ハンセン病のない世界を目指して(2/2)インタビュー(日本財団会長 笹川陽平)

当財団がハンセン病対策事業に取り組み始めてから約半世紀。WHOハンセン病制圧大使として長く携わってきた会長笹川に、活動への想いを尋ねた。

Q:この10年のハンセン病制圧活動とは。

A:やはり「隠れた患者」をいかに早期発見するかということが最大のテーマで、私もそのような場所に多く足を運びました。ブラジルでは、アマゾン川の中州に住む一家を訪ねたところ、父親はすでに手足に障害が出ていて、もう少し早く発見できていればと悔やまれました。子どもたちもハンセン病の治療中でしたね。太平洋に浮かぶ島々からなるキリバス共和国では子どもの患者が多く、私も10代の少女が医師にハンセン病の診断を受けている場面に居合わせました。彼女が最初のMDTの一錠を飲むと周りからは拍手が起こり、不安そうにしていた顔がふっと緩んだのが印象的でした。ハンセン病の初期症状は皮膚に現れる、知覚のない斑紋(パッチ)ですが、知識がなければ診断が遅れ、障害が進むのです。潜在的な患者を見つけ出すため、各国では啓発活動に工夫を凝らし、インドでは、アッシャーといわれる保健師のような女性が家々を回り患者発見のために活動しており、キリバスは「スキンケア・キャンプ」と呼ばれる検診活動、インドネシアは「パッチを見つけよう」という歌とダンス、ブラジルのハンセン病NGO「MORHAN」が展開する電話相談もあります。

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アマゾン川の中州に住む一家。家族全員がハンセン病の治療を受けている(2013年12月、ブラジル)

差別撤廃のための活動は、国連決議をいかに多くの人に知らせていくかということが大切で、世界中のコロニーや療養所で私は決議のコピーを配り、「ここには皆さんが生きていく上でのすべての権利を認めると書いてあります。国連が決議し、皆さんの国の政府も賛成しているのです。不当な差別は断じて許されるべきではありません」と説明して歩いています。過去に人間が犯した過ちを理解するためにはハンセン病の歴史保存も重要です。フィリピンのクリオン島、コロンビアのアグア・デ・ディオス村、アメリカのカーヴィル療養所なども訪ねました。ハンセン病の歴史は、単なる「負の歴史」ではなく、厳しい偏見と差別の中に生きた人々の勇気と希望の歴史でもあるのです。同じ過ちを二度と繰り返さないためにも語り継いでいかねばなりません。

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「スキンケア・キャンプ」(検診活動)の様子。幼い子どもたちも訪れていた(2015年10月、キリバス共和国)

Q:これからの10年のハンセン病制圧活動の見通しは。

A:2020年に、これまで当財団が中心となって進めてきたハンセン病制圧対策事業は、笹川保健財団に移管されました。同時に、両財団と、WHOハンセン病制圧大使である私が、それぞれの知見を共有し、連携を強化しながら活動を進めていくため、「笹川ハンセン病イニシアチブ」を開始しました。このイニシアチブの目標は「ハンセン病のない世界」を実現すること。これは、病気がなくなるだけでなく、ハンセン病による障害、偏見、差別のすべてが解消された社会を指します。ハンセン病問題はモーターサイクルに例えることができます。前輪は病気を治癒すること、後輪は差別を解消すること、この両輪が機能しない限り根本的なハンセン病問題の解決にはつながりません。このモーターサイクルの向かう先が、「ハンセン病のない世界」なのです。これから10年をかけてその実現に少しでも近づけるよう、当事者、支援者の方々と共に、歩みを進めていきます。

Q:会長にとってハンセン病制圧活動とはどのようなものか。

A:私は2001年、WHOハンセン病制圧大使に任命されてから、その活動のために、200回以上、約70カ国を訪問してきました。当事者の声を聞き、どんな問題と解決策があるのか、現場の声をどのようにすれば効果的に政策決定者に届けることができるのか、考えて行動してきました。ハンセン病制圧活動と私の人生とは、切っても切り離せません。私の父、笹川良一にとってハンセン病との闘いは生涯をかけたミッションでした。青年時代に想いを寄せていた近所の女性が突然失踪した理由がハンセン病に対する差別のためであったと知った父は、衝撃と怒りを覚え、それが世界規模のハンセン病制圧事業を展開する原動力となりました。父に同行して、初めて韓国のハンセン病病院を訪れ、人生に絶望した表情でベッドに横たわる患者の姿、そしてその身体を抱擁して激励する父を見た時、私も父の後を継ぐべきだと確信しました。世界中を訪問する中で、父と同様に、患者・回復者の皆さんの手を取り、一人ひとりの人生に想いを馳せていると、ふと考えることがあります。私はなぜ日本で生まれたのか、インドのハンセン病コロニーに生まれなかったのはただの偶然ではないか。そう考えると、この方々が人類の運命を引き受けてくれているのではないかとさえ思うのです。ですから、彼らのために尽くすことは、自分の使命に他なりません。私は貧しい人、苦しんでいる人々のために働いていると考えたことは一度もなく、ただ自分が死を迎える際に、「よく生きた」と思うために活動しています。家族からも見放された人、虐げられた人が力強く生きている場面に出会うと、勇気と自信をもらうと同時に、この人たちの尊厳を必ず取り戻さねばならないと思うのです。ハンセン病のない世界の実現がどれほど困難に思えても、溢れる情熱と強い精神力で、成果が出るまで活動を続けていきたいと考えています。

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かつてのハンセン病療養所へ向かう「嘆きの橋」。収容される患者と家族が別れを嘆き悲しんだ場所として歴史的建造物に指定されている(2013年12月、コロンビア)
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女性の物乞いに喜捨をする笹川陽平(右)。ハンセン病回復者が物乞いをすることなく暮らせる社会の実現を目指している(2014年11月、インド)