ハンセン病とは

1. ハンセン病とは

ハンセン病は、「らい菌(Mycobacterium leprae)」が主に皮膚と神経を犯す慢性の感染症ですが、治療法が確立された現代では完治する病気です。1873年にらい菌を発見したノルウェーのアルマウェル・ハンセン医師の名前をとり、ハンセン病と呼ばれるようになりました。

らい菌の増殖速度は非常に遅く、潜伏期間は約5年ですが、20年もかかって症状が進む場合もあります。最初の兆候は皮膚にできる斑点で、患部の感覚喪失を伴います。感染経路はまだはっきりとはわかっておらず、治療を受けていない患者との頻繁な接触により、鼻や口からの飛沫を介し感染するものと考えられていますが、ハンセン病の感染力は弱く、ほとんどの人は自然の免疫があります。そのためハンセン病は、“最も感染力の弱い感染病”とも言われています。

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ハンセン病にかかったアフリカの少数民族たちに声をかける日本財団会長笹川陽平(コンゴ民主主義共和国にて)

初期症状は皮膚に現れる白または赤・赤褐色の斑紋です。痛くも痒くもなく、触っても感覚の無いのが特徴です。現代では特効薬も開発されており完治する病気です。治療をせずに放置すると身体の変形を引き起こし障害が残る恐れもありますが、初期に治療を開始すれば障害も全く残りません。

2. ハンセン病の歴史

ハンセン病患者の外見と感染に対する恐れから、患者たちは何世紀にもわたり差別と偏見を受けてきました。古代中国の文書、紀元前6世紀のインドの古典、キリスト教の聖書など、数多くの古い文書に残っている記述からも、ハンセン病は、有史以来、天刑、業病、呪いなどと考えられ、忌み嫌われてきたことが判ります。

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昭和5年(1930年)に日本初の国立療養所として開設された岡山県の「長島愛生園」の旧事務本館。現在は歴史館として一般公開されている。

日本でも8世紀につくられた「日本書紀」にハンセン病に関して記録が残されています。歴史上の人物では戦国武将の大谷吉継がハンセン病に罹患していたとされ、病気に関わる逸話が伝わっています。また古い時代から日本の患者には、家族に迷惑がかからないように住み慣れた故郷を離れて放浪する「放浪らい」と呼ばれた方も数多くいました。その後、明治時代に入り「癩予防に関する件」「癩予防法」の法律が制定され、隔離政策がとられるようになり、ハンセン病患者の人権が大きく侵害されました。第二次大戦後も強制隔離政策を継続する「らい予防法」が制定され、苦難の歴史は続きました。療養所で暮らす元患者らの努力等によって、「らい予防法」は1996年に廃止され、2001年に同法による国家賠償請求が認められました。

海外では1873年にノルウェーのハンセン医師が「らい菌」を発見。1943年には米国で「プロミン」がハンセン病治療に有効であることが確認されたのを契機に、治療薬の開発が進み、1981年にWHOが多剤併用療法(MDT)をハンセン病の最善の治療法として勧告するに至りました。ハンセン病は完全に治る病気になっています。

3. ハンセン病と差別

ハンセン病に罹患した人びとは遠く離れた島や、隔離された施設へ追いやられ、自由を奪われ「leper」という差別的な呼ばれ方で、社会から疎外された状態で生涯を過ごすことを余儀なくされました。

ハンセン病はもはや完治する病気であり、ハンセン病回復者や治療中の患者さえからも感染する可能性は皆無です。それにもかかわらず、社会の無知、誤解、無関心、または根拠のない恐れから、何千万人もの回復者およびその家族までもが、ハンセン病に対する偏見に今なお苦しんでおり、こうした状況を是正する社会の取り組みは遅れをとっています。あらゆる時代、あらゆる場所で、国、地域社会、学校、企業、病院、あるいは宗教団体も含めた組織がハンセン病患者とその家族に対して行ってきたことは、まさに重大な人権侵害であり、彼らの尊厳を傷つけてきました。生涯にわたる強制隔離、社会サービスの制限、労働市場における差別は、ハンセン病患者に対する人権侵害のほんの一部にすぎません。教育、結婚、あるいは住む場所を見つけることにすら、かれらの前には壁が立ちはだかっています。

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マリのカティ・ハンセン病コミュニティー

4. 日本財団のこれまでの活動

ハンセン病治療法の開発

ハンセン病は、らい菌が発見された1873年以降にようやく本格的な研究・治療の対象となりました。1940年代初頭までは、インド原産の大風子油から作られた大風子油を筋肉注射するという治療法が広く使われました。注射時の激痛、症状が再発しやすい、有効性が不確かであるなどの問題がありました。

