ハンセン病の制圧に向けて
人間の安全保障

ハンセン病を語り継ぐ若者たち


毎年、「世界ハンセン病の日」(1月の最終日曜日)に合わせて日本財団が行う「グローバル・アピール」の発表が、2015年1月に初めて日本で行われた。そのサイドイベントとして、1月22日に早稲田大学で「ハンセン病でつながる若者と世界」合同シンポジウムが開催された。ハンセン病問題に向き合い活動している若者の取り組みを世界に発信し、活動者同士をつなげ、連携や協働を促した。シンポジウムでも発表されたフィリピン・クリオン島における「HOPEプロジェクト」の活動をこの機に動画で紹介し、ハンセン病でつながる若者の姿と、ハンセン病を語り継ぐことの大切さを伝えたい。

2015.04.01

ハンセン病の歴史を風化させないために

病気としての世界制圧が近づいているハンセン病だが、差別と偏見はいまだに根強く残っている。そこで、日本財団は「グローバル・アピール2015」の東京での発表に合わせて、ハンセン病に対する理解を深め、偏見や差別について考える機会をつくるための「THINK NOW ハンセン病」キャンペーンを展開し、サイドイベントを多数開催した。
現在、ハンセン病に関する大きなテーマの一つとなっているのが、ハンセン病にまつわる悲劇の記憶や歴史を風化させないということ。各イベントでも、どのように歴史を保存して語り継いでいき、あらゆる差別や偏見のない社会の実現に生かしていけるかという議論が行われた。

写真:開会挨拶をする日本財団学生ボランティアセンターのセンター長・西尾雄志氏 ハンセン病をしっかりと語り継いでいく上で、重要になるのが若者の存在だ。
2015年1月22日に、早稲田大学で開催された「ハンセン病でつながる若者と世界」合同シンポジウムの開会挨拶で、日本財団学生ボランティアセンター(通称:Gakuvo)のセンター長・西尾雄志氏はこう語った。
「ハンセン病が制圧されつつあるのは人類悲願の達成といえるが、その反面、日常生活の中ではほとんど意識されない病気になりつつある。これは、世界人類が共通して犯してきた差別という罪に対する忘却の始まりにもなりかねない。現在生きている人間が、差別を受けたハンセン病回復者の方たちの肉声を聞くことができる最後の世代かもしれない。だからこそ若い世代にハンセン病のことを考えてほしい」

写真シンポジウムには中国やインド、ベトナム、フィリピン、そして日本で活動する若者たちが参加し、自分たちの取り組みに関するプレゼンテーションを行った。
ハンセン病回復者らとの交流やワークキャンプによる協働生活、自立した生活のためのソーシャルビジネスの展開などが報告され、同世代による世界各地の情報発信に客席で参加した約50人の学生たちも熱心に耳を傾けた。

元ハンセン病患者の隔離島での台風被害支援

写真登壇者の中でフィリピン・クリオン島での活動を報告したのは、日本財団学生ボランティアセンターが派遣した災害支援「HOPEプロジェクト」の参加者だった佐々木美穂さんと菊池遼さんだ。
彼らは現在も、HOPEプロジェクトで生まれたクリオン島とのつながりを大切にし、「Hand-in-Hand」という新たなプロジェクトに発展させ、地元の学生たちと共にワークキャンプを行っていることを報告した。

写真クリオン島は、かつて世界最大級のハンセン病患者の隔離施設だった島。1906年に療養所が完成し、最盛期の収容人数は5000人を超えた。日本でも、この隔離島をモデルにして、岡山の国立ハンセン病療養所「長島愛生園」などが作られたという。フィリピンでは1952年にハンセン病隔離法が廃止され、1964年にはハンセン病の外来治療を定める法令が制定されたが、現在の約2万人の島民のほとんどがハンセン病回復者や隔離施設時の医療関係者とその子孫となっている。

写真2013年11月に台風30号ハイエン(フィリピン名・ヨランダ)がフィリピン中部を襲った。
多くの人口を抱えるレイテ島などは世界中で被災状況が報道され、支援のための人材や救援物資が集まった。しかし、北部パラワンの小島・クリオンの被害が取り上げられることは少なく、支援の手や物がほとんど集まらなかった。また、ハンセン病回復者には手や足に後遺症を残している方が多いため、家屋の修復作業などの復興作業は困難を極めた。

