”homeless, not hopeless”
ホームレス、だけど希望はあります。
~ビッグイシュー「人生挽回」ストーリー~
【はじめに】
“大切な命”をテーマにしている夢の貯金箱は、 “人生をあきらめず、再び輝く命”を一人でも多くの方が実感出来る世の中のために、ホームレスの人々が再び社会に復帰できるための活動を推進するNPO法人ビッグイシュー基金に賛同し、支援を行っています。
この「“homeless, not hopeless" ホームレス、だけど希望はあります。」は、様々なビッグイシュー基金の活動の一年間の連載報告で、毎回魅力的なホームレスの方ひとりにスポットを当てています。
「道端留学」とは

道端留学の様子
ビッグイシューが行っている活動の中で、『道端留学』というものがあります。
道端? 留学?
どのような活動でしょうか。
これは、ビッグイシューを応援してくださる市民の方々に、実際に販売場所に立ち、そして、販売者さんと一緒にビッグイシューを売ってみるという体験をしていただく活動です。
普段は、お客さま、サポーターとして、「買う側」にいる人が、視点を180度変えて「売る側」に回ってみるのです。屋内から屋外(道端)へ、そしてホームレスである販売者さんが立つ場所から社会を見ることで、貧困やホームレスの問題、社会問題について考え、学ぶ(留学)ことから、「道端留学」と名づけています。
ビッグイシューにとっても、活動をより深く理解していただくことにつながる活動として、希望者を積極的に受け入れています。個人だけではなく、大学や企業の方々の受け入れもしています。
体験者の方々からは次のような感想や評価がよせられています-「「販売者」として見る街・人々が、これまでとは違う新鮮なものに映った、また、生活や仕事をする上での視点を変えるきっかけになった」「大変貴重、かつ、気付きの多い体験に参加出来たことを感謝しています」「非日常の経験は人間成長に大きな糧となった」「販売者さんはとても誠実で一生懸命でした。どうすれば多く売って、自分が生きていけるかを真剣に考えていて、私が持っていた今までの偏見を払拭させてくれました」。
そして、道端留学を通して、販売者さんとお客さんの間により深い結びつきができる例も生まれています。今回は、道端留学を通して、「留学生」と販売者さんが出会い、そこから販売者さんが就職、アパートに入居して自立につながることができたケースを紹介したいと思います。
【ベネズエラ生まれの販売者さん、田中エンリケさん】
田中エンリケさんは、南米ベネズエラと日本の両国籍を持つ40才の男性です。ベネズエラで生まれ、25歳まで過ごしました。エンリケさんの両親が、第二次大戦後に一世としてベネズエラに渡り、バレンシアという工業都市で小さなデパートを開業して、そこで産まれたのが2世であるエンリケさんです。1969年にエンリケさんが誕生した時には、両親のお店は既に軌道にのり、日本から輸入した高級玩具などが沢山ならんでいたそうです。エンリケさんも、欲しいものは何でも買ってもらえる、裕福な子ども時代を過ごしました。通っていた学校も、世界各地から来た経済的にも恵まれた子弟の多いインターナショナルスクールでした。エンリケ少年は、学校では世界各地の子どもたちと友達になり、家では何一つ不自由無い環境の中で、のびのびと楽しい子ども時代を過ごしました。「毎日が、パーティー」を地で行くラテン系のベネズエラの人々の中で、エンリケさんは社交的で明るい少年に育っていきました。
一方で、エンリケさんと両親の間には、少年時代から大きな葛藤がありました。言葉も頼る先もなく遠いベネズエラまでやってきた両親ですが、異国に根を下ろし苦労を重ねるうちに、他人をなかなか信頼することができず頑なになっていったと言います。また、特に長男であるエンリケさんにはつらく当たったそうです。エンリケさんは厳しさのみで愛情を全く示さない両親の下で、小さな時から寂しさと深い悲しみをずっと味わっていたといいます。学校の勉強やサッカーをいくら頑張っても、一度も褒めてもらったことも興味を示されたこともなく、逆に「お前は馬鹿だ」「お前は駄目だ」と言われ続けました。それは、家族を何よりも大切にするベネズエラ人の中にいると、なおさら悲しく、小さな子どもにとっては理解に苦しむことでもありました。一番愛している両親からそのように育てられ、エンリケさんは、大きな苦しみを抱えたまま25歳までをベネズエラで過ごしました。
大人になってからも、両親は、欲しいものは買い与えてくれたものの、仕事をしても給料は全部両親に差し出さなければならないなど、何一つ自分自身で決めることができない生活が続きました。このままでは自分の人生は本当に駄目になると思い悩み、何十回、何百回と両親に話をして、時には口論にもなりましたが、両親は頑としてエンリケさんの話を聞いてくれませんでした。20歳をすぎても、両親のエンリケさんに対する態度は、少年時代とまったく変わらず、大人になればなるほど、エンリケさんは両親の支配に苦しみ、傷つき、危機感を募らせるようになります。
海外への旅立ち、日本へ
25歳の時、ついにエンリケさんは海外に脱出する道を選びました。オーストラリア、アメリカ等、世界中に居る友人を頼って、沢山の場所に滞在しました。また、ベネズエラ国代表として「青年の船」に派遣され、そこでも世界各地の新しい友人を得ることができました。この頃、故郷であるベネズエラの国自体も経済と治安がどんどん悪化し、両親のお店では防弾チョッキとライフル銃は必需品という状態でしたので、バレンシアの街にも、故郷という懐かしさはもはや感じなくなっていたそうです。
こうして、エンリケさんは、両親からもベネズエラからも決別を果たしました。
そして、27歳になり腰を落ち着けたのは、エンリケさんのもう一つの故郷である日本でした。日本では、東京の印刷屋さん、山梨の家具屋さん、九州での駐車場係りなど、色々な場所で色々な職業を経験しました。
しかし、決別したと思った両親が突然日本に帰国したことにより、エンリケさんは再び両親の監視下に置かれることになります。エンリケさんが日本に来た同じ年に、突然、両親がベネズエラを引き払って日本に戻ってきたのです。九州での両親との再会は、喜びとは正反対のものでした。その後の10年間は、病気や怪我の続いた両親を介護する生活が中心になりました。家の中でさえ、24時間両親から携帯電話で呼ばれ続ける生活が続き、エンリケさん自身も心身の疲労で自身の仕事を辞めざるを得ない状況に追い込まれました。こうして仕事を辞めて両親の世話をするエンリケさんに、両親は一度も感謝の気持ちを伝えたことはありませんでした。その頃交際していた女性との結婚も両親の反対に合い果たすことができず、エンリケさんは精神的にも追い詰められ、「死にたい」とさえ考えるようになりました。
路上へ
2009年8月。エンリケさんは東京の代々木公園にいました。
九州での最後の日々は、本当に思い出すのも辛いものでした。いっそのこと両親を殺してしまえたらと思いつめたこと。その後、自分も死んでしまいたいと思ったこと。
そしてついに、エンリケさんは、「家出」をして、東京にやってきました。心も、持ち物も、すべてを整理した、最後の家出でした。最後の1000円を使って上野へ行き、初めて上野の路上で寝てみました。こうしてエンリケさんの路上生活が始まりました。
ビッグイシューと道端留学

