、過去の経験を比較し、今後のビジョンを共有するための初めてのアカデミックなセミナーとなった。

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パラリンピック後を見据えたビジョンを考える

写真 研究会が行った、日本を含む6カ国の男女4205人を対象に行ったパラリンピックに関する意識調査によると、パラリンピックに関する日本人の認知度は9割以上だった。しかしパラリンピックに参加する障害者のカテゴリーを正確に答えられたのは全体の0.5%に過ぎなかった(正解は「肢体不自由」「視覚障害」「知的障害」の3カテゴリー)。
「最近は障害者スポーツがメディアで取り上げられることも多くなりましたが、正確な知識をもっている人は極めて少ない」と小倉代表は指摘する。
「パラリンピックという言葉だけがひとり歩きしていて、実態が伴っていない。今後は一般層に向けての普及啓発活動も必要になってくると研究会では考えています」
同調査で、東京パラリンピックに期待することを聞いたところ、「障害者に対する社会の意識が変わること」、「福祉政策が進むこと」を挙げた人が、「日本選手のメダル獲得」と答えた人よりも多かった。この結果は、2020年大会の成功を考える上で重要だと小倉代表は言う。

写真「パラリンピックを一つの契機として、社会変革を期待する声が多いのは確かです。だからといってトップアスリートの存在が必要ないということではありません。障害者スポーツの裾野を広げる意味でも、頂点は必要です。ヒーローやヒロインがいることで、社会的な関心も高まるし、障害者も勇気づけられます。金メダルの数にこだわることなく、頂点と裾野のバランスをうまく取りながら、障害者スポーツを発展させていく方向を探っていくべきです」

研究会では今後さらに調査・研究を進め、2016年の春までに提言をまとめ、政府や東京都が進めるパラリンピック政策へ反映させていく予定だ。
「2020年を超えたビジョンを作っていくことが必要です」と小倉代表は言う。
「パラリンピックを一過性のイベントで終わらせてしまってはなりません。パラリンピックを成功させ、その成果をさらに一般社会にフィードバックしていくべきです。パラリンピックは、高齢化社会や共生社会を考える上での多くのノウハウや知見を私たちにもたらしてくれるはずです」

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日本財団のパラリンピック支援

1998年長野冬季パラリンピックでは、大会新聞(日本語・英語併記)や公式ガイドブック(一般用/点字用)の発行、障害者用のスロープや手すり、車いす席や車椅子用階段昇降機などの設置工事を支援した。
また、情報発信基地として設置されたボランティアセンターの運営費を負担。他のボランティア団体と日本財団の福祉車両を動員して、障害を持つ観客の送迎などを行った。 長野パラリンピックの後、「‘98アートパラリンピック長野展」の全国巡回展もサポートした。

「日本財団パラリンピック研究会」公式ウェブサイト

撮影:三輪 憲亮