プロジェクトニュース

[ 2010/08/30]

犯罪被害者の声・12【犯罪で傷ついた命のために】
15年目の私


 夢の貯金箱では皆様から寄せられた寄付を「犯罪被害にあった方」の支援のために活用しています。
 理不尽な犯罪により最愛の家族を奪われた遺族の方々の声、被害者にもかかわらず、事件後の社会の冷たい仕打ちに孤立し苦しんでいる事実がニュースで報道されることは稀です。
多くの被害者や遺族の方々が、悲しみ、苦しみの中から、犠牲者の生命を無駄にせず、犯罪のない社会のために役立ててほしいと願っています。
これからお届けする「犯罪被害者の声」は夢の貯金箱が支援するNPO法人全国被害者支援ネットワークによせられた手記です。

紀の国被害者支援センター 自助グループ「なごみの和」 松本 恵三子

平成6年2月、二男が強盗殺人事件で亡くなった。4年前に東京の大学へ進学、卒業を一ヵ月後に控えていた時でした。
 日常生活の中で突然起きる事件、テレビや新聞ではなく私自身が当事者になる…  触れたくない、思い出したくない、言いたくないと思っていた気持ちが、少しずつ変わってきたのを振り返る。
 ある日、突然、嵐の中に放り込まれた私は、「何故、どうした、何が起こった?」と嵐にも気がつかないまま、不安だけを抱えて和歌山から東京の多摩川警察署に着いた。霊安室で、棺の中の彼を見ても息子とは思えず、ただ眺めるだけだった。悲しい・辛い・感情も湧かず涙も出ないまま、朝から夜まで2日間の事情聴取が続き、訊かれるまま答えていました。警察への行き帰りに寄って来るマスコミが怖くて恥ずかしくて、足元ばかり見ながら歩きました。
 東京でお葬式をし、胸に抱きかかえて新幹線に乗ります。和歌山で再度、祖父母・親戚に見守られ2回目のお葬式を出しました。電話のベルに胸をドキドキさせ、包丁やナイフを見るのも触ることも出来ません。子供の名前を声に出せない。食べられない眠られない状態が続き、只、言われるまま身体を動かしていました。他人と顔を会わすのが辛くて、家に引きこもっています。瞬く間に痩せていき、翌月から生理が止まっているのさえ気づきませんでした。

当時は被害者支援と言う言葉すら聞いた事が無い時代

です。テレビや週刊誌で報道される度、息子が世間のさらし者になった気がして、頑なに、私が護らなくてはと思い込み、目を閉じて耳をふさいでいました。4月から家と職場を変わる予定でしたが、新しい勤務先は事情を考慮して、「出勤は何時からでも良い」と言われました。自分自身で考え決める事ができない私を見て、夫の判断で4月から出勤。私は集中力や持続力も無く、単純作業しか出来ません。30分、1時間と少しずつ集中できるようになりましたが、知らないうちに涙が流れています。事情を知らない人達と黙って仕事をする時間が、過ぎていきました。

3年経った頃、職場では以前のように話すことが出来るようになりましたが、家に帰って夫と話すことはありませんでした。長男は他府県に居り7年前から夫婦二人暮らしです。夫は自営業、私は看護師として働いていました。
今思うと、仕事は最高のリハビリでした。大好きな業務、理解のある先生、個性豊かな同僚に恵まれ、緊張感のある職場は、悲しいことを思い出す時間を減らしてくれます。仕事に集中し、クタクタになるまで身体を動かし眠る。繰り返しているうち、それまで感じなかった夫との考え方の違いに我慢できなくなってしまい家を出ました。私の中で、自分でも分からない何かが変わっていたのです。そして、別居して10年後に離婚届を出しました。

事件から6年後(H.12年)

タウン誌で自助グループ「なごみの和」や被害者支援センターを知り、同じ境遇の方達とお逢いして、初めて話すことができました。又センターの協力による行事に参加する中で、立ち上がり、歩き出そうと思い始めます。8年間の時間と、見守ってくれた人、助けてくれた人、仕事、私自身の病気が交じり合って心が動き出したのでしょう。その頃から二男は、『最大最強のミカタ』になりました。仕事の愚痴や泣き言、身体の不調、誰かの悪口を写真に向かって、思い切り言うと「オカン、そんなこと人に言うたらあかんで」と23歳のさわやかな笑顔で答えます。ちなみに、この15年間、家族で二男の話をしたことはありません。私自身も、悲しい出来事は胸の奥にしまい込みました。
 病気は強皮症とリウマチですが、仕事は続けていました。だんだん手足が不自由になり、最初の手術をする時、一人暮らしの私を支援センターの方が援助してくれました。私の気持ちを尊重しての介助のおかげで仕事に復帰することができました。

時代の流れと共に支援センターが普及し

犯罪被害者基本法ができ、裁判員制度も始まり世の中が変わってきました。最近は何でも人の所為にして「誰でもいいから」と事件・事故を起こすニュースを見ていると腹が立ちます。「死にたかったら、一人でどうぞ。他人に迷惑かけないで」と言いたい。世間と一緒に人間も自然も環境も変化しているようで、私には理解できないことがいっぱい増えています。
 昨年、姉が68歳で亡くなりました。長い間、病気で苦しんでいたので、最後のお別れをする時は「お疲れ様、もう痛くないよ」と送り、悲しい気持ちも涙もありません。15年前、悲しみ、苦しみ、辛さを最大限に体験したこと、仕事上、多くの方の最期に立ち会ったことが原因でしょう。
 今は、リタイアして自分勝手なワガママおばあちゃんを目指して奮闘中。5時半に目が醒めると、寝たまま足首を動かし起き上がる準備をします。1時間くらいウトウトしながら過ごし、トイレへ行き玄関ドアの新聞を取り、6時30分からラジオをつけ、又、ゴロゴロ。8時頃から新聞を見てパンを食べる。時間をかけて読んでいますが、記憶には残らない。それから掃除機をかけ、週に3~4回洗濯をします。テレビを見たり本を読んだり。ヘルパーさんには重くて持てない買い物や出来ない家事をお願いします。デイサービスに出かけて、若い職員さんとお喋りするのを楽しむ。さっさと動けませんが、マイペースでゆっくり過ごし「まあ、いいかあ、しかたないなあ」と思うようにしています。のんびりしすぎて、たまに人に逢うとそれだけで疲れます。

今年2月に東京からヨット部の同期が二人、お墓参りに来てくれました。彼等の中で、仲間として居る息子を嬉しく思います。
 『被害者遺族はかわいそう』『子供を亡くした親は悲しいもの』と特別視しないで、一人、一人を認識してください。
 私、息子とはいっしょには居ませんが、良い距離感で共に生きています。

平成21年8月