初めてビッグイシューに来た時の切符をお守りとしてずっと持っています
路上に出て1ヶ月、エンリケさんがビッグイシューを始めたきっかけは「路上脱出ガイド(第八章参照)」です。代々木公園で体を休めていたとき、に、ガイドを2回渡されたことで、「よし、やってみよう」と思ったのです。ビッグイシューの事務所を訪ね、渋谷で販売開始。誰とでもすぐに友達になれる、明るく優しいキャラクターのおかげで、すぐに販売にも馴染み、お客さんもエンリケさんの顔を覚えるようになりました。
エンリケさんが「道端留学」の留学生を受け入れたのは、そんな時でした。
道端留学、これは留学生にとっても、エンリケさんにとっても、とても楽しい活動でした。普段、1人で販売場所に立つ販売者さんにとって、雑誌販売は孤独な作業でもあります。そこに新しい仲間がやってきて、一緒に雑誌を販売する。心強いだけでなく、これは本当に楽しい作業になりました。一緒に並んで販売場所に立ちながら、エンリケさんと「留学生」は色々な話をしました。エンリケさん自身のこと、ビッグイシュー販売のこと。
今後のエンリケさん、今後の道端留学
今、エンリケさんは言います「自分ばかりこんなに幸せな目に合って良いのかな」と。「こんなに周りの人たちに親切にしてもらって怖いぐらい」とも言います。エンリケさんの今後の願いは、「これまでのジェットコースターのような人生じゃなくて、ごくごく小さな『普通の幸せ』がほしい」ということです。生家のようなお金持ちで無くて良い、路上に出た時のような無一文でも困るけれど、質素に生活していけるだけのお金があればそれで充分なのです。そんなエンリケさんにとって、道端留学を通して知り合えたサポーターとの絆、新しい仕事そして住居は、『普通の幸せ』を少しづつ見つけていくための、再生の1歩になってくれそうです。
このような「参加型」の関わり、支援を通して、より多くの市民に、ビッグイシューの活動やホームレス問題を身近に捉えていただき、応援していただきたいと考えています。

道端留学の様子
★おまけ★
散髪ボランティアは大人気
新宿区でヘアサロンを営む美容師の山田康太郎さんが、2月23日に東京事務所に販売者さんの髪の毛を切りにいらしてくださいました。山田さんは、ビッグイシュー東京事務所の設立期から継続して、ボランティアで販売者さんの散髪をしてくださっています。
今回も、はさみとバリカン、カットクロス持参で事務所に駆けつけ、2時間半で8名の販売者さんの散髪をしてくださいました。鏡の前に座った販売者さん達は、「こんな髪型に」「ここはこのように」など注文をつけながら、次々とさっぱりとした頭、風貌になっていきます。髪の毛を切ってもらっている販売者さん達の表情や、山田さんとのやりとりを見ていると、髪の毛を切ってもらうという行為が、単に延びた髪の毛を切り揃えるだけでは無い、心身のケアにも繋がるような温かなものを感じます。

東京事務所でヘアカット

次々にヘアカット
【第三章】 ホームレス・ワールドカップ日本代表としてミラノへ
【第四章】心の引き出しを整理、パーソナルコーチングで“希望”取り戻す
【第六章】うつ、依存症、孤独—増える若者ホームレス
【第7章】突然、家に入れなくなりホームレスになった