第1回ハンセン病と人権国際シンポジウム

ブラジル・リオデジャネイロ

ブラジル政府関係者、国連機関および国際機関の代表者、人権専門家、NGOの皆様、そして回復者のリーダーの皆様にお集まりいただき、心より感謝申し上げます。

私がハンセン病患者・回復者の方とはじめてお会いしたのは、今から45年前のことです。まだ多くの国が政策として患者や回復者を隔離していたその当時、私は韓国の郊外に暮らす患者・回復者たちの村を訪ねました。その村の周辺には人影もほとんどなく、まるでそこだけが別世界のように孤立していました。彼らと言葉を交わしても、別に今の生活の不満を述べるでもなく、表情を一つ変えずに淡々と話し続けるのでした。そして私は彼らの態度や言葉から、彼らの孤独と深い心の闇を垣間見たのです。

ご存知の通り、ハンセン病は古くから業病、或いは天刑病などと言われ、人々から恐れられてきました。その所以は、発病した一部の人に、皮膚の変色や顔や手足の変形といった特徴的な症状が現れたことが、人々に恐怖の情を覚えさせたといわれています。また、一家族から何人か発病するケースがあったことから遺伝病と勘違いされ、その血統までもが偏見や差別の対象とされてきました。
やがてこの病気が感染症であることが分かると、今度は感染を防ぐために世界中で隔離政策がとられるようになりました。また、患者・回復者、さらにはその家族に対し、就職、結婚、教育などを厳しく制限する法律や制度が設けられるようになりました。

これらの法律や制度は主に市民の健康を守るものとして作られたものですが、一方で市民とハンセン病患者・回復者を法律や制度で区別してしまったことで、彼らに対する人々の偏見や差別はますますエスカレートしていってしまったのです。この“公衆衛生上の区別”は、長い時間を経ていつの間にか社会の慣習的規範となり、ハンセン病を理由に仕事を失ったり、離婚に追い込まれたり、或いはバスへの乗車を拒否されたりといったことが何の疑いもなく行われるようになりました。こうして、ハンセン病患者・回復者と社会との間に差別の厚い壁を作りあげてしまうこととなりました。

「療養所の塀はたった20センチの厚さですが、その塀が外の世界を完全に遮断しているのです」
療養所に住む回復者のこのような言葉を聞き、私は彼らの深い孤独感や疎外感を改めて思い知ることになりました。

患者や回復者たちは国が定めた法律や制度に長い間苦しめられてきましたが、病気の実態が明らかになったり、有効な治療法が開発されたことで、隔離政策などのハンセン病に纏わる法律や制度は多くの国で見直されるようになりました。しかし一方、私は各地を回るなかで、差別的な法律や制度、或いはそれによって引き起こされた慣習・慣行といったものが未だ多くの地域に残っており、患者や回復者が尊厳のない生活に耐えながら生きているのを目の当たりにしてきました。

「恐いのは病気自体ではありません。病気に伴う偏見と差別の方がはるかに恐いのです」
この言葉は、ある回復者の言葉です。私は、これは一人の個人の言葉ではなく、ハンセン病を患った多くの人たちが何世紀にもわたって思い続けてきた心の叫びだと感じました。

そこで私は、彼らの声を世の中に広く伝え、彼らの生き方に尊厳を取り戻すために、2003年、国連人権高等弁務官事務所を訪ねました。そして世界中の患者や回復者が今も差別に苦しみ続けている現状を伝えたところ、国際社会に差別撤廃を求める働きかけを進めていこうということになったのです。様々な関係者の協力もあり、患者・回復者たちの声がついに国連総会まで届き、2010年12月、「ハンセン病に対する差別を撤廃する決議とそれに関する原則とガイドライン」が全会一致で可決されました。

この国連決議の採択により、世界中の患者・回復者をこれまで長い間苦しめてきた差別という厚い壁に風穴を開けていくことが可能になりました。採択された原則とガイドラインには、各国政府に求められる具体的な対策の詳細が明記されていますが、私は、壁を壊すために、そして患者回復者が尊厳を取り戻すために、なかでも3つのアクションを起こすことがとりわけ重要だと考えています。

第一に、患者・回復者、その家族に対して、差別的な法や制度がないかを各国政府は改めて見直し、もしそのような法制度が残っているならば、直ちに修正、もしくは廃止をするということです。

第二に、差別法を撤廃したとしても、何世紀にもわたり社会の中に根付いた患者、回復者に対する差別の慣習が急に消えることはありえません。そして、彼らに対する差別も残念ながら続いていくでしょう。ですから、各国政府は差別法を撤廃した後も、社会に対してハンセン病に関する具体的な啓発活動を行っていくということです。

最後に、長年にわたりハンセン病患者や回復者の多くが、事実上隔離された村や施設で生活をしてきました。生活水準は低く、教育を受けたり、働く機会も限られていました。ですから差別がなくなってきたとしても、彼らが社会に参加して普通の生活を営むことは非常に難しいのが現実です。よって、各国政府は彼らが教育を受けたり、仕事に就く機会を確保すること、また貧困の中で生活をしている人がいる場合には、生活水準を向上させるための支援を行っていくということです。

以上の3つの重要なアクションについて多くの関係者に知っていただき、さらに協力していただくために、私はこの会議を他の各大陸でも同様に開催していくつもりです。
しかしながら、これらは政府だけの仕事ではありません。厚い壁を壊していくためには、NGO、メディア、市民社会なども重要な役割を果たせるし、果たしていかなければならないと思います。また既にそのような動きは色々なところで始まっているのです。

例えば、私は2日前にサンパウロにおいて、世界の医師会代表と共にグローバル・アピールというメッセージを発表しました。今年で7回目となるこのアピールは、2006年以降、患者や回復者が抱えてきた苦悩の歴史を心からの叫びとして社会に広く伝え、ハンセン病に対する社会の意識を変革することを目的に、政治、宗教、ビジネス、教育といった分野の世界中のリーダーの力を借りて行ってきました。

また患者・回復者の社会参加を支援するという分野でも、世界中の様々なNGOが活動を展開しています。ここブラジルではMORHANが、患者や回復者が抱える問題に答えるための電話相談やメディアを通じての啓発活動など、回復者たちと一緒になって取り組んでいます。

私が会長を勤める日本財団でも、患者や回復者のためのマイクロクレジット、職業訓練、回復者間のネットワーク構築、奨学金の提供などの支援を行っています。これらの支援を通し、患者や回復者が徐々に社会参加ができるようになり、日々の生活の中で彼らが人間としての尊厳を感じられるようになることを願っています。

「私たちが欲しいのは施しではありません。それよりも自分たちにも成し遂げる力があるということを示したいのです。そうすれば、ひょっとしたら世界を変えることだってできるかもしれません」

回復者のこの言葉からもわかるように、ハンセン病の患者や回復者たちは、自分たちの可能性を試したいと心から想っています。私は、この想いを実現していくことによって、彼らは尊厳のある生活ができるようになっていくのだと思います。今日のこの会議が、各国政府、NGO、メディア、そして市民社会の一人ひとりの皆さまに、ハンセン病の問題について改めて考え、それぞれができることは何かを問いかけていただき、彼らのために行動を起こしていただくことを願っています。