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カタールフレンド基金でサンマ日本一奪回へ


宮城県女川町は津波により、町の人口のおよそ1割が失われる大きな被害を受けた。絶望した人々が復活に向けて立ち上がるきっかけを作ったのは、サンマ水揚げ日本一を奪回するという目標。2012年10月、達成のカギを握る多機能水産加工施設がオープンした。

2012.10.01

震災による甚大な被害から立ち上がる

宮城県牡鹿半島の付け根にある女川町は、リアス式海岸特有の地形で、海岸線近くまで山地が迫り、狭い平地に商業地や住宅地が密集していた。2011年3月11日、東日本大震災の津波は、一瞬のうちに女川町全体をのみこんだ。町内の住宅の約7割が全壊または大規模半壊という被害は、東日本大震災の被災地の中でも最悪なものだった。

女川魚市場買受人協同組合の髙橋孝信理事長は「あるべきものがない、というのがこんなに悲しいことだとは知らなかった。建物がすべてなくなってみると、うちの町はこんなに小さかったのかと感じた。震災の直後は立ち上がる気力もないほど落ち込みました」と震災直後の様子を振り返る。

写真:東日本大震災後の宮城県女川町の様子 町の被害はあまりにも甚大で、行政は人々の命を守るための物資の確保と、ガレキの処理などで手一杯。町の主要産業である水産業への対策は後回しとなった。「このままでは復興が進まない。民間の力で女川の活気を取り戻そう」と同組合の髙橋孝信理事長を中心に、水産業復興への足掛かりを探した。

まず、港の設備のほとんどが流される中で、かろうじて建物が残っていた製氷施設を中小企業庁と女川町の支援で修理して、漁港として営業を再開。それでも、水揚げした魚を保存する冷蔵設備がなければ、大量の魚を受け入れることができない。結局、2011年の秋、サンマ水揚げ量は大幅に落ち込み、本州トップの座を大船渡に明け渡した。本州トップ、そして日本一奪回のために冷蔵設備の再建を模索することになった。

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安心を第一に考えた新しい冷蔵冷凍施設

そんなとき、女川にもたらされたのが、カタールからの大型援助である、カタールフレンド基金設立の知らせだった。この基金は被災地の復興のため「子どもたちの教育」「健康」「水産業」の3分野を対象に、資金の提供を目的として設立されたものである。日本財団が本基金の「水産業」の分野での最初の大型支援プロジェクトパートナーとして決定されたことで、女川町の多機能水産加工施設建設の工事がスタートした。

2012年秋、サンマ漁の最盛期を前に、鉄骨鉄筋コンクリート3階建ての巨大な冷蔵冷凍施設が完成した。今回と同様の津波が来ても耐えられる構造で、3階部分は緊急避難場所としても使用可能な事務所になっている。冷却用の機械も、小さなものを複数設置することで、津波などの自然災害で1基が故障しても、他の機械で補えるような仕組みを整えた。

同組合の石森洋悦副理事長が新しい施設について説明する。
「東日本大震災では、冷蔵庫が被災し預かっていた荷も流出して、多大な損害を出してしまいました。女川の港を利用してもらい、町に活気を取り戻すには、利用者が安心できる施設であることが第一だと思いました。冷蔵庫が2階になり、以前に比べて使いにくいかもしれませんが“安心”には変えられません」

写真:女川漁港の様子

新しいプロジェクトがモチベーションの源に

しかし、ここまでたどり着くのは容易ではなかったと石森さんが振り返る。 「前例のないプロジェクトで全員が手さぐり状態でした。日本財団の支援がなければ完成までこぎつけられなかったかもしれません。英語の文書もよく分からない私たちをフォローして、常に女川の立場に立ってカタール側との調整に当たってもらったことが心強かったです。一緒に仕事をしていると『女川のために必死で動いてくれている』と強く感じて、こちらも頑張らなければ、という気持ちになりました」

白い壁に赤いカタールフレンド基金のロゴマークが取り付けられた建物は、津波で大きな建物のなくなった女川港の中で異彩を放つ。髙橋理事長が、新しい施設を見上げながら話す。
「あれは、私たちにとっての希望の光です。水産業から離れようと考えていた組合員も工事が進んでいくのを見て戻ってきました。この新しい施設は、すべてを失って進むべき道を迷っていた私たちの背中を押してくれるものだと思います」

撮影:コデラケイ

カタールフレンド基金ロゴ