すべてのミャンマーの人々とともに
人間の安全保障

おなじみの福祉車両が救急車に生まれ変わる


白地の車体に大きな緑色のシェアマーク。障害者の送迎や、入浴支援などで使われている日本財団の福祉車両を見かける人は多いだろう。日本財団では2007年から日本での役割を終えたものの走行可能な福祉車両を、ペルー、カンボジア、スリランカ、インドネシアに計198台寄贈してきた。2012年からはミャンマーにも寄贈される。救急車などの医療目的の車両への改装作業が進むヤンゴン市内の工場を訪ねた。

2013.02.25

乗用車は増えても救急車が足りない

日本での役割を終えた福祉車両26台がミャンマーの救急車などの医療関係車両としてよみがえる。2012年末までにヤンゴンの港に届いた車は、保健省の倉庫に隣接した駐車場で改装の順番を待ちながら出番を待ち構えている。

ミャンマーでは2011年に中古車輸入が大幅に緩和され、自動車の価格が以前の10分の1程度に下がり交通量が急速に増加。ヤンゴンでは民主化以前にはなかった“渋滞”が常態化するようになった。軍事政権時代とは違って自動車が容易に入手できるようになったミャンマーに中古の福祉車両を贈ってもきちんと活用されるのかという懸念もあったという。

しかし、受け入れ側のミャンマーからこの取り組みのアドバイザーとして参加している元保健省伝統医療局長のティン・ニュン医師から、ミャンマーでは救急医療体制が遅れているという指摘があり、福祉車両を救急車に改装するアイディアが浮上。車両のミャンマー到着後に改装修理を行った上で、保健省が運営する国立病院に寄贈することが決まった。

「たしかにミャンマーは急速に発展しています。しかし、全国に800ある国立病院のうち、約600の病院では救急車が不足しています。だから、今回の取り組みは非常にありがたい。この26台の救急車をきちんと生かせるかどうかは、乗り込む救急隊員の訓練にかかっていると思います」とティン・ニュンさん。

昭和の雰囲気と似ている町工場で

ミャンマーに到着した福祉車両はヤンゴン市内の医療器具の工場に運ばれて、ストレッチャーなどの車内の装備や救急用の医療機器、赤色灯、サイレンなどが取り付けられる。外装は車体前方に赤い文字で「AMBULANCE」と書かれただけで、あとは日本で走っている福祉車両そのままの姿。おなじみのシェアマークも健在だった。工場の責任者、ペッ・タン社長は「救急車に乗せる医療器具は重いものが多いので、車体がしっかりしていないときは大がかりな補強が必要なので改造も大変ですが、日本車は大丈夫。これなら安心して病人やけが人を運べるし、車内での治療もできますよ」と話す。

救急車仕様への改装が終わると、次は自動車修理工場に運ばれる。ミャンマーの規制に合わせた部品の交換や、日本での故障部分の修理などが行われる。工場とはいっても、民家のガレージ程度の広さだったり、駐車場の一角を使った青空工場だったりで、決して設備が整っているとはいえない状況。しかし、一つひとつの工程を手作業で丁寧に進める職人たちの真剣な横顔は、昭和の日本の町工場を思い出させる。

この日、工場で作業が行われていたのは、岐阜県のNPO法人「あんきや」で障害者送迎用などに使われていた福祉車両。フロントのダッシュボードには「あんきや」のスタッフからの手紙が飾られていた。

「ハイエースさん、ありがとう。『あんきや』を始めるために来てくれ、体の不自由な人を載せて43万キロ以上走ってくれました。夏は35度、冬はマイナス15度。積雪凍結路を危なげなく走破してくれました。(中略)新しい土地でも安全と安心を届けてください」

日本財団の担当者が工場のスタッフに内容を説明したところ、ものを大切にするミャンマーの人々にも共感を呼んだという。早速ミャンマー語に翻訳して車内に掲示した。ティン・ニュン医師も「(車への感謝を示した)手紙は本当に素晴らしいと思います。日本の人々の気持ちを引き継いで、われわれもこの車を大切に使っていきたいです」と話していた。

日本財団のミャンマー支援の中で、保健医療分野は大きな割合を占める。中古福祉車両の寄贈とともに、2012年から実施されているのが少数民族地域でのモバイルクリニックへの支援。ミャンマー保健省、ミャンマー医師会などと協力して、医療サービスチームが定期的にモン州、カレン州の少数民族居住地域を巡回し、治療にあたるとともに、保健衛生面の整備を支援する。

写真

中古福祉車両の寄贈にかかる費用(26台分)(2012年度末)

  • 日本国内輸送、海上輸送、駐車料など 327万463円
  • 税関検査等書手続き費用 19万400円
  • 救急車両付属品、修理、整備費 500万円(予算)
  • 関税:免除
  • 一台当たり費用概算:約30万円
写真

撮影:大沢 尚芳