海の未来を考える
海の未来

パラオとの友情の証「NIPPON MARUⅡ」が就航


日本財団は、2012年にパラオを襲った大型台風により沈没した旅客船「日本丸」を代替する「NIPPON MARUⅡ」を寄贈した。パラオの経済・教育の中心地コロール島と、同国南部のペリリュー島を結ぶ定期便として2014年12月から、人々の足として活躍している。

2015.05.01

日本と歴史的に関係の深いコロール島とペリリュー島

写真パラオ共和国は、日本の南約3000キロメートルに位置する、大小500以上の島々で構成される島嶼国。南部のロックアイランドが2012年に世界自然遺産に登録されるなど、美しい海とサンゴ礁で有名なリゾート地として観光客にも人気だ。一方で、コロール島には第一次世界大戦後の1920年から第二次世界大戦終戦の1945年まで、日本の委任統治領となっていた西太平洋の島々(南洋群島)を治めるための南洋庁が置かれ、2万人以上の日本人が移住していた。

また、第二次世界大戦当時、日本軍の飛行場があったペリリュー島では1万人以上の日本軍守備隊が玉砕、米軍側でも1000人以上が亡くなった激戦地として知られている。同島には今もなお、戦時中の日本軍施設や戦車などの残骸があちこちに見られるだけでなく、70年前に亡くなった日本軍兵士の遺骨が残されたままの洞窟も数多くあるという。そうした数多くの戦死者のために、島の高台の共同墓地の一角に日本軍兵士の慰霊碑が建立され、長い間、現地の人々に大切に守られてきた。この島で起きた悲劇は、2015年4月、戦後70年目で初めて天皇皇后両陛下が慰霊のために訪問されたことで、あらためて広く知られることになった。

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2つの島をつなぐ懸け橋「日本丸」

写真かつて、コロール島とペリリュー島の間には「日本丸」という旅客船が運航されていた。1989年、当時のパラオ共和国のエピソン大統領とナカムラ副大統領の要請を受けて日本財団が寄贈したもので、20年以上の間、島の人々は修理を繰り返しながら大切に使ってきた。しかし、2012年12月の台風で沈没。その結果、ペリリュー島からコロール島の中学校や高校に通う子どもたちや、病院に通うお年寄りたちも、ガソリン等を運ぶための貨物船に乗ることを余儀なくされていた。このように大きな制約を受けるようになった両島間の移動について、レメンゲサウ現大統領から窮状を聞いた日本財団は代替船の寄贈を決定、一般社団法人日本中小型造船工業会の協力で建造されることになった。

2014年12月15日、コロール島で行われた引渡式は、強い風雨の中で開催されたが、新しい旅客船の完成を待っていたレメンゲサウ大統領をはじめとするパラオ政府関係者や、ペリリュー島から駆けつけた人々など約200人が出席した。

写真パラオ政府を代表して、ビリー・G・クアルテイ国務大臣が「日本財団が寄贈してくれた先代の日本丸は、20年以上、人や物を運び続けてくれた仲間でした。先の台風により甚大な被害を受けましたが、新しいNIPPON MARUⅡの寄贈はペリリュー島民にとって大きな助けとなります」とあいさつ。
日本財団の海野光行常務理事も「『日本丸はただの船ではなく、私たちにとって大切な仲間だった』というペリリュー島の方々の言葉が忘れられません。みなさんが日本丸に対して持っていた温かい気持ちをNIPPON MARUⅡにも引き継ぎ、日本財団とパラオがともに取り組む、海の国際協力の新時代の幕開けと思ってほしいです」と述べた。

写真引渡式終了後、NIPPON MARUⅡは、コロール島からペリリュー島までの初航海に出発。
ペリリュー島に初めて入港すると、待っていたのは島の小学生たち。彼らも今後、船を利用する機会が増えそうだ。乗船していた年配の女性の一人は、子どもの頃に覚えたという日本語で「ずっと船ができるのを待っていました。きれいな船でスピードも速く本当にうれしい」と話していた。現在は週2往復で定期運航されている。また、天皇皇后両陛下のペリリュー島訪問の際は、両陛下を歓迎する島民のために臨時便が出航した。

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「海上保安能力強化支援プロジェクト」の一翼を担う

NIPPON MARUⅡは60人乗りで、全長17.6メートル、全幅4.3メートル、速力は13ノット(毎時約24キロ)。白い船体の側面や客室の屋上には、パラオ国旗とともに日本財団のロゴが描かれている。 この船には、最新式の衛星電話等の通信機器や、海難救助用具も備えられており、日本財団がパラオのほか、ミクロネシア連邦、マーシャル諸島共和国の3カ国で進めている「海上保安能力強化支援プロジェクト」で支援した小型パトロール艇や通信設備等とともに、パラオの海上保安能力の一翼を担うことも期待されている。

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撮影:大沢 尚芳