《総括》理事長 尾形武寿(2/2)
日本財団方式
ところで、右肩上がりだったボートレースの売上が下降線をたどり始めた1990年代初めから20数年間の〝冬の時代〟に当財団は何をしていたか。
ボートレースの売上が当時の史上最高額を記録した1991年度には749億円あった交付金は、売上が底をついた2010年度には234億円と3分の1に減少した。当然ながら、原資の激減によって、当財団の活動には様々な形で制限が加わることになる。私たちは、しかし、手をこまねいて傍観していたわけではなかった。厳しい環境下で、いかにして課された責務を果たし、期待されている成果を上げるか。日夜呻吟してきた。少ない予算で実行できるよう知恵を働かせ、工夫を凝らそうと考えた。
モーターボート競走法の定めによれば、当財団の主たる業務は交付金を有効適切な方法で配分することである。配分の対象となる分野は現存する全ての社会課題となっている。この定めを厳格に適用すると、国内の非営利団体からの要請に対し、資金をほぼ均等に配分せざるを得なくなる。お金を配る。それだけに終わる。
国民から徴収した税金は正しく法律に基づき厳格に配分されるべきであるが、公営競技のような特別法により生み出される原資は、税金とは異なった使途を考えるべきではないか。目的と結果を重視した、より質の高い、不特定多数の市民が受益し、社会変革に寄与する事業に重点的に配分すべきであると私たちは考える。
そのため、当財団の役職員は常に社会変化の兆しを鋭敏にとらえるアンテナを張り巡らし、遠くを見通す望遠鏡と、目の前の細部を精密にとらえる顕微鏡の両方を駆使して事業の開発に努めるべきである。外部からの申請や要請に対しては丁寧に内容を聞き取り、大所高所から客観的に事業内容を俯瞰しなければならない。取り上げる価値のあるプロジェクトに対してはさらに質の高い内容とするために自らの知見と経験を駆使し、事業者と一緒になって事業開発に努めるべきである。
現在の当財団は、交付金を配分するだけでなく、自ら事業を企画し実行できることになっている。法では、交付金を活用して自ら事業を実施できるとは明文化されてはいない。しかし、交付金を有効適切な方法で配分する時、当財団が調査研究をしなければならないとすると、状況は違ってくる。
社会が抱える解決すべき課題を注視し続けることで、なすべき事業の輪郭が明らかになってくる。しかし、可及的速やかに実行すべき課題であるにも関わらず、解決のための事業を遂行できる組織が見当たらないことが少なくない。このような時には当財団が「調査研究事業」、あるいは「社会変革推進事業」と位置づけ、そのプロジェクトを数年にわたり自ら実行する。そして、ある程度の見通しや、社会のニーズを確認できた時点でその事業をモデル的に実行できる地方自治体、ないしは非営利団体を発掘し、事業費・運営費を支援しながら社会に定着させていくのである。さらには、国や地方行政府に政策提言をなし、必要なら法の制定まで持ち上げる。事業の内容によっては既存の非営利団体が存在しない場合がある。その時は、当財団が新しい組織を設立し、実行に移す。
これを日本財団方式という。実践例は数え切れない。
選択と集中~事業の5本柱
当財団では2012年の創立50周年を機に、当面とくに関心をもって取り組む事業の領域を下記のように設定した。あえて5つに絞ったのは、限りある資金と人的資源を有効に活用するためには、選択と集中が不可欠であるからだ。
- 地球的規模での海洋管理及び船舶と船舶機械の製造
- 高齢化社会への対応
- 子どもの幸せのために
- 障害者福祉
- 大規模災害への備え
これらを当財団の当面の関心領域とした理由を、もう少し説明したい。
- これは当財団の存在の根源となっているモーターボート競走法そのものが、第二次世界大戦で壊滅的破壊を被った造船業および関連工業界の復活と復興のための原資の確保を主目的として制定されていることによる。なので、この分野は当財団の事業の主柱に据えたい。
- 郊外に建設された特別養護老人ホームは小奇麗ではあったが、10畳の部屋に6人が入居させられている/入居者を幼児扱いする/プライバシーが全くない……といった様々な問題はどの施設でも提起されていた。独居老人や終末医療、限界集落における高齢者問題なども都会や地方を問わず顕在化している。
- 子どもをめぐる課題は山ほどある。予期しない妊娠によって生まれてくる子ども、親からネグレクトや身体的虐待を受けている子ども、貧困に喘ぐ子ども、幼少期から施設で暮らす子ども、そして、ヤングケアラーの問題など。事態は今や危険水域に到達している。国が子どもを守る法律を制定して、子育てをしやすい社会を構築する時である。
- 障害者は身体障害者、知的障害者、精神障害者に大別されるが、それぞれ障害の程度により対応策も違ってくる。環境さえ整えば健常者と変わらない労働力を提供できる障害者が大勢いる。にもかかわらず、作業所(授産施設)の多くが郊外にあるのは合点がいかない。障害者の仕事場を街中に取り戻したい。
- 「災害は忘れた頃にやって来る」と言われてきたが、1995年(平成7年)に発生した阪神・淡路大震災以来、大きな地震や風水害が忘れる間もなく毎年発生している。ただし、そこに人間がいるから災害となる。いなければ、地表の変化にすぎない。だとすると、被災者の生活を以前の状態に戻すことが災害復興の要諦ではないか。
当財団がこれらの社会課題を当面の関心領域に定めた大きな理由は、いつの間にか弱者が社会の片隅に追いやられ、企業戦士と呼ばれるような人々だけが闊歩するアンバランスな現代の街を、至極当たり前な社会に戻すことを試みているからである。
他人事ではない戦争の惨禍

60年史への寄稿を締めくくるにあたって、どうしてもひと言触れておきたいことがある。ここ数年の間に、私たちが地球規模の異常な出来事を2つ経験したことだ。一つは新型コロナウイルス感染症の蔓延であり、もう一つはロシアによるウクライナ侵攻によって引き起こされた惨禍である。
コロナ禍に対し、当財団は正面から立ち向かった。東京2020パラリンピック競技大会(2021年8月24日~9月5日)の支援という年来の重要プロジェクトをこなしながら感染者の宿泊療養施設(東京・お台場)を設置し、同感染と大規模自然災害との複合災害に備えて全国の救命救急医療施設へ総額50億円の緊急支援を行うなど多様な取り組みを展開した。
2022年2月に勃発したロシアのウクライナ侵攻による人道危機に対しても、当財団はすばやく対応した。3月18日から10日間、ウクライナからの避難民が滞在するポーランド国境付近に職員を派遣し、障害のある避難民に対する国外退避や医薬品供与などの支援にあたった。また、日本への退避を希望するウクライナ人の支援に乗り出し、渡航費や生活費の支援、NPO団体への助成など3年間で約50億円の支援を打ち出している。
コロナ禍とウクライナでの戦闘を目の当たりにしてつくづく実感したのは、世の中の平和や人々の穏やかな日常が、ほとんど一瞬にして、打ち砕かれてしまうことだった。とくにウクライナについて言えば、大量の流血をもたらす戦争がいとも簡単に起きてしまうことに強い恐怖を覚えた。これは他人事ではないと。
当財団は、強者も弱者も、高齢者も若者も、障害者も健常者も、誰もが普通に一緒に暮らせる街、安全で安心、そして清潔な街を取り戻そうとしている。
「みんながみんなを支える国」そんな国づくりを目指す当財団の一員として、平和の持続をこれほど切望したことはない。