ハンセン病の制圧に向けて
人間の安全保障

エチオピアで回復者一人ひとりが生き抜くために


ハンセン病の新規登録患者数世界第5位のエチオピアでは、1996年に設立されたエチオピア全国ハンセン病回復者協会(ENAPAL エナパル)による自立のための活動が成果を挙げている。差別が色濃く残る中で、回復者が自らの手で進めてきた取り組みについて、来日したENAPAL前会長のビルケ・ニガトゥさんに聞いた。

2014.02.12

女性回復者が物乞いから脱出するための手工芸品販売

写真初めての日本訪問でニガトゥさんは、東京、岡山での講演でエチオピアのハンセン病問題について理解を求めるとともに、岡山県瀬戸内市の国立ハンセン病療養所「長島愛生園」を訪問、日本の回復者たちと交流した。入所者たちから日本で実施されていた隔離政策の実情を聞き、「ハンセン病だというだけで何も悪くない人が、つらい思いをするのは世界共通。この状況を変えるために一緒に頑張りたい」と強い思いを抱いたという。

ハンセン病への偏見や差別が残る他の多くの国々と同様に、エチオピアでもこの病気は呪いや天罰などによるものだと考えられてきた。患者や回復者は、家族や地域社会から拒絶され、就学、就職の機会も失われ、物乞いをせざるを得ない状況に追い込まれたという。

1983年に国際的に認められたハンセン病の治療法、多剤併用療法(MDT)が導入され、患者数が激減すると、変化が訪れる。エチオピア政府は1990年代に入り、患者や回復者に対するサービスを一般の保健サービスと統合。ハンセン病患者や回復者に特化した医療サービスがストップしたため、状況はますます厳しくなったという。このため、差別撤廃や生活の向上などを求めて回復者自身が初めて立ち上がり、1994年にENAPALの前身となるアディスアベバ・ハンセン病回復者協会が発足、2年後の96年には組織は全国に拡大しエチオピア全国ハンセン病回復者協会(ENAPAL)が誕生した。

ENAPALは、参加する回復者自身が納める会費(月間1~2ブル 約10~20円)を中心に運営され、政府や関係諸機関との交渉のほか、ハンセン病についての啓発活動、回復者が社会的、経済的に自立するための様々な取り組みを実施している。現在、組織の規模は7地域に66支部までに拡大し、全国の80%をカバーするまでになった。それぞれの地域に合わせた活動を展開しており、特に毎年1月最後の日曜日の「世界ハンセン病の日デー」には各支部がそれぞれ工夫を凝らした形で回復者たちの権利をアピールしている。世界的に回復者自身による自立に協力する日本財団も、ENAPAL発足当初から、笹川記念保健協力財団と協力して活動を支援してきた。

ENAPALの回復者の自立に向けた活動の中でもユニークなのが、女性回復者グループによる刺繍を施した手工芸品の販売。ハンセン病回復者であることに加えて、女性であることで二重の差別を受けてきた中で、初めて自分の力で収入を得ることができたという。この活動を始めたのが、ENAPAL第二代会長のビルケ・ニガトゥさん(54)だ。

ニガトゥさんは6歳で発症したが、教会での祈祷や呪術師によるまじないなどを受けさせられた後、10歳になって首都の専門病院で、ハンセン病だと診断を受け治療を始めたという。半年間の入院治療を経て病気は完治したが、退院しても病気へ理解がない実家には戻ることができず、回復者たちの定着村へ。一度は家政婦として働き口を見つけたものの、勤務先の主人からレイプされそうになって逃げ出し、入院中に覚えた刺繍を活用して“起業”に踏み切ることになったという。

「働く」という考え方を根付かせる

――経済的自立が大切な理由と、その手段として刺繍を選んだきっかけを教えてください。

「かつて多くの回復者たちは、真面目に働くことや上司の下で働くということを知らず物乞いだけに頼っていました。物乞いの女性が子どもを連れ歩くため、その姿を見た子どもがまた物乞いになるという例もあります。また、一般の人々も、私たちハンセン病患者や回復者のことを物乞いとしか見ていません。仕事で収入を得ることはできないと考えているのです。ですから、そうではないことを社会に示したかったのです。

写真知識もなく、『働く』という考え方も知らなかった女性たちが、グループでまとまって仕事をして時間を費やしていくことで考え方が変わってきました。今では、彼女たちも自分たちが仕事をしてお金を稼げること、自分たちが社会の役に立つことを理解しています。

刺繍を選んだのは、エチオピアでは伝統的に刺繍が盛んで、文化的なものであると認識されてきました。女性たちに人気がある上に、土産物としても気に入ってもらえます。もう一つ、初期投資が大してかからないことも重要でした」

