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2012年に累計3万台を突破した日本財団の福祉車両。年間約2000台の助成台数は日本最大だ。障害の有無や年齢にかかわらず、すべての人々が地域で豊かに暮らせる社会を実現するという目標に向けて、福祉車両が果たしてきた役割を紹介する。

2013.06.17

「外に出たい!」というニーズに応えるために

一般的に「福祉車両」とは、障害の影響や高齢のため移動が困難な方を乗せるための車両のこと。日本財団の「福祉車両」は、「在宅サービス」「通所サービス」「就労」の三本柱のコンセプトのもと、障害者や高齢者の地域生活をサポートするために活用されている。

日本財団が福祉車両配備事業を始めたのは1994年。すでに日本テレビの夏の恒例番組「愛は地球を救う」が車いす対応車や訪問入浴車などを提供しており、一般的にも福祉車両の必要性が広がり始めていた。

写真:初代の福祉車両(上)と車いす送迎車

95年から3年間、福祉車両の事業を担当した青柳光昌(現・復興支援チーム、チームリーダー)は、「障害を持つ方や高齢の方には『自由に動きたい』『外に出て社会とつながりたい』という強い思いがあります。事業開始当時はその要望に応えるために、移送サービスを行うボランティア団体を支援の対象としました。固定型の福祉施設ではなく移送サービス団体への支援を優先することで、こうしたサービスが必要であるという認識を広めたいと考えていたのです」と説明する。

一方、当時の移送サービスについて、白ナンバーの自家用車を使いながら利用者にガソリン代程度の料金を徴収することが道路交通法違反(いわゆる白タク行為)に当たると問題視されることもあった。初期の移送サービスは法律のあいまいな表現の“グレーゾーン”の中で、運営されていたのである。

法整備もサポート

しかし、青柳は“違法”という批判も、移送サービスの普及に利用できると考えたという。
「福祉車両の配備を進め、逆に問題を顕在化させることが、一般にも広く移送サービスの必要性を認識させ、速やかな法整備につながると考えました。全国47都道府県での日本財団の福祉車両配備を急いだのも、全国レベルで課題を共有してもらいたかったからです。移送サービスのボランティア団体の組織化も後押しして、法改正に向けての活動も手伝いました」

その結果、移送サービスの合法化に向けた動きは加速し、2003年に福祉有償運送特区が実現。2006年には改正道路運送法が施行された。また、道路運送法改正に先立ち導入された介護保険制度をきっかけに介護タクシーなども一般化し、障害者や高齢者が自由に活動できる環境が次第に整ってきた。日本財団の福祉車両も、90年代までの年100台単位の支援から、2001年以降、年2000〜3000台と急増した。

自操式の福祉車両「JOY-VAN」がもたらした成果

一方、移送サービス団体へのサポートと並行して自操式の福祉車両「JOY-VAN」の全国キャラバンも展開されていた。自操式福祉車両とは文字通り、障害者が自ら操ることができる車両。中でも「JOY-VAN」は、ゲーム機のコントローラーのような棒状の操縦桿1本で車を動かすことができ、重度の障害を持つ方でも運転が可能だ。後に「五体不満足」の著者、乙武洋匡さんが「JOY-VAN」を購入して運転免許を取得したのも、全国キャラバンについての報道を見て、このプロジェクトへ問い合わせたことがきっかけだという。

「高価な『JOY-VAN』を普及させることは難しいかもしれません。しかし、重い障害があっても『自分の意志で外に出て行動できる』と多くの方に認識されたことは、あの全国キャラバンの成果だったと思います」(青柳)

「自立」をキーワードに変化した福祉車両

日本財団の福祉車両事業に新しい変化が訪れたのは2006年。障害者自立支援法が施行され、福祉車両事業の理念が再確認される契機となった。

同年、福祉車両チームに配属された沢渡一登(現・ファンドレイジングチーム、リーダー)が説明する。
「障害者自立支援法には立場の違いからさまざまな評価があるのは事実ですが、本来の目的は、以前の入所施設を中心にした福祉から、障害者や高齢者の地域での暮らしを支援する福祉に変えていこうというもの。施設に任せるのではなく、ヘルパーやデイサービスを活用しながら在宅で快適に暮らしてもらう方向への変化です。日本財団に求められる支援も、大型施設のような“ハコモノ”から、ソフト面が増えました。この変化の中で、福祉車両に何ができるかをあらためて考えることになりました」

