次の災害に備えて
みんなのいのち

避難所で命が失われないために! 『被災者支援拠点』運営訓練の普及


東日本大震災による震災関連死は2011年3月末時点で1632人。その原因で一番多かったのが「避難所などにおける生活の肉体・精神的疲労」の638人で、全体の約4割にも及ぶ。災害では助かった命が避難所で失われるという事態を繰り返さないために、日本財団では「次の災害に備えるための『被災者支援拠点』運営訓練」の普及を目指している。

2013.11.25

想定外のことばかりが起きる避難所運営

「数多くの避難訓練を行っているので、自分たちには防災の知識があると思っていました。でも、今までは避難所に行くまでの訓練しか行っていなかったのです。避難所の運営体験は、混乱の連続でした」
2013年8月24、25日に東京都港区立港南小学校で行われた「次の災害に備えるための『被災者支援拠点』運営訓練」(主催:日本財団「次の災害に備える企画実行委員会」)において、仮想避難所を体験した参加者の方々からはこのような感想が多く聞かれた。

写真:久能和夫さん そんな声に対して、訓練でゲスト講演を行った仙台市立榴岡(つつじがおか)小学校前校長・久能和夫(くのうかずお、現仙台大学教授)先生は、「大災害時の避難所では、まさに想定外のことばかりが起こるのです」と、自らの経験を語った。

仙台市の指定避難所である榴岡小学校の想定避難者数は約600人だった。しかし東日本大震災発生後、実際に学校に押し寄せた避難者は最大で約2500人にもおよんだ。
近くにあるJR仙台駅では、新幹線ホームの天井パネルが落ちるなどの被害が出て全列車が運行を取りやめ、避難所として榴岡小学校をアナウンスした。駅を閉めだされた人や近くのビルの会社員、卒業式に参加していた学生など想定の4倍以上の人々が押し寄せたのだ。
しかし、緊急時に避難所開設の指示を出す仙台市宮城野区役所に、何度も防災無線で連絡を試みてもつながらない。そのため久能校長が自身の判断で体育館の開放を決めた。
「なぜ、こんなに人が押し寄せるのか? それすらもわからない状態で、次々と判断を下さねばならない。私に“避難所の開設”の権限はないのですが、雪が降り始めていたので、校長権限で“体育館の開放”としたのです。大災害時の避難所とは本当に想定外の状況ばかりで、その中で様々な判断を下していかねばならないのです」(久能先生)

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災害では助かった多くの命が避難所で失われた

東日本大震災後3日目のピーク時には全国で約47万人の避難者が発生し、3月末の段階でも15万人以上の方が避難所生活を強いられた(総務省消防庁発表 (PDF/1MB))。
そんな中、2011年3月31日時点での震災関連死の死者数は1632人にもおよぶ。その原因の中で一番多かったのが「避難所などにおける生活の肉体・精神的疲労」の638人で、全体の約4割(復興庁発表 (PDF/952KB))。直接の被災による死者・行方不明者の莫大な数に注目が集まる中、災害では助かった尊い命が避難所で失われるという悲しい事態も起きていたのだ。

そこで日本財団「次の災害に備える実行委員会」では、緊急救助やがれきの片付けなどの影に隠れがちで、支援者や避難者自身も課題に気づきにくい避難所での生活に着目。さらに、災害発生時に地域の被災者全体を支援する「被災者支援拠点」としての避難所のあるべき姿や支援のあり方をモデル化して示す試みとして、「『被災者支援拠点』運営訓練」を開始し、その普及を目指している。
第1回は3月25~26日に日本財団1Fバウルームで、第2回目として港南小学校で、港区に在住されている方と勤務されている方を対象に訓練が行われた。

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細かい役割設定による本格的な避難所運営訓練

港南小学校はJR品川駅から東へ徒歩10分ほどの、多くの高層オフィスビルやマンションが立ち並び、人口急増中の発展著しい湾岸エリアにある。榴岡小学校同様に出張中のサラリーマンや旅行客の利用が多い新幹線停車駅・品川駅に近い港南地域は、久能先生の話は人ごとではない。
「実際に東日本大震災の時、港南小学校でも約100名の帰宅困難者を受け入れて多くのことを学びました。普段から地元の港南防災ネットワークなどと連携して防災の勉強を行っていますが、首都直下型になれば一気に避難者の人数は膨れ上がります。今回は良い訓練の機会を頂いたと思っています」
と港南小学校校長・古家眞先生が語ってくれたように、港南防災ネットワークのメンバーと港南小学校の職員を中心とした参加者の意識も高い。
訓練は実際に学校に泊まり込み、講義やグループワークを挟んで、シナリオに基づく避難体験訓練が行われた。

訓練は17時から2時間、空き教室を使って行われた。災害の想定は最大震度7の地震が発生。港南地区での建物の倒壊はないが、揺れに伴う家具の転倒、火災、落下物により死傷者が発生している。地域全体が停電、水道・ガスも停止だが、トイレは貯水タンクの水を使って使用可能。電話携帯などの通信は不安定で繋がりづらいというもの。
参加者には番号が書かれた役割表が配られる。役割表には「60代女性、5番の男性の奥様。熱っぽく体がとてもツライ状況」「30代女性、生後6ヶ月の赤ちゃんがいる。赤ちゃんはアレルギー体質」などと書かれており、周りには役割表の内容を見せずに演じきらねばならない。訓練には港区聴覚者協会から、実際に耳の不自由な方も参加している。しかも、在留外国人が多い港区だけに「30代男性アメリカ人。日本語はある程度話せるが、字は読めない」などの役割もある。