――ハンセン病への偏見が残る中で、商品の販売に苦労はありませんでしたか。

「当初、人々は私たちの商品を買いに来ようとはしませんでした。ENAPALで粘り強く啓発活動を行い、世界各国からエチオピアに来た大使の夫人たちや海外のNGOにロビー活動を続けるうちに、私たちの刺繍が知られるようになりました。商品を買いに来た人から『病気がうつるのでしょう。どうやってコミュニケーションをとったらいいのかしら』と聞かれたこともあります。私はそんな時、自分の手を見せて『治っているでしょう。ハンセン病は治るのです。心配しないでください』と伝え、ENAPALで作ったパンフレットも渡しました。そして、次第にお客様が増えていきました」

――ハンセン病回復者の人々のビジネスが成功する秘訣は何ですか。

写真「私が関わっている女性の回復者グループで働く人の多くは貧困の中で暮らしていました。しかし、グループとしてまとまることで力が生まれ、その組織力を使って様々な活動ができるようになりました。たとえば刺繍の手工芸品の販売の場合は、ENAPALが技術を教えて開業の資金を提供すれば、収益を上げて家庭を守っていくことにつながります。

もう一つは、世界中からの多くの支援です。日本財団や笹川記念保健協力財団などのパートナーの協力があってこそ、ENAPALの事業が成功したと考えています」

ハンセン病のない社会を実現するという夢に向かって

――ENAPALの活動が順調に発展してきた理由は何だと考えていますか。

「ENAPALのリーダーたちが責任感を持って回復者を代表していることだと思います。ENAPALの理事は全員が回復者であり、スタッフの半分が回復者またはその家族です。組織に関わる者すべてが、自分自身や身近な人の問題を解決するために、それぞれの担当の仕事に責任を持って取り組んでいます。

会員たちは、毎月会費を納めています。大した額ではありませんが、自分が組織に属しているという意識を高めるのに役立っています。

一方で、政府との協力関係も重要です。保健省や社会問題省の担当者と緊密に連絡を取り合い、啓発活動などに努めていて、政府からは、私たちのプロジェクトの実施に必要な土地が無償で提供されています。また、外国の支援団体や国際機関との強い関係も、大きな力になりました。国際障害者連盟にも加盟して、エチオピア国内の聴覚、視覚に障害のある方、知的障害など、他の障害を持つ方の団体とも協力して活動しています」

――政府との関係について詳しく聞かせてください。

「ハンセン病患者や回復者たちが抱える問題は、社会の心理的な問題、貧困、身体の障害など多面的です。貧困で靴を買えずに裸足で歩くと、患部を保護することができず症状が悪化してしまうのです。こうした問題に対処するため、私たちは常に政府への働きかけを続けていたのですが、政府が距離を置きたがっていたように感じていました。

しかし、2013年9月、アディスアベバで開催されたハンセン病差別撤廃のための国際シンポジウム(主催・日本財団)に、初めて政府の代表として、エチオピアのデサレン首相が出席してくれました。これからも活動を続けるにあたって背中を押してくれるような出来事だったと思います。シンポジウムを通じて、ENAPALの会員自身が抱える問題を解決するためには、会員の組織力をさらに高めていく必要があることも認識しました」

――ENAPALにとって、これからの課題は何ですか。

「新規患者数が約20年間、毎年4000~5000人で推移しており、減少しないという問題が残っています。私たちの実感としては、患者は逆に増えているのではないかという疑いもあります。地方の医療機関にはハンセン病についての知識を持つスタッフがいないこともあり、正しい診断を受けることが難しいのです。現在のENAPALでは調査活動を行う資金もありませんし、許可を取るのも難しいのですが、政府の高官と会う機会には必ず状況を説明して協力を求めています。

私はENAPALの幹部としてハンセン病による障害、そして社会的差別の犠牲者を私たちの世代までで止めなければならないという責任を感じています」

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――ENAPALの今後の目標、ニガトゥさん自身の夢を教えてください。

「ENAPALは他国の回復者組織や、他の障害者団体のモデルになるべきだと思っています。私たちの経験を多くの人と共有したいと思います。また、私自身の夢は一つだけ。ハンセン病のない社会を実現することです」

長島愛生園を訪問、日本の回復者との交流

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ビルケ・ニガトゥさんは11月8日、岡山県瀬戸内市の国立ハンセン病療養所「長島愛生園」を訪問、入所者の陶芸や絵画、俳句、短歌などの作品を鑑賞したほか、世界遺産登録を目指す園内の歴史的建造物を見学した。長島愛生園は、1930年に開設された全国初のハンセン病療養所。以前は2000人以上が暮らしていたが、現在の入所者は約250人で平均年齢は80歳を超える。

ニガトゥさんは「療養所の皆さんの素晴らしい作品を見て、とてもうれしく思います。今回、こちらを訪問できたことは大きな財産となりました。世界遺産への登録を目指す活動も、私たち世界中の患者、回復者の尊厳を取り戻す大きなチャンスです。世界中でハンセン病の問題を解決する活動の支えとして期待しています」と語った。

ニガトゥさんは翌9日、岡山市のママカリフォーラムコンベンションホールで行われた国際シンポジウム「ハンセン病が紡ぐ世界の色彩」に出席。自らの体験を語り、差別撤廃への想いを訴えた。

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撮影:コデラケイ(長島愛生園訪問)