写真:ヘルパー車

「在宅、通所に必要な車両」を想定して新たに導入されたのは、車いす用のリフトやスロープ、昇降シートなどの装備を持たない、“普通車”だったという。
「介護ヘルパーが移動するだけなら、特別な装備は必要ありません。助成先へのアンケート調査でも『昇降シートは使っていない』という声が多数ありました。そして、2008年に、ごく普通の軽自動車を“ヘルパー車”として、知的障害者のために手すりを加えただけのミニバンを“送迎車”として導入。新しい機材を入れた訳でもない地味な変化かもしれませんが、関係者には高く評価されました。福祉車両の概念を“福祉のために働く人が乗る車”にまで広げたのです」(沢渡)

「働く車」が地域と障害者をつなぐ

「働く車」シリーズが日本財団の福祉車両に加わったのもこのころだ。特に障害を持つ方が自立を目指して働く場所となる「移動販売車」は、就労支援と地域交流の二つの役割を担うことになった。

「讃岐うどんの名所、香川県の知的障害者を支援する社会福祉法人『やまびこ会』からの申請を受けたのが移動販売車の第一号です。かつて、知的障害者の“仕事”といえば、施設内での内職的なものがほとんどでした。それが移動販売車によって町に出て一般の人に自分たちの作ったうどんを食べてもらい、お客様から直接『ありがとう』という声をかけられたことに感動したそうです。移動販売車により障害を持つ方が地域と接点を持ち、地域の人々と理解しあうことができた。障害者の方の活動範囲を広げる意味でも、移動販売車は貢献できたと思います」(沢渡)

同様に「働く車」として導入された軽トラックやダブルキャブトラックも農作業や廃品回収などで活躍。障害者と地域を結ぶきっかけとして、日本財団の福祉車両に欠かせない人気車種となった。

「福祉車両」は進化する

日本財団の福祉車両は、この20年間にわたり、障害の有無や年齢にかかわらず、地域の中で豊かな暮らしを実現するという目標のために変化を続けてきた。迅速に現場のニーズに対応できたのは日本財団と各自動車メーカーとの連携も大きい。

写真:株式会社オーテックジャパン・統合マーケティング部の眞崎敏史部長

日産自動車株式会社では多くの車種が日本財団の福祉車両として採用されている。同社の製品を福祉車両に架装する株式会社オーテックジャパン・統合マーケティング部の眞崎敏史部長が日本財団との連携について語る。
「日本財団が配備した福祉車両を使う団体のお客様は、みなさん実際に車を利用する頻度が高く、私たちが気づかないようなフィードバックがあり、商品の開発、改良に大変役立っています。福祉車両についてこれほど多くのまとまった声を集められるのは、非常にありがたいことです。さらに、お客様の声を反映して開発した新しい車両を、日本財団はいち早く採用して、また利用者からの感想も伝えてくださいます」

今後の課題は、福祉車両の開発と普及をビジネスとしても成立させていくことだという。
「確かに、大きな利益がある訳ではありませんが、社会貢献として取り組んでいるつもりはありません。私たちがビジネスとして成立させることは、福祉車両を求める方々にこの利便性を継続的に提供し続けるという約束と一緒だと思っています。福祉車両のマーケットを育て、メーカー側がそれに応じられる仕組みを作っていく上でも、日本財団との連携の意義は大きいと考えています」(眞崎部長)

写真

事業開始から20年。福祉車両の役割は広がり続ける。
日本での福祉車両としての役目を終えても利用可能な車両を、海外の医療・福祉の増進のため寄贈する事業も始まった。
今後も日本財団は障害者や高齢者が移動する自由をサポートして、地域社会とのつながりを深めて充実した暮らしを応援していく。

おなじみの福祉車両が救急車に生まれ変わる

撮影:コデラケイ