第4回アフリカ開発会議(TICAD IV)

日本・横浜

日本財団が初めてアフリカと関わりを持ったのは、大規模な旱魃がアフリカ諸国を襲った1984年です。「世界は一家、人類は皆兄弟」を基本理念とする我々日本財団は、アフリカの人々を家族の一員と考え、緊急に食糧を必要としていたエチオピアに対し救援物資の支援を行いました。

この支援をきっかけに、我々はアフリカにおける深刻な貧困問題の解決に向け最大限努力することを決意し、その方策について深く思いを巡らしました。その結果、諸国民の7割が農民であるアフリカにおいては、農業の発展なしに貧困問題の解決は有り得ないとの結論に達しました。そこで、アメリカのジミー・カーター元大統領および、アジアにおける「緑の革命」の功績でノーベル平和賞を受賞されたノーマン・ボーローグ博士らの協力を得、笹川グローバル2000(SG2000)と呼ばれる農業開発プロジェクトを1986年に開始しました。

笹川グローバル2000とは、少量の肥料と優良な種子を利用した計画的な農業を、現地の農業普及員を通じて農民に根付かせ、食糧生産の増産を目指すものです。さらに、農民を取り巻く習慣や文化を理解し、十分な専門知識を持つ農業普及員の育成が重要と考え、アフリカ9カ国13大学に農業普及学科を開設しました。既に専門教育を受け終えた1,400名ほどが現場に戻って活躍しており、農業を通した国づくりを先頭に立って実践してくれています。

このように、日本財団では技術指導と人材育成の両面による支援を22年間に渡って行ってまいりました。貧困問題の解決を目指し、これまで14カ国に対して1億8千万ドル強を投入し、農民や農業普及員とともに試行錯誤を繰り返しながら努力をしてきた次第です。その結果、本プロジェクトの実施地域全てにおいて、農産物の収穫高が以前の2〜3倍以上に増えるということが実証されています。しかし、アジアのような爆発的な“緑の革命”は起きていません。

それは、せっかく収量が増えても、農作物を売って収入を得るマーケットが整備されておらず、さらには、マーケットに辿り着くための輸送手段が不十分なためです。そして、増産された農産物が農民の期待する金額で換金できないことから、農民の生活の向上に結びついていないのが現状です。アジアとの最も大きな違いは、インフラやマーケットといった経済活動を行う基盤が非常に脆弱というところにあります。しかし、このような規模が大きい問題を、日本財団だけで解決することはできません。

つまり、従来のような様々なステークホルダーが独自の考えの下に、単独で行っている取組み方では自ずと限界があるのです。従って、インフラやマーケット整備をはじめとする農業政策全般について、全てのステークホルダーが包括的に取り組む協働関係の構築が不可欠だと考えます。その重要性については、既に様々なところで述べられているものの、残念ながら私達が期待する成果に今ひとつ到達していないのは、ご存知の通りです。

協働体制で取り組むことにより困難な問題が解決された例として、日本財団が長年取り組んできたハンセン病の制圧活動が挙げられます。WHO、各国政府、製薬会社、日本財団を含めたNGOが連携し、世界のハンセン病の制圧という1つの目標に向かって与えられた役割にそれぞれが邁進した結果、1985年には122カ国あったハンセン病未制圧国が、現在では残り2カ国という画期的成果をあげるに至っています。

従って、皆様には国益を越え、利他的視点に立ってアフリカの貧困問題解決に向けての協働関係の構築実現に力を結集していただくことを期待すると同時に、日本財団としましても、果たすべき役割を担っていく覚悟でございます。

ところで近年、アフリカの農業発展に向け、緊急に取り組むべき問題が惹起されています。ご存知のように、近年の肥料の価格高騰はアフリカ農民の生活に決定的な打撃を与える恐れが出てきています。そこで、私は、ご在席の皆様とともに、今年のG8サミットにおいて肥料問題が緊急なテーマとして取り上げられることを強く提案したいと思います。

私達の兄弟姉妹であるアフリカの人々の苦難を家族の一員として共有し、一緒に働くことが日本財団の使命だと考えております。アフリカの方々の問題は、私達の問題でもあるのです。共に働き、共に幸せを分かち合うためにも、アフリカにおける貧困問題解決の大きな糸口となる農民の生活向上に向け、皆様とともに日本財団は努力を続けていくことをお約束いたします。

ご清聴ありがとうございました。