ハンセン病に対する支援活動を通じてクリオン島との関わりが深い日本財団と笹川記念保健協力財団は、発災当時からクリオン療養所ならびに総合病院のクナナン院長と連絡を取り合い、支援物資などを送っていた。そして、復興作業が滞っていると知り、学生ボランティアの派遣を決定。日本財団学生ボランティアセンターによるHOPEプロジェクトを立ち上げ、2014年2月12日から3月30日の間に20名を一隊として4陣を派遣し、崩壊した家屋の再建活動などを行った。

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学生ボランティアをクリオン島に派遣した意義

写真物資や金銭的な援助だけでなく、学生ボランティアを派遣したことには大きな意味がある。
第一の理由は、学生たちにとってハンセン病回復者やそのご家族と触れ合いながらボランティア活動をすることは貴重な経験となることだ。
菊地さんも「HOPEプロジェクトに参加するまでは、ハンセン病についてほとんど知らなかった」と言う。 現地で学生たちの指導にあたった日本財団公益グループ・日高将博は当時をこう振り返る。
「クリオン島に住むハンセン病回復者の方たちは、とても苦しいことや悲しいこと、大変多くの人生経験をされてきました。その前では、学生たちは自分を飾ることなどできません。だから学生たちには、本当の気持ちで島の人々に語りかけて、感じたことを日本に持ち帰って友だちや身近な方などに伝え、自分の殻を破ってもらいたいと考えました」

写真 また、学生たちの明るさが被災地に良い影響を与えることも期待されていた。
「学生たちが来たことで、島中がとても明るい雰囲気になりました。僕らが視察に行った時はどこか遠巻きに見ている感じだった島民たちが、学生たちには気軽に声を掛けてすぐ打ち解けていったのです。ある島民の方は『11月にヨランダの被害に遭い、クリスマスは屋根も窓もない家で過ごした。新年を迎えても、その状況はほとんど変わらなかった。それが、バレンタインデーに日本の学生が来てくれて、我々に大きな希望を与えてくれた』と喜んでくれました」(日高)

写真そして、「学生ボランティアたちには、クリオン島やハンセン病について語り継いでいってほしい」と、現地でクリオン歴史資料館などを案内してくれたHermie Villanuevaさんは語る。
「私はツアーガイドですが、単に観光名所や美しい場所を案内するだけが仕事ではありません。ここを訪れた人々、特に外国人や学生さんたちに、かつてハンセン病患者がどんな苦しみにあい、どのように病と闘ってきたかを伝えること――それが私の使命なのです。そして、偏見は今も残っています。それは、ハンセン病に対する理解がまだ十分ではないからです。学生の皆さんには、ぜひ日本だけでなく世界中にクリオン島やハンセン病のことを伝えていってもらいたいと願っています」

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ハンセン病でつながる若者たちが差別のない世界を作る

写真クリオン島からの帰国後、学生たちは日本各地でHOPEプロジェクトの報告会を行い、ボランティア活動の内容についてだけでなく、クリオン島の歴史や現状、ハンセン病についても発表を行った。そして、現在もクリオン島との絆を大切に活動する有志たちもいる。

佐々木さんは、「Hand-in-Hand」の活動にクリオン島の学生を巻き込んだ成果をこう発表してくれた。
「クリオンの若い人の中には、大学進学や就職でマニラなどの都会に出た場合、クリオン出身だということを隠している人も多くいます。まだ、フィリピンにもハンセン病に対する差別や偏見が残っているからです。でも、私たちが大好きになったクリオン島への思いを伝えながら一緒に活動することによって、彼らも生まれ育った島や自分のアイデンティティに自信を持ってくれたようでした。そしてキャンプの終わりに、『これからは、クリオン島出身であることに誇りを持ち、ハンセン病の歴史や現状をアピールしていきたい』と言ってくれたのです」

今後、ハンセン病への偏見や差別がなくなり、その悲劇の歴史が語り継がれて教訓として生かされていくために、ハンセン病でつながった若者たちが活躍してくれるだろう。

写真:クリオン島での活動の前に準備運動をするボランティアの学生たち

撮影:松田 忠雄(クリオン島)