よみがえれ!東北の海
海の未来

新しい“つながり”で漁港を復活させる「番屋」再生プロジェクト


漁港が活気を取り戻すには、海で働く人々の拠点が不可欠。日本財団では、港に入った漁師たちが休息したり、次の漁に備えて作業を行ったりする「番屋」を再生させるプロジェクトをスタートさせた。

2012.10.01

漁港の人々が集まる「番屋」の役割

三陸の漁港には古くから「番屋」と呼ばれる漁師たちの作業小屋があった。網の整備などの漁の準備を行うだけでなく、遠くの港から来た漁船の乗組員たちが入浴や洗濯をする設備、休憩や宿泊の設備を備えているところもある。地域によって番屋の役割は違うが、海の仕事に携わる人々が集まるコミュニティーの中心であることは共通だった。しかし、海の近くにあったことで、その多くが津波によって流されてしまった。

岩手県宮古市の魚市場に隣接した「鍬ヶ崎(くわがさき)番屋」も被害にあった番屋の一つ。しかも、2009年8月に宮古市が建設したばかりの新しい施設だった。

宮古漁業協同組合の佐々木隆参事が振り返る。 「サンマやカツオは、県外の漁船がどれだけ宮古に入港してくれるかによって、水揚げ量が大きくかわります。宮古で番屋の整備が進まないうちに、隣の久慈港に新しい番屋ができて、こうした廻来船は宮古でなく久慈に入るようになりました。長時間、海上で作業する漁師にとって、港に入り、シャワーで汗と塩を流して、汚れた服を洗濯できるのは重要なこと。宮古にも新しい番屋を、と何年も市に掛け合って、ようやく完成した番屋でした。それが2年もたたないうちに流されてしまって」

行政の支援で漁港の基本的な設備の修復が行われ、津波に襲われた魚市場もスピード再建。震災後の夏に宮古港は再開したが、番屋の再建は行われず、県外の船はなかなか集まらなかった。水産業が中心の町だけに、関係者のショックは大きかったという。

「やはり、番屋が必要」というのが漁業関係者の一致した声だったが、直接の水揚げや、魚市場での取引に関係のない設備については、行政の支援は後回しになりがちだった。震災で大きな被害を受けた宮古漁協だけでは、番屋再建は難しい状況だった。

従来の番屋とは違う、開かれた施設としての再建

写真:番屋の管理を委託されている斉藤茂さん そんな漁協関係者の要望が、太平洋沿岸の被災地で独自の支援活動を行ってきた日本財団関係者の耳に入った。日本財団が注目したのは「番屋」の持つ漁港のコミュニティーとしての機能。以前の番屋は、港を利用する漁師だけのものだったが、漁業関係者以外にも利用者の幅を広げれば、港と街をつなぐ宮古市全体の復興の拠点になる可能性を見出したからだ。宮古漁協側も「漁業関係者だけでなく、子供たちや若い人たちが集まるようになったら素晴らしいと思いました」(寺井繁参事)と賛同して、新しい番屋が建てられることが決まった。

新しい番屋は、1階部分に以前どおりの漁師の福利厚生施設を、2階に会議室や講義などに使用できる多目的のセミナーハウスが新規に付け加えられた。2012年8月に完成し、日本財団から漁協側に引き渡された。番屋の管理を委託されている宮古市のシルバー人材センターの斉藤茂さんは「利用した漁師さんたちからは新しくて使いやすいと評判です。これから口コミで利用者が広がりそうです。気持ちよく使ってもらうために、私も掃除に力が入りますよ」と話す。当初、セミナーハウスは魚市場を見学する地元の小学生への説明や、宮古水産高校の実習などへの活用を予定していたが、飲料メーカーから「試飲会の会場に使いたい」という問い合わせが入るなど、新たな利用方法で、漁港と町のネットワークがさらに広がりそうだ。

写真:番屋内部の様子

写真:宮古漁業協同組合の佐々木隆参事 9月、三陸の港に秋を告げるサンマの水揚げが始まった。例年に比べるとサンマの漁場の南下が遅れて、水揚げ量はまだ少ないという。魚市場で水揚げを見守る佐々木さんは、「豊漁となるには、海水温、潮流など様々な条件があります。早く安定して、宮古にたくさんのサンマ漁船に入ってきてもらいたいです。良い番屋もありますから」と笑顔を見せた。

番屋再生プロジェクトは宮古を皮切りに、20か所程度の建設を予定。建設にあたっては、水産業関係団体のほか、大学の専門家などで懇談会を設置し、建設場所を選定し、各地域の特色や事情に合わせたコミュニティー機能を持たせていくという。

撮影:コデラケイ、シュープレス