ミャンマー関連情報3
実は、我々日本財団が支援している「技能ボランティア海外派遣協会」(NISVA)からも、埼玉県の中城さんが途上国での洋裁指導に関わっており、1997年のフィリピンのピナツボ火山噴火の被災地へ行ったのを皮切りに、ミャンマー、スリランカ、ベトナムで洋裁を教えてきたそうです

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途上国で洋裁指導 78歳「感動」求めて 活動10年超、埼玉県の中城さん
(2007/02/10, 産経新聞掲載記事)
発展途上国の貧困地域などで、ボランティアを続ける78歳の女性がいる。外国語が話せるわけではない。生活のため身につけた洋裁の技術を、現地の貧しい人たちに指導している。65歳からボランティア活動に身を投じ、すでに10年以上がたつが、団塊の世代が大量退職を始める平成19年になっても、「日本では得られない感動がいっぱいある。生きがいを見つけることが長生きできる秘訣(ひけつ)」と元気いっぱいだ。(加田智之)
この女性は、埼玉県所沢市の中城茂登子さん。いまは日本財団(東京都港区)が支援する「技能ボランティア海外派遣協会」(NISVA)の要請を受けて、スリランカで活動をしている。
中城さんが夫を急性心不全で亡くしたのは、43歳のとき。中3を筆頭に4人の子供を育てるため、以前、手に職をつけようと服飾学校で習った洋裁を、自宅で始めた。
「ほかに子供を育てる手段がなかった」からだが、好景気のおかげもあって、従業員を10人程度雇うまでに。
海外ボランティアを志したのは65歳。子育てが終わり、「貧乏性で何もしないのが我慢できないから」だった。
ボランティア団体に登録してからは、平成7年にフィリピンのピナツボ火山噴火の被災地へ行ったのを皮切りに、毎年1〜3カ月間は海外に滞在。ミャンマー、スリランカ、ベトナムで洋裁を教えてきた。
ベトナムの山岳少数民族「コーホー族」は、ホーチミン市から車やトラクターで合計8時間もかかる山奥に居住。電気も水道もなく、ハサミの持ち方から教えなければならなかった。
「大変だったが、お古とかじゃない自前の洋服を初めて持つ喜びを、彼らと共有できた」
リーダーに指名した「カエオ」という娘とは、特に仲良くなり、別れ際にもらった銀色のリングは、今でもお守りとして指にはめている。
「この年になると、1年が昔の10年に相当する。“見返り”がないと行かない」という中城さん。その見返りとして、一番に求めるのが「精神的な満足感」だという。
教えた洋裁の技術が“生活の手段”になってほしいと思うからこそ、「本当に貧しい地域に行きたい」。
設備や環境が悪いのは我慢できる。だが、「自分が本当に必要とされている場所でなければ行きたくない」。
派遣先に集まった人たちが、生活には困っておらず洋裁に興味があるだけだったケースでは、貧困にあえぐ地域の人たちを、改めて集め直してもらったこともあった。
19年から続々と退職を迎える団塊の世代には、「昨日の続きの今日よりも、新しいことをやっていた方が希望がある」とエールを送る。
自身も、健康が続く限り「感動」と「生きがい」を求め続けるつもりだ。