第3回ハンセン病と人権国際シンポジウム

エチオピア・アディスアベバ

本日は各国政府、国連、NGO、その他の国際機関、人権専門家、回復者のリーダーの皆さまにお集りいただき、ありがとうございます。日頃からハンセン病制圧活動のために多大なるご尽力をくださっているWHOアフリカ地域サンボ事務局長に御礼申し上げます。また、潘基文国連事務総長ならびにダライ・ラマ法王からはハンセン病をめぐる差別の問題に対して心強いメッセージをいただき、感謝申し上げます。

ハンセン病は人類の歴史の中で最も誤解され、差別を受けてきた病気のひとつとして知られています。当時は効果的な治療法がなく、発病した一部の人に皮膚の変色、顔や手足の変形といった特徴的な症状が現われることがありました。その症状により、ハンセン病は古くから業病あるいは天刑病などと人々に恐れられてきました。何世紀にもわたり、世界各地で、ハンセン病患者・回復者は故郷を追われ、人里離れた村や島に隔離されていました。そして、その差別はハンセン病患者・回復者本人だけではなく彼らの家族にまで及びました。

1980年代になると、MDT(Multidrug therapy)という有効な治療法が開発され、ハンセン病は治る病気となりました。また、早期発見・早期治療によって、障害が出る前に病気を治すことができるようになりました。このように治療面では突破口が見つかったにも関わらず、長い間、ハンセン病患者・回復者を苦しめているスティグマや差別の壁は残ったままです。

40年以上にわたり、私はハンセン病制圧活動で世界各地に足を運ぶ中で、多くのハンセン病患者・回復者に会いました。彼らの中には、自らの人権を求めて声を上げれば、さらに差別されるだろうと沈黙してしまっている人々がいました。一方、多くのハンセン病患者・回復者は人権という意識さえ持っていませんでした。

差別に苦しむ人々の人生はどれ一つとして同じものはありません。しかし、彼らの過酷な苦しみは世界各国に共通する深刻な問題です。

私はこうした社会の不正と闘わないわけにはいかないと強く感じました。そこで2003年、私はハンセン病を取り巻く人権問題について、国連人権高等弁務官事務所に訴える決意をしたのです。各国政府やNGO、関係者の皆さまの粘り強く、誠意あるご協力により、7年の歳月を経て、2010年12月、「ハンセン病差別撤廃決議」が国連総会の総意をもって採択されました。この国連決議は、ハンセン病との闘いにおいて非常に大きな一歩でした。国際社会はこの時はじめて、ハンセン病患者・回復者の見過ごされてきた人権問題や彼らに対するスティグマや差別を根絶することの重要性について認識したのです。

さらに重要なことは、この国連決議により、ハンセン病患者・回復者が他の人々と同様に自分にも基本的な人権があることを自覚できたことでした。

本決議は、各国政府等に対し、同原則及びガイドラインに十分な考慮を払うことを求めています。原則はハンセン病患者・回復者が病気を理由に差別されることなく、人としての尊厳と基本的人権・自由を有することを謳っています。そして、ガイドラインは各国の取り組むべき個別具体的な指針を示しています。例えば、差別的な法律や制度の撤廃や出版物から差別的な表現を取り除くことなどです。

しかし、国連決議には法的拘束力がありません。国連決議と原則及びガイドラインは、実際に社会の中で適用されなければ何の意味も持たないのです。つまり、現状は何も変わらず、ハンセン病患者・回復者に対するスティグマや差別の壁はそのまま残り、彼らは厳しい差別に苦しみ続けることになってしまうのです。

そこで、私は国連決議と原則及びガイドラインを各国政府、政策立案者やその他の関係者に広く浸透させ、社会の中で確実に適用されることを目的に、世界の5つの地域において「ハンセン病と人権国際シンポジウム」を開催するに至りました。すでにブラジル、インドにおいてシンポジウムを開催しました。ブラジル会議の後、国際ワーキンググループが発足し、各国が原則及びガイドラインを実施するための具体的な行動計画を練っているところです。

ハンセン病患者・回復者を取り巻く多くの問題は、社会のハンセン病に対する誤解や無知に起因しています。ここアフリカでも、ハンセン病に対する様々な誤解が残っています。例えば、ハンセン病は感染率が高い病気、あるいは遺伝病などという誤った認識を持っている人もいます。このような誤った認識により、ハンセン病患者・回復者は社会から拒絶され、本人だけではなく家族までもが差別の対象となっているのです。