1943年、プロミン(スルフォン剤)の静脈注射がハンセン病治療に有効であることが確認され、1950年代からは、プロミンの有効成分を抽出して経口剤としたダプソンが世界的に使われるようになりましたが、やがてダプソンに対する耐性菌の発現が世界的に報告されるようになりました。

耐性菌の発現に対処するために、新しい治療法の開発が進められた結果、1981年、WHOの研究班により、リファンピシン、ダプソン、クロファジミンのうち2剤、または3剤すべてを併用する治療法が確立されました。MDT(Multidrug Therapy=多剤併用療法)と呼ばれるこの治療法は、もっとも効果的で再発率が低い治療法として、ハンセン病の標準治療法として推奨されています。安全で服用方法が簡単な点も大きな特徴です。

日本財団とハンセン病との関わり

日本財団は1960年代より、ハンセン病支援を実施する財団法人藤楓協会を通じて日本国内のハンセン病療養所の図書館や集会所の建設、車両の購入資金などを協力してきました。また海外においては、笹川良一会長(当時)が私財によりインド、フィリピン、台湾、韓国等においてハンセン病施設の建設などの支援を実施していました。

1974年、日本財団は、治療薬プロミンの合成にはじめて日本で成功した石館守三博士(東京大学名誉教授)と協力し、海外のハンセン病対策事業の専門機関として笹川記念保健協力財団(現:笹川保健財団)を設立しました。以来、日本財団は笹川保健財団と連携をし、WHO(世界保健機関)を主要パートナーとすると同時に様々なNGOとも協力し、国際会議の開催、ハンセン病対策従事者の育成、現地技術協力、ハンセン病の研究、教材の開発・供与、広報啓蒙活動、薬品・機材援助等を中心に取り組みを拡大していきました。

ハンセン病制圧への道

MDTによってハンセン病が治療可能な病気となったことから、1991年にWHO総会は、“公衆衛生問題としてのハンセン病の制圧”の達成を2000年までに目指すことを決議しました。目標となる具体的な指標として、WHOは「ハンセン病の罹患率が人口1万人あたり1人未満となれば、公衆衛生上の問題としては制圧されたと見なす」と定義しました。この制圧目標を達成するために、WHO、各国保健当局、そして日本財団を含むNGOはパートナーを組んで活動をしてきました。

日本財団は、ハンセン病の制圧を推し進めるため、1995年から1999年までの5年間にわたりWHOを通して世界中にMDTを無料で供給しました。2000年以降は、製薬会社のノバルティス社が日本財団の意志を引き継ぎ、治療薬を無償配布しています。また日本財団会長の笹川陽平は、WHOハンセン病制圧大使として各国政府に対して制圧の達成や努力の継続を働きかけています。

MDTの無償配布により、ハンセン病患者の数は激減しました。WHOの統計によると、1985年には520万人であった登録患者数が、1999年末には75万人、2009年末には21万人までになり、1985年以降2021年までに約1600万人以上が治療を受けました。この間、2000年末の時点で、“公衆衛生問題としてのハンセン病の制圧”は、全世界レベルにおいては達成されました。各国レベルにおいては、1985年には122カ国において未制圧であったものが、2021年末の時点では1カ国(ブラジル)を残すのみとなりました。

ハンセン病と人権

ハンセン病患者・回復者が何世紀にもわたって背負っている偏見や差別は、特定グループが被った最も広範な社会不正義のひとつです。世界人権宣言の第1条は、「すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である」と謳っています。ここには当然ハンセン病患者・回復者も含まれるべきですが、いまだ社会的・経済的な差別は続いています。世界人権宣言第1条を現実のものとするためには、ハンセン病患者・回復者が生まれながらに持っている権利が認められることが不可欠です。ハンセン病の人権問題を解消することが、全ての人間が基本的人権を享受し、尊厳をもって生きられる社会の実現につながるのです。

