どこまでが「復興」?令和元年東日本台風の被災地で、2年越しに咲いた大輪のひまわりの花

写真:満開のひまわり畑の中にいる参加者たちの写真。画面上にメッセージ「ひまわりを見に来てください」の文字。写真下には「あっぷるかープロジェクト事務局長 杉田威志」「TEAM SHIRO代表 塚田史郎」の文字。

2019年10月、台風19号の影響で関東甲信越地方は記録的な大雨に見舞われました。統計開始以来最大となった水害による被害総額は、全国で2兆1,800億円。被災地では、3年が経とうとしている現在も、復興のために尽力しているボランティアの方々がいらっしゃいます。

千曲川の堤防が決壊し、甚大な被害を受けた長野市穂保地区。この地に広がるひまわり畑も実はボランティアの方々による復興への取り組みの1つです。TEAM SHIRO(代表:塚田史郎さん)が中心となり、あっぷるかープロジェクト(事務局長:杉田威志さん)などの他団体も巻き込んで実現した「ひまわりプロジェクト」には、日本財団が預かった皆さんからのご寄付が使われています。

塚田史郎さん、杉田威志さんのお二人に、被災地復興の現在について伺いました。

令和元年東日本台風に立ち上がった2つのボランティア団体

TEAM SHIROとあっぷるかープロジェクトはいずれも令和元年東日本台風の際に災害ボランティアとして発足しました。

地元有志の災害ボランティアとして立ち上がったのがTEAM SHIRO。あっぷるかープロジェクトは、台風19号で市民の足となるクルマが多く失われたことを背景に、クルマの貸し出し事業として始まりました。あっぷるかープロジェクトの発起人は当時、市内の高専生だった佐藤翔悟さん。クラウドファンディングで資金を集め、市民に無償でクルマを貸し出す仕組みを作り上げました。

当時、長野市内へ支援に入り、ボランティアのコーディネーターとして活動していた現・あっぷるかープロジェクト代表の杉田さんも、あっぷるかープロジェクトから軽トラックを借り受けていたそうです。

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あっぷるかープロジェクトによる軽トラック貸し出しの様子

「私が現地入りしたのは災害発生の1週間後くらい。当時ニュースにもなっていたのですが、被災地では軽トラックが不足している状況でした。たとえば、泥まみれになった荷物を取り出して運びたいという要望があっても、運ぶための手段がない。災害ボランティアはスピード感が大事なのに、軽トラックがないために作業が進まないということが起こっていました。

そうしているうちに、あっぷるかープロジェクトというものが始まっていることを知ったんです。キーボックスがあって、連絡して解錠する番号だけ聞けば、すぐに軽トラックを使えるという仕組みになっていました。非常に便利だったのでよく利用しましたね」(杉田さん)

災害から数カ月が経過して多くのボランティが引き上げてからも、現地での対応を続けたという杉田さん。軽トラックを利用したいという要望はなくならなかったそうです。

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あっぷるかープロジェクトの杉田威志さん

「倉庫にまだゴミがあるから片付けたいとか、農作業をしたいけど軽トラックがないとか、ちょっとしたニーズがまだまだあるんですよね。あっぷるかープロジェクトが終わると困る人がいるということで、プロジェクトを継続させようということになりました」(杉田さん)

発起人だった佐藤さんも就職により活動を続けることが難しくなり、そのタイミングで杉田さんがあっぷるかープロジェクトに参加することに。それが約1年前のことです。

洪水で水浸しになった荒れ地に、ひまわり畑を

被災地支援は、「復旧」と「復興」に分けて語られます。建物やライフラインを元通りにするという意味で使われる「復旧」。被災地に活気や元気を取り戻すという意味で使われる「復興」。

しかし、元通りとはどこまでを指すのか、活気を取り戻したかを誰がどう判断するのか。災害から時間が経ち、ニュースで取り上げられなくなってからも、被災地には現地でしかわからないニーズや苦悩が山積しています。

あっぷるかープロジェクトはそんな住民のニーズや苦悩と根気強く向き合いながら、活動範囲を広げています。ビニールハウスの解体や倉庫の片付け・整備、地元の夏祭りや災害2年イベントへの協力。そして、先述の「ひまわりプロジェクト」への協力もまた復興のための取り組みの1つです。

「ひまわりプロジェクト」の始まりは、TEAM SHIROの塚田さんが洪水によって荒れ地になってしまったリンゴ園をなんとかできないかと考えたことに端を発します。

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TEAM SHIROの塚田史郎さん

「令和元年東日本台風の洪水で堤防の外側の土地が水浸しになってしまいました。そこにはリンゴ園があったのですが、リンゴの木は折れ、ゴミだらけで、荒れ果てた状態。堤防付近のエリアでは畑を辞めてしまう人が続出して、耕作放棄地になってしまっている土地がたくさんあったんです。そこのゴミを片付けて、木を抜いて更地にしたら、そこには全面土色の更地が広がっていました。それを見て、何かできないかと思ったんです。

災害後に、全国からさまざまなボランティア団体さんが駆けつけてくださったのですが、その時にお知り合いになった皆さんにも相談した結果、ひまわりがいいのではないかと。土色の荒野を黄色一色のひまわり畑に変えられないかと考えたんです」(塚田さん)

地元の有志の力で咲いた80,000本のひまわり

リンゴ農家の方の協力を得て、2021年の春に動き出した「ひまわりプロジェクト」。しかし、当時はコロナ禍の只中でした。県外のボランティアの協力を仰ぐことはできません。そこで、塚田さんは地元の住民・学生、あっぷるかープロジェクトにも声をかけ、種まきから草刈りまでを地元の力で行いました。あっぷるかープロジェクトも軽トラックの貸し出しに加え、地元の住民・学生のコーディネートなど、幅広く活動に携わりました。

そしてその年の8月、ひまわりは大輪の花を咲かせます。その数は約80,000。災害によって荒れ地になっていた耕作放棄地が、地元の皆さんの力によって生まれ変わったのです。

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大輪の花を咲かせた80,000本のひまわり

「どこまでが復興なのかは私にもわかりません。それは個々によって違うんだと思います。でも、高齢者の方ほど復興ができていないという印象はあります。洪水でこれまでのように土地を耕せなくなってしまい、どうにかする気力も湧かないし、体力もない。それを地元の有志の力でなんとかすることで、高齢者の人たちの助けになれればと考えています」(塚田さん)

「ひまわリプロジェクト」は2022年も継続。8月には穂保地区で1面のひまわり畑が見られる予定です。あっぷるかープロジェクトの杉田さんは「ぜひ、見に来てほしい」と語ります。

「復興は災害から数週間で終わるものではありません。今でも被災地には何かしらの影響が出ています。それを忘れずに心に留めておいていただくためにも、是非一度ひまわり畑に訪れて、寄付の数だけ咲いた大輪のひまわりを見ていただきたいと思います。今年は30万粒の種を植えました。本当にすごい光景になると思いますよ」(杉田さん)