シンクネッシュさんはエチオピア西部出身の28歳の女性です。彼女は12歳の時にハンセン病を発病しました。幸いにもヘルスワーカーがアディスアベバの病院に同行し、治療を受けることができました。1年間の治療により、シンクネッシュさんの病気は完全に治りましたが、家族は彼女と縁を切り、家に迎え入れませんでした。そして、シンクネッシュさんの家族は、彼女の身の回りの物を燃やし、一家の恥だと罵りました。こうして、シンクネッシュさんは二度と家族の元に戻ることができませんでした。彼女は何のスキルもないため就職することもできず、道端で物乞いをするしか生きる術がありませんでした。

多くのハンセン病患者・回復者にとって、シンクネッシュさんが歩んできた道は決して珍しい話ではありません。世界各地で、ハンセン病患者・回復者は物乞いをして生きるしか方法がなかったのです。彼らは、ハンセン病と診断されたというだけで、教育・就職・結婚の機会を奪われ、コミュニティへの参加を拒まれてきました。また、医療専門家でさえ、ハンセン病に関する知識の欠如により彼らを差別してきたと言われています。

ハンセン病患者・回復者は、今なお、厳しい状況に直面しています。こうした過酷な状況を変えるためには、原則及びガイドラインを適用し、その内容を社会に反映させることが重要です。具体的には、ハンセン病患者・回復者に対して、政府がヘルスケア、教育、職業訓練、住居の確保、雇用などの支援を実施することです。

ここエチオピアにはハンセン病回復者が立ち上げたENAPAL(Ethiopian National Association of Persons Affected by Leprosy:エチオピア全国ハンセン病回復者協会)という組織が草の根レベルの変化をもたらしはじめています。ENAPALは、ハンセン病に関する正しい知識の普及、シンクネッシュさんのような境遇に置かれている人々に対する教育支援や職業訓練、ビジネスを始めるためのマイクロファイナンスなど社会復帰のためのプログラムを実施しています。また、ハンセン病患者・回復者のエンパワメントやスティグマや差別をなくすための啓発等、様々な活動に積極的に取り組んでいます。

シンクネッシュさんは幸運にもENAPALの支援を受けることができました。今、彼女は物乞いをやめ、刺繍の仕事を見つけ、学校に戻り教育を受けることができるようになりました。しかし、私たちはシンクネッシュさんのようなケースは例外であるということを忘れてはいけません。多くのハンセン病患者・回復者には必要とされる支援が行き届いていないのです。ですから、政府がENAPALのようなNGOと協力しながら、ハンセン病患者・回復者の誰もがこのような支援を受けられる環境を整えていく必要があります。

このようなENAPALの活動により、シンクネッシュさんの生活は改善しましたが、まだ社会との壁は存在しています。ハンセン病を治癒して何年も経った後も、彼女はハンセン病患者・回復者のコロニーで暮らしています。彼女は手足の障害により、同僚から避けられています。そして12歳の時から今までずっと、弟以外の家族とは再会できていません。

さて、シンクネッシュさんのような境遇に置かれる人をこれ以上生み出さないためには何を行う必要があるのでしょうか。最大の課題は社会の意識を喚起することです。それは、ハンセン病に対する何世紀にもわたる無知、偏見や差別を終わらせることに他なりません。両親がハンセン病に対する知識がなかったために、彼女はとても苦しい生活をせざるを得ませんでした。ハンセン病は適切な治療により治る病気です。ハンセン病は遺伝病や天刑病ではありません。ですから、恥ずべきことは何もないのです。私たちは、このような正しい認識を世界の人々が持つように働きかけなくてはなりません。

では、どのようにすれば、こうした社会をつくることができるのでしょうか。原則及びガイドラインにも明記されていますが、ハンセン病患者・回復者やその家族の人権や尊厳を尊重するためには、各国政府がNGO、市民社会、メディアと共に制度や行動計画を作成して、社会の認識を変えていくことが不可欠です。これは最も困難で時間を要する課題ですが、政府がこれを達成するためのコミットメントをすれば、今までにないような大きな一歩を踏み出せるでしょう。より多くの人々が正しい知識を持つことによって、シンクネッシュさんのような苦しみを味わうことなく暮らせるようになるでしょう。

「療養所の壁はたった20センチですが、この壁が私と社会を完全に遮断している」

これは、あるハンセン病患者の言葉です。ハンセン病患者に対する強制隔離の時代は終わりましたが、ハンセン病患者・回復者と社会を隔てる壁は未だに残っています。そして、私たちにはこの壁を壊す責任があるのです。

私はアフリカ連合の本部があるエチオピアにおいて、このシンポジウムを開催することは大変意義深いことであると考えています。このシンポジウムを通じて、エチオピアがリーダーシップをとって、ハンセン病患者・回復者に対する差別の問題についてアフリカ諸国に向けて警鐘を鳴らし、共にその解決への道を探っていくことを期待しています。差別というこの見えない壁を壊すために、共に手を携えて歩いていきましょう。

ご清聴ありがとうございました。