《インタビュー》会長 笹川陽平(2/3)“未来志向のユニークな組織にしたい”
「日本財団ここにあり」の評価広がる

目指すは「安いコストで良い仕事ができる」という評価

―当財団は子ども、障害者、高齢者、災害、海など極めて広範な活動をしています。事業モデルを作って公的な事業に発展させる手法は、法的な受け皿も整備され公的サービスとなった電話リレーサービスのような例もありますが、国や自治体の財政状況を前にすると、日本財団が自前で事業を担っていかざるを得ない事態も出てくるのではないでしょうか。

会長:日本財団が目指しているのは、我々を使うことでコストを下げ痒い所にも手が届く、つまり当財団を使った方が安いコストで良い仕事ができるという評価を得ることです。役所の担当者は2、3年で変わりますが、我々の組織は担当者が長期に専門的に関わり事業を深掘することもできます。「公」の財源がひっ迫する中でそうした評判が高まれば、関わる仕事も自ずと増えてくると思います。

―仕事が増えれば、事業費も膨らみます。遺贈などの事業は「新しい寄付文化の醸成」と同時に活動資金を増やすことも意識されているのですか。

会長:狙いは二つあります。一つは「人生の中でいろんな人の世話になった。何かそのお礼をしたい」という国民文化を作ることです。我々のような非営利セクターがそれなりに前進し、若い人達が寄付をしたいと考えるような雰囲気が随分、育ってきたと感じています。3回に分けて2億円を匿名で贈ってくれた方もいます。メルカリと共同開発した「寄付型梱包資材」のように誰もが気軽に社会貢献できるSNS時代に相応しい寄付プロジェクトも進んでいます。
寄付金をいただいて印刷物の領収書だけ送りつけ「ありがとうございました」では駄目です。透明性を確保し説明責任をきちっと果たす必要があります。私自身、1万円以上の寄付に対し、お礼の言葉と署名を記したお礼状を十数年、続けています。最近、民俗学者・宮本常一氏の本を読んでいるのですが、日本人のDNAには古く平安朝時代から、厳しい環境の中で苦しい生活をする人達のために貢献する文化が脈々と流れています。これからは災害や事件の発生時だけでなく、何事もなくても寄付が行われる社会になってほしいと思います。

―当財団、関係団体は海外でも多彩な事業を手掛けています。こちらの展開や手応えは如何でしょう。

会長:創業者の笹川良一以来、政治、思想、宗教、人種、国境を越え人道支援活動をやっていくことが当財団の大きな仕事と考えています。チェルノブイリ原子力発電所事故に伴う住民の健康問題、あるいは中国の人材養成。「日本財団は何故、共産圏の国の面倒を見るのか」と多くの批判も受けましたが、我々の仕事は人道支援一筋です。ハンセン病制圧活動では歴史に残る大きな成果が国際社会にも広く認められています。

写真:笹川陽平会長

問題点と答えは常に現場にある

35年間、試行錯誤を繰り返しながらやってきたアフリカの貧しい農民の食糧増産活動も、今や世界中から高い評価を受けています。ササカワアフリカ財団による長い支援活動が多くの成果を挙げ、最近は多くの寄付も寄せられています。報告書だけ読んで「こうあるべきだ」、「こうすべきだ」などといくら言っても駄目です。問題点と答えは常に現場にあります。現場に出て現場で考える。片方の目を望遠鏡にして広く世界を見渡し、もう一方を顕微鏡にして些細なことも見逃さない。公のお金を使う以上、そんな姿勢が大切です。
世界の問題に取り組むには同時にロマンも必要と思います。一つはチャレンジングな試みです。30年前、北極海航路の開発に関わりました。当時、北極海が通行可能になるとは誰も思っていませんでした。ノルウェーの外務大臣が来て、温暖化が進むと北極海は通れるようになる。そうなればエジプト経由、マラッカ・シンガポール海峡を通じて日本に来るよりも40%以上、距離が縮まるということで、10年間、私が開発委員長を務めました。2050年頃には航行可能になるかと思っていたのですが、2020年に早くも北極海航路が通行可能になりました。

今後もロマンを持って海洋問題を深掘していきたいと思っています。7,528万kmも離れた火星の精密な地図が出来ているのに、人類が住む地球の海底は地形もどんな生物が住んでいるかも分かっていません。当財団は海洋問題に取り組む世界的なリーダーシップを目指し、すでに1,000人を超える科学者のネットワークを整備し精密な海底地形図の作成にも取り組んでいます。海には少なくとも100万種以上の未発見の魚類や生物が存在すると言われています。日本にセンターを作って世界中の学者を集め、こうした生物の発見にも取り組んでいきたいと思います。
世界の平和構築で「日本財団ここにあり」の評価が広まっていると実感しています。しかし、まだまだ足りません。名前を知られればいいという訳ではありませんが、少なくとも名前を知られることが我々の仕事を知ってもらう第一歩となります。引き続き「世界の中の日本財団」を目指したいと思っています。

―国によって宗教も文化も違います。欧米と日本では支援の形にも違いがあります。当事国の政治情勢で「民」の活動が制約されるケースもあります。最近では、国軍によるクーデターが起きたミャンマー支援に関し、メディアも会長発言に注目しているようです。このあたりの難しさをどう考えますか。

会長:どの国にも難しい問題はあります。ミャンマーに限った話ではありません。ただミャンマーは多民族国家で独立後も20に上る武装勢力が75年も内戦を続けてきました。毎日どこかで戦闘が続き、一日として平和はなかったのです。国際社会が長い間、特に問題にしてこなかったのを、むしろ不思議に思います。今回は人口の6割以上を占めるビルマ族の中で争いが起こり、世界が問題にしています。クーデター以降、私に対する批判もありますが、今後も人道支援一筋で堂々とやっていく考えです。「こうします」、「ああします」と言って何の成果も出なければ、どうにもなりません。成果が確認されれば報告したいと思います。

―日本政府の動きは各国に比べ遅いといった批判をしばしば耳にします。「民」がもっと積極的に声を上げ、政府を動かしていく必要があるといった指摘も多く聞かれます。民間活動を進める上で、政府というか「公」との関係はどうあるべきと考えていますか。

会長:政府と民間の間にはきちっとしたソーシャルディスタンスが存在します。民間が過度に関与するのは、やってはいけないことです。ただし、グレーゾーンも存在します。従って、これは国、これは行政、これは民間ということではなく自ずと調和が生まれると思います。例えば災害。日本は今も昔も災害大国です。歴史的にも治山治水から防波堤、河川の整備などの備えに絶えず取り組んできています。パリやロンドン、ニューヨークなどは岩盤が固く、地震がありません。しかし、日本はプレートが4枚も入っている恐らく世界で唯一の国で、世界で起きる地震の2割が日本周辺で発生しています。豪雨災害や高波など他の災害も半端ではありません。
従って日本に生まれた以上、誰もが災害に対する危機意識は常に持っていなければならない。ただし「民」の立場でできることには限りがあります。当財団では災害発生後の被災地支援に積極的に取り組み、ボランティアが迅速に動ける態勢もかなり整備されてきました。しかし堤防を作るなどといった要の対策は国しかできません。現下のコロナ対策も同じです。「民」の立場で後方支援はできても、抜本策を決めるのはやはり国です。