東北を復興へ導く「ROADプロジェクト」
みんなのいのち

「遠野まごころ寮」閉所 〜後方支援から寄り添う支援へ〜


岩手県沿岸地域でのボランティア活動を後方から支援してきた「遠野まごころ寮」が閉所し、建物は被災地の釜石市と大槌町へと移設された。今後は「絆ハウス」と名称を変え、被災者に寄り添った活動拠点となる。

2013.06.24

全国に先駆けて誕生したボランティア拠点

写真:「遠野災害ボランティア支援センター 遠野まごころ寮」の外観 静岡県ボランティア協会が運営した「遠野災害ボランティア支援センター 遠野まごころ寮」が開設されたのは、東日本大震災の発生から1ヵ月足らずの2011年4月8日。
日本財団ROADプロジェクトの一環として、日頃からつながりのある東海地震等に備えた災害ボランティアネットワーク委員会や震災がつなぐ全国ネットワークとの合同によって、全国に先駆けて誕生したボランティア拠点であった。

写真 震災直後、全国知事会の調整で静岡県は岩手県の支援県に決定した。そこで、行政との連携を考慮し岩手支援を決めた静岡県ボランティア協会は、神田均理事長のもと民間組織として迅速に県内外の各所に協力を要請したという。
東海地震の発生が予想される静岡県では防災訓練を長年行なっており、災害に対する知識の蓄積もある。特に阪神淡路大震災以降は災害ボランティアやNPOとの協力体制づくりにも取り組んできた。
「被災した東北の人々のために、我々の訓練経験やネットワークを生かしてすぐにお手伝いをせねばと思ったのです。被災地で活動するためには、まずは場所を確保せねばなりませんでした。そして、遠野市さんが浄化センター内の用地提供を、日本財団さんがプレハブ建築費の応援を即決してくださったことで、遠野まごころ寮建設が早急に実現したのです」(神田理事長)

3541人のボランティアが寝泊まり

遠野まごころ寮はプレハブ2階建ての管理棟と宿泊棟で構成され、厨房やシャワー室があり、約50人が宿泊できる。救援物資などが届く東北自動車道や東北新幹線沿いの都市部と、被災の激しい釜石市や大槌町などの沿岸部の中間地点にある遠野市は、被災地を後方から支援する場として大いに機能した。
静岡県ボランティア協会では、4月7日に第一次先遣隊を出発させて以来、38週間連続でボランティア・バスを派遣。瓦礫や泥の撤去などの肉体労働や、被災者を癒しながら悩みやニーズを聞き出す足湯などの支援をするために、2年間で計3541人のボランティアがこの寮で寝泊まりした。

写真 そして震災から2年を経た2013年3月9日、所期の使命を終えた遠野まごころ寮は閉所式が開催された。
前日に現地入りした静岡県ボランティア協会のスタッフとボランティア45名は、お世話になった寮を労うように建物の隅々まで丁寧に掃除し、浄化センター内の雪かき作業を行った。
2012年7月から遠野に駐在し、寮の管理や新人ボランティアの指導をしながら支援活動に参加した相原礼以奈さんは言う。
「この寮生活で様々な年齢や職業の人々と出会い、いろいろな話をしました。復興のお手伝いをしたというより、被災地で多くのことを学ばせてもらったという感謝の気持ちの方が強いです。私自身、引っ込み思案な性格が少しは治せたかと思っています。閉所後は就活をして社会に出ますが、この寮生活での経験を役立てて積極的に行動していきたいです」

写真:雪かきをするボランティアたち

今後は被災地での直接活動に

浄化センター内に隣接する神奈川県のボランティア拠点「かながわ金太郎ハウス」との合同閉所式・感謝の集いが行われた。
神田理事長を始め、本田敏秋・遠野市長、黒岩祐治・神奈川県知事、三浦一郎・日本財団監事ら関係者、各寮に宿泊したボランティアなど約150人が出席。これまでの支援に対する感謝と、これからの新しい絆の構築などを語りあった。
そして、まごころ寮の建物は解体後に被災地の釜石市と大槌町に移設されることが発表された。
「以前から、被災地に直接入って復興作業をやるべきではないかとの声がありました。それは、東海地震が心配される私たち静岡県にとって、“現地に学ばせてもらう”ということにもなるのです。ボランティアが少なくなる中、被災地に寄り添い続ける支援の拠点にしたいと思っています」(神田理事長)

