プロジェクトニュース

[ 2009/07/14]

犯罪被害者の声・2


 夢の貯金箱では皆様から寄せられた寄付を「犯罪被害にあった方」の支援のために活用しています。
 理不尽な犯罪により最愛の家族を奪われた遺族の方々の声、被害者にもかかわらず、事件後の社会の冷たい仕打ちに孤立し苦しんでいる事実がニュースで報道されることは稀です。
多くの被害者や遺族の方々が、悲しみ、苦しみの中から、犠牲者の生命を無駄にせず、犯罪のない社会のために役立ててほしいと願っています。
これからお届けする「犯罪被害者の声」は夢の貯金箱が支援するNPO法人全国被害者支援ネットワークによせられた手記です。

殺人事件被害者遺族の手記  立野雅子

 1999年8月8日夜8時頃、姉が殺されました。
『8月8日AM12:10
父親からTELがあった。3時間ほど前、姉ちゃんが刺されて即死したそうだ。訳がわからん。耳がおかしいのかと思った。とりあえず、最終のマリンにぎりぎり間に合いそうなので10分で家を出た。遅いが、先生たちにTELした。遅出を頼んだ。
駅に着いた。みかりんにTELした。少し話を聞いてもらった。現実感がない。気持ち悪い。吐きそうだ。今、マリンの中だ。長い、すごく長い。
どうして、返して下さい。どうして、姉ちゃんなん。どうして。よさこい楽しみにしとったのに。
お願い、返して下さい。』(注 マリン:マリンライナー瀬戸大橋線)

 車がない私は駅まで自転車で行き、電車に乗りました。上記は、その時スケジュール帳に殴り書きした内容です。
あれから、もうすぐ8年、色々なことがありました。
父は次の日に仕事を辞めました。
母は遺体を見るまで泣くことすらできませんでした。
保育士をしていた私は、お盆も重なり、1週間程で、仕事に復帰しましたが、保護者に連れられ、上の子が妹や弟を迎えに来る姿を見て、涙をこらえるのが精一杯でした。
裁判がはじまり、私は仕事を辞めました。もう二度とこの職種にはつけないと感じ、涙がとまりませんでした。
犯人は2度目の殺人ということで、無期懲役になりました。1度目の時に出していなければ……
私は弁護士を通して、刑務所で働いて得たお金を、姉の名で、世界で苦しんでいる子どもたちに寄附したいと伝えました。犯人から、その通りにしますとの内容の手紙がきました。それきり音信不通となりました。
私たち家族は、今まであじわった事のない苦しみと悲しみを背負い、生きていかなければならなくなりました。
何度か人前に出て話をさせていただくことがありました。
ある時、話を聞いた人に、
「世の中にはもっとつらい事がある。会社で後輩に出世を越されたり等……弱いのは自分自身の責任である。」と言われました。
表で話をすると、厳しい意見があるのは覚悟していたはずなのに、トイレに駆け込み、涙がとまりませんでした。

それから、私は、2年間以上、事件から逃げていました。そんな自分がずっと嫌でした。生きていて楽しい事はあります。でも自分が生きていてよかったと思うことは1度もありません。それでも生きていかなければならないのなら、少しでも耳を傾けてくれる人に話そう。見てもらおう。それを伝えてもらおう。そしてまた、死のうとしている人、罪を犯そうとしている人に命の大切さ、残された者の苦しみを伝えることができたらと思います。それが私自身のカウンセリングにもなるのだと思います。
今、私は、再び子どもたちと関わる仕事に就くことができています。
読んでいただいてありがとうございます。