国際社会への働きかけ

ハンセン病を取り巻く差別を、国際社会に対して人権問題として訴えるため、日本財団会長およびWHOハンセン病制圧大使である笹川陽平は、2003年、国連人権高等弁務官事務所への働きかけを開始しました。回復者団体や各国政府、NGO等の協力を得た粘り強い訴えかけの結果、7年の歳月を経て、2010年12月、国連総会本会議にて、「ハンセン病の患者・回復者とその家族への差別撤廃決議」と「原則とガイドライン」が192カ国の全国連加盟国の全会一致で採択されました。さらに、国連総会で採択された「ハンセン病の患者・回復者とその家族への差別撤廃決議」と「原則とガイドライン」を各国政府や関係者、広く一般の方々にも周知し、その実行を促進するため、日本財団は全5回にわたり各地域(南北アメリカ地域、アジア地域、アフリカ地域、中東地域、ヨーロッパ地域)で「ハンセン病と人権国際シンポジウムを開催しました。さらに、2017年11月に、各国における「原則及びガイドライン」の実施状況や偏見・差別にかかわる調査を行う特別報告者(Special Rapporteur)が任命されました。

グローバル・アピール

世界のハンセン病の問題解決を目指し活動する日本財団は、「世界ハンセン病の日(1月最後の日曜日)」にあわせ、2006年から毎年、宗教指導者、政治指導者をはじめ、経済界、医師会、法曹界、人権活動団体など各界を代表する組織や個人から賛同を得て、「ハンセン病に対するスティグマ(社会的烙印)と差別をなくすためのグローバル・アピール」を開催しました。
なお、2022年以降は、笹川保健財団が開催を継続しています。

開催回 宣言書 開催地 共同宣言
第1回 グローバル・アピール2006宣言書(PDF / 200KB) デリー(インド) ジミー・カーター元米国大統領、ダライ・ラマ師、デズモンド・ツツ大司教他、ノーベル平和賞受賞者5名を含む12人
第2回 グローバル・アピール2007宣言書(PDF / 423KB) マニラ(フィリピン) 世界各国のハンセン病回復者代表16人
第3回 グローバル・アピール2008宣言書(PDF / 350KB) ロンドン(イギリス) アムネスティー・インターナショナルや国際セーブ・ザ・チルドレンなど、人権問題に関心を持ち世界的に活動する9つのNGO
第4回 グローバル・アピール2009宣言書(PDF / 1.1MB) ロンドン(イギリス) キリスト教、イスラム教、仏教、ユダヤ教などの宗教指導者17人
第5回 グローバル・アピール2010宣言書(PDF / 1.7MB) ムンバイ(インド) 世界の財界リーダー15人
第6回 グローバル・アピール2011宣言書(PDF / 4.2MB) 北京(中国) 世界64カ国、110大学の学長
第7回 グローバル・アピール2012宣言書(PDF / 922KB) サンパウロ(ブラジル) 世界医師会および50カ国の医師会
第8回 グローバル・アピール2013宣言書(PDF / 406KB) ロンドン(イギリス) 国際法曹協会および40カ国、1地域から46の法曹協会
第9回 グローバル・アピール2014宣言書(PDF / 571KB) ジャカルタ(インドネシア) 37カ国、2地域から39の国内人権機関
第10回 東京(日本) 国際看護師協会および各国の看護協会
第11回 東京(日本) 国際青年会議所
第12回 グローバル・アピール2017宣言書(PDF / 9.5MB) ニューデリー(インド) 列国議会同盟(IPU)
第13回 グローバル・アピール2018宣言書(英語)(PDF / 2.9MB) ニューデリー(インド) 障害者インターナショナル(DPI)
第14回 第14回 グローバル・アピール2019宣言書(英語)(PDF / 466KB) ニューデリー(インド) 国際商業会議所(ICC)
第15回 第15回 グローバル・アピール2020宣言書(PDF / 1MB) 東京(日本) 国際パラリンピック委員会(IPC)
第16回 第16回 グローバル・アピール2021宣言書(PDF / 194KB) オンライン 国際労働組合総連合(ITUC)

回復者の自立のための支援

社会において「ハンセン病と人権」の問題を認知してもらうためには、ハンセン病回復者たち自らの体験を世の中に届けられる環境を整え、関心を促すことが重要です。日本財団は、世界30カ国以上に支部を持つアイディア(IDEA:共生・尊厳・経済向上をめざす国際協議会)、インドに700カ所以上あるとされるハンセン病回復者コロニー(定着村)を中心とする同国の全回復者のネットワーク化を目指すハンセン病回復者協会、ブラジルの有力NGOであるモーハン(MORHAN:ハンセン病回復者社会復帰運動)などの設立や組織強化、東南アジア各国にある回復者組織のネットワーク化支援などを実施してきました。また、世界で最もハンセン病の患者数が多いインドに設立したササカワ・インド・ハンセン病財団を通じ、回復者の経済的自立や教育、就業支援による社会復帰促進事業を実施してきました。

ハンセン病関係助成実績

日本財団によるハンセン病の分野における助成実績一覧です。(1967年~2021年)