地域活動の拠点として

まごころ寮の2棟は、被災地での直接的な支援拠点「三陸ふじのくに絆ハウス」として生まれ変わり、今年5月25日にそれぞれ開所式が行われた。

写真 宿泊棟が移設されたのは、「釜石市鵜住居(うのすまい)地区防災センター」に隣接する公園跡。絆ハウス鵜住居の設立に尽力した釜石市議会議員で鵜住居地区地権者連絡会・会長の古川愛明さんは、この建物が地域交流を活性化することを期待していると語る。
「この辺りは鵜住居の中心地でしたが、今は津波に壊された防災センター以外はほとんど建物がない状態。だから、絆ハウスが建ったことはとてもインパクトがあります。住民説明会などの会議やコミュニケーションの場として活躍してくれると思います。今は仮設の集会所や学校の体育館を使っていますが、集会場は狭すぎて人が入れないし、体育館は広すぎて会話が弾まない。絆ハウス2階には通常で60人、詰めれば100人くらいが入れるので、ちょうどいい大きさなのです」
鵜住居は甚大な被害を受け、釜石市の死者・行方不明者1040人(2013年5月31日発表)の内50%以上を占める地域だ。特に防災センターは、避難訓練の場としてよく利用されていたために、震災時に津波避難場所ではないのに周辺住民の多くが逃げ込んで命を落とした「釜石の悲劇」が起きた建物である。
「この防災センターは、公民館の役割も果たしていました。最近は『釜石の悲劇の現場』と呼ばれることも多いですが、震災前はゲートボールや習い事などの活動が25種類も行われていた“集いの場”だったのです。その中で今も続いている団体活動はたったの5種類だけ。だから私は、この絆ハウスを以前よりも活発な鵜住居の地域の拠点として、25種類以上の活動が行われる場としたいと強く思っているのです」(古川さん)

写真

精神的なケアが重要なとき

管理棟が移設されたのは大槌町小鎚第7仮設の隣接地で、向かいには大槌町小鎚第8仮設がある。
「仮設と別の仮設との交流はとても少ないのです。『親しかったご近所さんが隣の仮設にいたのに知らなかった』なんて話を最近でも聞くくらいです。実際、狭い空間に全財産が置いてある仮設住宅の暮らしでは、他所の人が敷地内に出入りするのを嫌う方もいます。だから、この絆ハウスがふたつの仮設住宅をつなぐ場所になって欲しいと思っています」
大槌町議会議員の東梅守さんは、そう語る。

写真 絆ハウス大槌には、虎舞や踊りの稽古に使いたいという要望がすでに寄せられている。大槌町は郷土芸能がとても盛んで20以上の団体がある。しかし、仮設の集会所では狭くて練習もままならなかったそうだ。そして、お年寄りの交流の場としての活用も期待される。その理由は、震災後は無料になっていた町営バスが、今年2月から有料に戻ったためだ。
「お年寄りはショッピングセンターにあるホールにバスで通って集っていたんです。バスが有料になってからは通う人が少なくなり、引きこもりがちになっています。町の復興はまだ先が見えない段階で、復興住宅に入るのにもお金が掛かる。そんな中で、往復400円の出費はきついです。だから、ホールの代わりになる30畳の広さがある絆ハウスができたのは、我々にとって本当にありがたいことなのです」(東梅さん)

現地で絆ハウスの管理を任されている静岡県ボランティア協会の名倉諒さんは、こういった被災地の声を聞く度に大きな責任を感じるという。仮設住宅の状況も大きく変わっているからだ。
震災から間もない頃の仮設住宅は同じ被災者として一体感があったが、今は仕事がある人とない人、お金があって復興住宅に移れる人と移れない人など、様々な格差や軋轢が生まれているという。
「今大切なのは被災者の方々の心のケアです。特に自殺者を出すことは、絶対に防がねばなりません。そのためには、交流の場『絆ハウス』の持つ意義はとても大きいと感じています。日本財団さんの支援してくれた遠野まごころ寮の建物が、後方支援のためのボランティア拠点から、被災地に移って絆ハウスという地域交流の場へと生まれ変わったように、私たち支援する人間もさらに被災者に寄り添わねばならないと思っています」(名倉さん)

震災から2年以上が経ち、被災地に入るボランティアの数は少なくなるのは事実だが、そうした中でも、支援者と寄り添いながら、地域の方が主体的に絆ハウスの活用方法を考えていたのが印象的であった。
「まだ復興までは時間が掛かるし、外部からの支援も必要な状況ですが、なるべく自分たちで地元を盛り上げなければと思っています。地域が再び活性化して、外部の助けに頼らずに自立できてこそ真の復興ですから」という仮設に住む方の声もあった。
真の復興のための地域交流拠点として、日本財団が支援した遠野まごころ寮の建物が大いに活用されることを願う。

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撮影:三輪憲亮