写真運営側からの指示は「避難所開設」「避難者の名簿作り」「夕食をとる」の3点だけ。参加者からは「もう少し細かい指示をしてくれないと、何していいかわからないよ」といった苦情が出る中、いきなり訓練はスタートした。
まずは「避難所開設のために港南小学校に駆けつけた区役所職員」役の人を中心に、手分けして避難所の設営と名簿作りを開始。しかし、耳が聴こえない人や字の読み書きができない外国人もいるので作業は手間取る。そこへ、「足を怪我した!」「めまいと頭痛がする……」といった病人たちが次々と登場し、現場は混乱していく。それでも食料などの備蓄物資のチェックが始まると、物資責任者を決めるなど参加者が自主的に動き出し、設営の方も赤ちゃんがいる女性などのために机とブルーシートで衝立を作るなど様々な工夫も始まった。18時を過ぎて暗くなり始めると、チェックしていたはずの懐中電灯の一部に電池が入っていないといった確認ミスなどがあったが、終了の19時までに何とか参加者全員が食事を取ることができた。

訓練後には振り返りと活発な意見交換

しかし訓練の最後に、支援団体からのニーズアセスメント(聞き取り調査)という設定が始まると多くの問題が発覚した。
写真無事に食事をしたつもりでいたが、実はアレルギー体質ではない人たちが、通常の備蓄食ではなくアレルギー対応のものを食べてしまっていた。これは、備蓄物資のチェックと配付方法が万全でなかったためで、もし長期間の避難となった場合はアレルギー体質の方の命に関わるミスである。
また、作業に追われてしまうと、怪我人や耳の不自由な方、外国人などの存在を忘れがちになっていたことが判明。避難所では健康状態や意思疎通に問題がある方ほど置き去り状態になりやすい。しっかりとケアをして状況を把握しておかないと、NPOなどからのニーズアセスメントがあった場合にも適切な支援を受けることはできなくなってしまう。
そして、それらの中でも一番問題となったのはトイレについてだ。「トイレの数や衛生状態はいかがですか?」との問いに、誰ひとり正確な回答ができなかったのだ。実はトイレの管理は避難所生活でとても重要で、一番初めに管理方法を決めなければならないもの。詰まるなどしてトイレが故障すると問題が多発する。ただでさえストレスの多い避難所生活に臭いという問題を起こすだけでなく、感染症の原因にもなる。そして、汚いトイレに行きたくないために水分摂取を控えると、水分不足が原因で血栓ができやすくなる。それが原因で、脳梗塞や心筋梗塞を起こして亡くなってしまう老人が非常に多いのだ。
訓練後、参加者からは、「本当に気づかないことばかり……」「どう動いていいのかも分からなかった」という感想の声が多く漏れた。

港南小学校で一夜を過ごし、2日目の午前中には「発災後に避難所や地域で起こりうる状況や課題」についての講義と全体を振り返る時間を設けた。
振り返りの時間には
「誰かがやってくれるのを待つのではなく、自分が率先して状況を変えなくてはならない」
「状況の把握が難しい。正確な名簿・リストを制作して、それを上手に活用して情報共有したい」
「日常からの地域の交流や連携が大事。災害時には遠隔地からの支援に頼る必要もあるため、関東以外の地域の防災ネットワークとも交流しておく必要がある」
など、活発な意見交換が行われた。

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避難所運営のリーダーがたくさん誕生した

「訓練が始まると、参加者の皆さんから『もっと細かい指示を出してくれ』『ちゃんと説明がないと何をしていいか分からない』という声が上がりました。それを聞いて私は、とても実践的な良い訓練だと思いました。なぜなら、実際の災害時の避難所とは、本当にそういう状況なのですから」
訓練を見届けた久能先生は、そう感想を述べてくれた。実際、榴岡小学校でも人が押し寄せただけでなく、避難所開設後も次々と想定外のことが起こった。
一例を上げると、11日の夜時点での避難者2500人に対して、備蓄食料は想定避難者数約600人の2日分の約1200食しかなかった。そのため久能先生は支給を取りやめ、他の教員とともに食料を探し求めた。そして、翌日朝までにコミュニティーセンターや宮城野消防署原町出張所の協力で3080食をやっと確保した。しかし、食事の配給所には想定を超える長い行列ができた。原因は、学校内に入りきれなかった自宅や公園で夜を過ごした周辺住民やオフィスに泊まった近隣の会社員たちが、食事を求めて集まってきたのだ。その結果、食事はすべての人に行き当たらなかった。
「学校のような指定避難所は、単に避難所内の運営をするだけではなく、地域住民を含めた被災者の支援機能も持たねばなりません。ですから、私は今回の『被災者支援拠点』の運営訓練という考え方にも共感しています。そして、今回の参加者は非常にモチベーションの高い方ばかりでした。この経験を活かして、実際の災害が起きてもしっかりと行動してくれると思います。ですから、昨日と今日で、この港南地区には避難所運営におけるリーダーがたくさん誕生したわけです。今後、この訓練が全国的に広がり、もっと多くのリーダーが各地に誕生して連携すれば、災害時の被災者支援拠点としての避難所が大きく変わると思いました」

撮影: 三輪 憲亮(港南小学校)、染瀬 直人(日本財団)